ルナチャイルド・ストレイド

瑞田多理

第1話 悩みの種の、よくいる「カノジョ」

よくある共学の高校、よくある放課後。男子学生がこぞって部活動に繰り出すなか、一人黙々と帰り支度をする帰宅部がいた。

彼は類い希な水準で恵まれた体躯をしていた。一八〇を超える身長に、広い肩幅。マッチョというほど筋肉質ではないが、研ぎ澄まされた無駄のない肉体をしている。入学した当初はあらゆる運動部から引く手数多だった。実際に運動はよく出来たが、彼は取り合いもしなかった。二年生になった今、彼は孤高という意味も込めて、「オオカミ」と名字で呼ばれている。

人付き合いは、いいほうとは言えない。しかし他人を無碍にすることもしない。ゆえに学友からはそんなに嫌われているわけではない。軽口を叩いてくれる友人がいるくらいには。

「よぉ、オオカミ。今月の『性癖』はどうだった?」

そのうちの一人が机に学生鞄を勢いよく置いて、その上に顎を乗せ気さくに話しかけてくる。オオカミはノートをしまう手を止めて、応じた。

「どうだった……も、なにも。お前だって変わってないだろ。毎回、毎月同じ質問なんだから」

「お前……まさかあの『性癖検査』の質問、毎回マジメに読んで答えてるのか?」

「当たり前だろ、必要な検査なんだから」

オオカミがさも当然のように答えたが、周りを取巻く友人たちは一様に頭を抱えている。

「あんなもんマジになって答えるだけムダだっての。適当に全部左端塗りつぶしときゃいいんだよ。俺らだって忙しいんだからさ」

「忙しいのは確かにそうだ。だが」

「まぁ分かった。そういうマジメなところがオオカミの良いところだ。じゃあ、マジメに受けた結果どうだったんだよ」

「特に変わってない。強いて言うなら、そうだな……六七問目で少し迷ったくらいだ」

オオカミの仏頂面が、その時苦虫をかみつぶしたような顔に変わる。


「『約束は、たとえ相手が破ろうとしても守るべきだ』……だったか。『そう思う』と答えたが」


「ほぉ、そう思えないかも知れなかったのか」

「ああ、ちょっとな」

オオカミが言いよどんだのを見て取って、同級生の顔が好奇心で輝く。

「カノジョか?」

「は?」

「とぼけんなよ。ユナちゃんのことだろ」

デコピンを食らわせる同級生。オオカミは避けない。

「最近休みっぱなしだもんな、心配だよな」

「心配なのはそうだが俺たちはそういう関係じゃない」

「はいはい、そういうことにしといてやるよ。居ても立ってもいられなさそうじゃん。早く行ってやれよ。プリントとか、宿題とか待ってんだろ。ついでに、お前のことも」

同級生たちは物わかりが良いんだか、悪いんだか分からない。オオカミをからかうことは決してやめないが、引き際は常に心得ている。心地よい友人関係と言える、かも知れない。少なくとも、オオカミにとっては。

「ああ、待っている。そろそろ学校に引きずり出してやらないといけないな……あの気分屋め」

オオカミはそう言い捨てると、カバンを乱暴に背中に背負って「じゃあな」と教室を後にする。その後は一路、ユナの家へ。

「ユナ、いつまで休む気だ」

彼の心配事は、かなり深刻だった。

「これで二週間連続休みだ。なまじ勉強ができるから学校をなめてかかってるんだ……ったく」

オオカミがユナ、と呼んだのは幼なじみの名だった。二軒となりの戸建てに住んでいて、いまはたまたま隣の席。気だるげに窓際の席であくびをしている小さな顔が、学校での彼女を象徴しているかのようだった。いつも眠そうで、たまに本当に眠っていて、本人はそう言い張るがボブカットと呼ぶには伸びすぎな髪をかき分けてシャーペンを突き刺してやれば「……アホ」と悪態をついてまた机に突っ伏す。そのくせテストの順位は概ね上の方だからタチが悪い。少なくともオオカミは、ユナに勝てたことがない。

しかし、どんなに勉強ができたとしても、成果を上げられたとしても。制度という壁を打ち破ることはできない。

「出席日数の話をまたしに行かなきゃ行けないのか……、いや謝る方が先か」

カバンを持っていない方の左手で頭をかきむしる。

頭は良いが物わかりは悪い。昔から、ユナという幼なじみはそうだった。小学三年生の時に越してきてからずっと、どこかすれていて、なにを言っても聞いているんだかいないんだか、曖昧な返事しかしない。お互いに幼かったその当時は、そういったユナの態度が気に食わなくて、本気でいがみ合ったりひっかき合いになったりしたものだったが、成長した今そんなことは滅多にない。

オオカミが宿題に悪戦苦闘している時にユナが家に上がり込んできて、ユナの助けを借りて宿題を終わらせて。お礼にと簡単な食事を振る舞って見送ったところ、ユナはすごく不満そうな顔をしていた。それがユナの顔を見た最後だった。

すなわち……ちょうど二週間前のこと。

「俺のせいか……。俺のせい……なのか?」

足が重くなる。しかし重くなった足に鞭打って、オオカミは家路を急ぐ。

釈然としない部分はある。礼儀は尽したはずなのに、ユナの気持ちは明らかに塞いでいた。

それがオオカミのせいなのだとしたら、理由を聞いて正さなければならない。

それが約束だから。

二軒隣のユナの家。その前にたどり着いて、オオカミは決意する。


「約束したじゃないか。俺が、傷つけてしまってどうする」


伸ばした指が呼び鈴を押す。インターフォンからはしばらくなにも聞こえてこない。この時間なら、母親が家に居るはずなのだが……と訝り始めた頃合いを見計らったかのように、ユナの母親が答えた。眠そうな声だった。

「あれ……どちら様」

「オオカミです。オオカミシンヤ、二軒隣の」

「ああ、ユナの」

目をこすっているのだろう、わしわしという音が、過剰に高性能なマイクに拾われてオオカミに届く。

「ユナの男ね。家まで押しかけさせるなんて、本当に男捕まえるのだけは母親似なんだから」

「違います、男とかでは」

「んなことどうでも良いの。おあいにく様だけど……居ないわよ、ユナなら」

「……え。どういうことです」

「いないものはいないんだからしょうが無いでしょお。かれこれ二週間くらいかしらね。どれだけ入れ込んでたのか知らないけど、フラれた腹いせはよそでやってちょうだいね。じゃあ」

ブツ、と一方的に、何の情報も無いまま通話は終わった。

握りしめたオオカミの拳に汗が伝って、ぽたりとアスファルトに落ちた。


「それでも、曲がりなりにも母親役か」


母親役、という口汚い言葉を、オオカミは苛立ちと共に吐き出さざるを得なかった。

ユナの本当の母親を、オオカミは知らない。父親に至っては知るよしもない。私生児として生まれ、親戚中をたらい回しにされたあげく、今の家がいやいや引き取ったのだという過去を、オオカミはユナから一度だけ聞かされたことがあった。だから憤っていた。二週間という長い期間の失踪に対して、何の心も動かされない家族もどきに対して。

そして、自分自身に対しても。

取るものも取りあえず、スマートフォンを取り出してユナに電話を掛ける。そういえば、メッセージングアプリの類いは、ユナは頑なに使おうとしなかった。オオカミ自身もそういったインスタントなメッセージのやりとりが嫌いだったから気にしては居なかったが、今となっては不安の種でしかない。この電話にユナが出なければ、連絡を取る手段は。

ない。ところだった。


「…………シンヤ?」

「……っ!ユナ、今どこだ」


意外にも即応だった。

「いま……いま、新宿」

「のどこだ。ずっと学校も休んで、家にも帰ってないって聞いた。なにしてんだ」

「ん……なによ、シンヤには関係ない……でしょ」

「関係ない訳あるか。まさか学校と一緒に約束のことまで忘れたのか」

オオカミが鬼気迫る勢いで食い下がるのに対して、ユナの声は常にワンテンポ遅れて帰ってくる。まるでなにか、他のことに気を取られているかのようだ。


「約束?」

「約束だ」


それ以上でもなく、それ以下でもなく。ちょっと油断してしまいがちな相手。それがユナという娘だったし、それ以上のことはないはずだった。ユナの返事が少し冷たいものだったのが気に掛かったが、直後ユナがもっと重要なことを言いだしたので、その違和感は腹の底へと沈んでいった。

「これから来てよ。謝りたいの。あたしが悪かった」

「……分かった、行く」

「住所言うからメモして」

言われるがままに、オオカミは取り出したメモ帳にそれを書き付ける。

「待ってるから」

ブツン、と有無を言わさず電話は切れる。

オオカミはそれを待たずに走り出していた。どのみち電車に乗らなければ、ユナの元へはたどり着けない。

彼女の意図を知ることができるなら、一刻も早いほうが良い。

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