帝国の魔法鑑定士

雪嶺さとり

第1話 魔法の遺書(1)

 帝都の外れの路地に、ひっそりと並ぶ小さな店がある。

 知る人ぞ知るその店には、少し風変わりな店主がいた。

 魔法鑑定士、エリーゼ・トワイライト。

 この世で数人しかいないとされている貴重な職業である魔法鑑定士だが、そのうちの一人は彼女のことだ。


 魔法、魔石、魔法書、魔法に関することならなんでも視る。

 それが、魔法鑑定士。


 この店には魔法に関する様々な問題を抱えた人々がやって来る。

 そして今日も彼女は、まだ見ぬ魔法を探し求め、鑑定するのであった。


 ──────────────


 帝都の一画にある華やかな邸宅。

 セラフェン公爵家の屋敷であるそこに、ある女性の姿があった。

 桃色の長い髪に深紅の瞳、華やかな色合いとは対照的に、彼女の衣装は黒一色の飾り気のないもの。

 まだあどけなさの残る顔の若い彼女が、仕事用の堅苦しいドレスで、トランクケースとステッキを片手に颯爽と歩く姿は人目を引くものだった。


 彼女の名前はエリーゼ・トワイライト。

 この帝国の、魔法鑑定士である。


「お待ちしておりました、エリーゼ様」


「あら、こんにちは」


 扉の前で待っていた顔馴染みの執事のルイスにそう声をかけられて、エリーゼは上品に微笑む。

 その笑みは淑女のようにたおやかなものであったが、次の瞬間、開け放たれた荘厳な造りの扉を通りながら、彼女は高らかに声を上げた。


「公爵様ー!来ましたよ、あなたの妹弟子が!いきなりの呼び出しに文句も言わず、ちゃあんと来ましたよー!」


 先程までの淑やかさはどこへやら、大口を空けて叫んでいる。

 いつもの事ながら、後ろで控えているルイスもこれには苦笑いであった。

 そして、エリーゼの叫びにくつくつと笑いながら姿を現したのは、この家の主であるダリウス・セラフェン公爵だ。

 巷では冷酷で恐ろしい獅子のような男だと噂されており、それに違わず鋭い目つきで凄みのある顔立ちをしている。

 エリーゼにとってはわがまま俺様公爵のようにしか思えないのだが、世間では冷血な暴君なんて言われたり。

 そんなダリウスであるが、エリーゼの前ではただの青年のように笑うのであった。


「よく来たなエリーゼ。久しぶりにお前の顔が見られて嬉しいよ」


「つい先週も会ったばかりですよね」


 ダリウスはエリーゼの言葉を流し、話を続ける。


「エリーゼ、ある貴族がお前に依頼をしたいそうなんだが、引き受けてくれるよな」


 その有無を言わさぬ物言いに、エリーゼは頷いた。

 それにかこつけてわざわざ今回も呼び出されたのだろう。

 ダリウスはよく、エリーゼに客を紹介してくれる代わりに、こうして顔が見たいからとわざわざ手紙で済む内容でも公爵邸へ来させるのだ。


「いいですよ。それで、内容は?」


 中身も聞かずに易々と引き受けてしまうのは、もう何度もこうしてダリウスから客を紹介してもらっているから。

 そして、彼がエリーゼの手に負えないようなものは引き受けさせないということも分かっているからだ。

 むしろ、エリーゼの方こそ、そこに魔法があるのならとどんな危険な依頼でも飛び込んでいってしまうので、しばしばダリウスから止められることがあるぐらい。

 今回はとある貴族が依頼主と言っているが、一体どのような依頼なのだろうかと待ち構えていると。


「ウォルリッジ伯爵家から、とある遺書が見つかった。お前にそれを視てほしいのだと。なんでも、凡人には理解できない代物らしくてな」


 随分な言い様だが、ダリウスはくつくつと喉を鳴らして笑っている。


「遺書、ですか。何らかの魔法がかけられていて、伯爵家の皆さんには読めないということで?」


「概ねそういう話だ」


 書物にかけられた魔法となると、考えられることはいくつかある。

 本そのものに魔法をかける、それとも文字やインクに魔法を編み込んだ、などが思い浮かぶだろうとエリーゼは考える。


「ついこの間、仕方なく皇宮の舞踏会に顔を出したところ、蒼白な顔をした伯爵からこの話をされてな。エリーゼが適任だろうと思ったんだ」


 確かに、今更伯爵の祖父の遺書が発見されたとなると、どんな重要事項が書かれているか分かったものではないだろう。

 財産に関わるものであったと考えると、尚更焦るはず。

 しかし、その遺書の中身が誰にも読めないとなるとこれは困るだろう。

 それに、遺書に魔法をかけるという発想もエリーゼとしては気になるところだ。

 一体どんな魔法を、どんな意図で使ったのか。

 そうわくわくと考えてから、エリーゼはあることに気づいた。


「あら、今回はちゃんと舞踏会に出向いたんですね!前はすっぽかしてたのに」


 エリーゼの言葉に、公爵は顔を顰めた。

 公爵は社交界が嫌いだ。

 皇宮の舞踏会なんて貴族たちが大勢集まるだろうに、わざわざ出席するなんて珍しいことだった。


「本当は行きたくなかったに決まってるだろ。たまには表に顔を見せないと、後で皇帝やら家の連中やらに文句を言われることになるから、仕方なくやってるだけだ。それに、別にパートナーなんていなかったし誰とも踊ってないからな。俺がお前以外と踊るなんてそんなわけないだろう」


「あ、別にそこはどうでもいいんですけど」


「まあ安心しろ。俺は絶対に浮気はしてないからな」


「恋人でもないんですけれどね」


 自信満々な顔で安心しろ!と胸を張るダリウスに、エリーゼは呆れ顔をする。

 ダリウスがエリーゼを愛してやまないのは疑うまでもないことだし、浮気も何も、そもそも二人は恋仲などでは無い。

 それなのに、ダリウスがこんな調子だから魔法鑑定士とセラフェン公爵は恋人ではないかという噂が立ったりするのだと、エリーゼは頭を抱えた。


 そんな二人の関係の始まりは、ずいぶん昔の頃からだ。

 ダリウスとエリーゼは、同じ魔法使いから魔法を学ぶ弟子だった。

 ダリウスは、父親が魔法使いと親交があった為に弟子入りをした。

 エリーゼはとある事情から魔法使いに拾われ、弟子として育てられた。

 平民の娘と公爵家の子息という通常なら絶対に出会うことの無い二人は、魔法使いの元で兄妹のように育てられた。

 そのおかげでダリウスはエリーゼを妹弟子として可愛がってくれていたが、修行を終えてそれぞれの道へ進んだ今でもエリーゼを可愛がっている。

 それどころか、彼の妹弟子愛は年々ヒートアップするばかりで、エリーゼが魔法鑑定士として独立してからも何かと面倒を見たり、客を紹介したり、ことある事に公爵邸へ呼びつけたり。

 さらにはエリーゼを公爵家へ迎えたいと言い出したり、エリーゼに近づく男は全て排除するとまで言い切る始末。


(本当、可愛がってくれるのは嬉しいけれど、加減というものを学んで欲しいところね……)


 エリーゼとしては、ただの妹弟子を大切にしてくれているのは嬉しいが、あの噂の冷酷公爵と恋人であると噂されるこちらの身にもなって欲しいものだと頭が痛いことだ。

 人嫌いのはずの公爵が、社交界で妹弟子の素晴らしさを自慢したりするものだから、それも噂を助長する一つの要因である。


「とにかく。そういうことでしたら、その依頼、お引き受けします」


 そう言って、一礼をしてから出ていこうとすると。


「じゃ、今から行くか」


「え?」


 驚いた顔をするエリーゼに、何故驚くのかと首を傾げるダリウス。


「……ちょっと、なんでついてくるんですか」


「いや、俺も一緒に行くに決まってるだろ」


 平然としてそんなことを言うのだから、ぎょっとしてしまった。

 公爵がこんな昼間からエリーゼの仕事に付き合うほど暇をしているわけがない。


「あなた自分の仕事はどうしたんです!?」


「そんなもん無い。こうなることを見越して、今日は丸一日休暇にしておいた」


 ふふん、と自慢げな顔で腕を組むダリウス。

 振り返って、黙って見守っていたルイスに視線でどういうことだと訴えかける。


「……はは」


 遠い目をして力なく笑ったルイスに、首を横に振られただけだった。


「まったくもう、仕方の無い人ですね……」


 かくして、エリーゼは何故か公爵を引き連れて伯爵家を訪問する次第となった。

 本当は伯爵ときちんと連絡を取ってから訪問するべきなのだろうが、わざわざ今日呼び出してきたということは既に約束も取り付けているのだろう。用意のいいことだ。


(ああ、これでまた噂が広まっていく……)


 ダリウスに手を引かれるまま、エリーゼはそんな気持ちを抱えながら公爵邸を後にした。

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