日々、写りゆく

浅川瀬流

第1話 レンズの向こう

 ローポジション、ローアングル。

 しゃがみこみ、低い姿勢をたもった。被写体ひしゃたいを見上げる形でカメラを構える。


 この構図の写真は、人がいつも見ている景色とは異なり、小さな虫になった感覚を味わうことができるのだ。カシャッというシャッター音が弱々しく中庭に響いた。


「イマイチだな」

 ため息まじりに声がこぼれる。眉間みけんにしわが寄った。


 光希みつきはその場を移動し、ベンチに座っている男子生徒に近づく。彼の制服は少し気崩され、茶髪の毛先がくるっとはねていた。組んだ脚の上にスケッチブックを乗せ、花を熱心に観察している。

 光希に気づくと彼はパッと顔を上げ、八重歯をのぞかせて笑った。


「お~ミツ。良い写真撮れた?」

「いや、あんまり」

 光希は彼の隣に腰かけ、カメラを操作して写真を見せる。


「キレイに撮れてんじゃん。これじゃダメなわけ?」

 彼は頭に疑問符を浮かべ、首をかしげた。

「まあ、賞は取れないだろうな。ひかるは?」

「こんな感じ。色鉛筆持ってくるの忘れたからモノクロだけど」


 うわ、すご。思わず息がれた。

 影までくっきりとしていて臨場感がある。それこそ写真みたいだった。

「安定に上手いな」


「へへ、サンキュー。てか、ミツも写真じゃなくて、絵にすれば良いのに。クラスで選ばれたことあるんだろ?」

「俺は写真が好きなんだよ」

「えー、写真ってそこにあるものを撮って作品にするわけじゃん? 結局どれも同じ感じにならない?」

 その発言は聞き捨てならない。光希は大きく息を吐いた。


「同じものを被写体にしても、角度やピントでみんな違う写真になるんだよ」

「ふーん」

 輝は納得していない様子で、両腕を頭の後ろで交差させる。

 光希も同じ体勢をとった。


 座っているベンチの正面には南館。窓から生徒が行きう様子が見える。

 この学校は北館と南館に校舎が分かれており、北館には一から三組、南館には四から六組がある。中庭はその間に位置し、そこには花壇がずらりと並んでいた。


 ベンチでのんびりとしていると、二つの校舎をつなぐ渡り廊下から、五人の生徒が流れて来た。

 園芸部が水やりをしにきたようだ。手にはじょうろがにぎられている。


「うちの学校、ほんと部活多いよなぁ」

 輝は生徒たちを目で追いながら呟く。

 彼の言う通り、年々部活の数が増えていた。生徒の自主性を重んじるだかなんだかで、大体の申請が通る。ちなみに二人が所属する写真美術部は、それぞれの部員が少なかったこと、部室が足りなくなったことが理由で合併がっぺいされた。現在部員は六名である。


「ちょっと撮ってくる」

 園芸部の水やりが終わると、光希は再び花のそばまで行って座った。今度は花びらにカメラを近づけ、水滴に焦点を当てる。水滴がはっきりと見えるように絞りを調整した。


 カシャッ

「くるみんどうしたー?」

 シャッター音と声が重なった。


 輝が向いている方に目をやると、ドアの陰から顔を少しのぞかせて、こちらを見ている女子生徒がいた。くせっ毛の髪はふわふわで二つに結ばれている。たれ目の二重は可愛らしく、気弱そうな顔立ち。小動物みたいだ。


 光希は輝のあとを追い、彼女の元に駆け寄った。

「どうしたの?」

 顔をのぞき込み、輝がもう一度問いかける。


 彼女は口を開きかけたが、近くを通った男子生徒たちの笑い声にビクッと肩を震わす。大声で話す彼らを一瞥いちべつすると、光希に視線を向けた。

「えっと、瀬川せがわ先生が、笠原かさはら先輩を呼んできてって……」

 いつものことながら声が小さいが、光希にはきちんと届いたようだ。

「呼びにきてくれたのか。ありがとう、望月もちづき


 そうして三人は部室がある南館の四階へと向かった。

 昔はもっと生徒数がいたため、四階まで教室として使われていたのだが、現在は文化部の部室になっている。


 部室が近づくと、話声が廊下まで聞こえてきた。扉はすでに開いており、五つの椅子と机が壁に沿って整然と並べられている。そのすぐそばで、女子生徒と男性教師が立って話をしていた。親しげな様子を見た輝は一瞬顔をしかめたものの、すぐに笑顔を向け「ちーっす」と声をかける。


 サラサラな黒髪をポニーテールにした女子生徒は、三人を手招きした。制服のボタンも一番上までしっかりと留められ、学級委員長といった風貌だ。彼女――槙野まきの夏鈴かりんは写真美術部の部長を務め、輝と同じく美術の活動を行っている。

 扉を背にして立っていた教師は顧問の瀬川だ。「お疲れ」と片手を上げて振り返った。


「……県予選の結果ですか?」

 呼び出しの理由を察し、光希は真っ先に問いかける。

 輝と夏鈴は話の邪魔をしないよう、端の方に移動しスケッチを始めた。


「ああ、今年もダメだった」

「そう……ですか」

 当然だろう、と光希は目をせる。

 自分の写真は「何を伝えたいのかわからない」のだから。


 ――高校写真部全国一を目指す大会『全国高等学校写真コンテスト』その県予選結果が出た。この大会はまず県予選が行われ、上位五校がブロック予選へと進むことができる。全国を七地区に分けたブロック予選で、そこからさらに三校に絞り、やっと本選進出が決まる。

 なんだかんだ三年間エントリーはしたが、一度も初戦を突破とっぱすることはできなかった。


 しばしの沈黙ちんもく

 瀬川は頭をかくと「あー、それで、だ」と一語一語はっきりと口にした。

「フォトコンテストに挑戦してみないか?」


「フォトコンテスト?」

 食いついたのは光希を呼びにきた望月胡桃くるみだった。

「家電量販店を運営している会社主催のフォトコンテストがあるんだ。年齢制限もないし、テーマも自由。興味ないか?」


 瀬川はそう言って、一枚のチラシをポケットから取り出す。小さく折り畳まれたそれを「うわ、くしゃくしゃだ」と呟きながら開いていった。そりゃそうだ、と光希は心の中で一人ツッコミをいれる。


 手渡されたチラシの募集要項に、胡桃は目を通した。光希も横からのぞく。

「笠原は高三だろ。そろそろ引退の時期だし、高校最後の部活動ってことでどうかなと思ったんだが……」


「わ、わたしはやってみたい、です」

 蚊の鳴くような声。胡桃は瀬川と光希を交互に見た。いつになくやる気の胡桃に、瀬川は嬉しそうな顔を向ける。

「望月は参加決定だな。で、笠原はどうする?」


 二人の視線から逃れるように光希は視線を落とした。両手には一眼レフが握られていて、その感触を確かめる。

 人はどうして写真を撮るのだろうか。

 自分は何のためにカメラを構えるのだろうか。


 ゆっくり視線を戻すが、二人は口を結んだままだ。光希の答えを待っている。光希は曖昧あいまいな笑みを浮かべた。


「……俺は、もう少し考えてみます」


 ふいに、チュンチュンとすずめの鳴き声が聞こえた。それにつられるように、光希は開け放たれた窓へと静かに寄ると、ファインダーをのぞく。

 カシャッというシャッター音とともに、木々にとまっていた二羽の雀が飛び立った。

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