第二回『木徳直人はミズチを殺す』感想文

要約/複雑な設定が物語として読者にムラなく伝わっているかは疑問で、パズルのピースがカチリとはまりきる感覚が初読では感じられない。しかし書籍で読んだときこの印象は変わると感じる。物語は結末にむけてイメージが鮮明明瞭になっていき、その読後感は切なく、泣ける。


◆タイトル

木徳直人はミズチを殺す


◆作者様

アンデッド @undead 様


◆文字数

150,000文字


【フルスロットルでネタバレしています。ご注意ください。】


◆一言で言うとこの物語は

「平凡な少年と非凡な少女が戦いと力の果てに見いだす、血とぬくもりの物語」


◆この物語を読み終わったとき、どう感じたか

 途中まで、雑音の多いラジオを聞いている感覚でした。

 ちりばめられた数々の謎や魔術というガジェットが連関し、元凶の人物から真実を語られてもなお像となってあまり結びつかず、ノイズがかなり混じってよく聞き取れない感覚。


 まさしく「概要が頭に入っていればいい」という言葉通りでした。


 これはなかなか実験的な挑戦なのではないかとおもいました。

 設定がわかっていなくてもかまわない。概要が頭に入っていれば良い、というのが読者にも登場人物にも言えるという構図が、です。


「魔術」が存在したとして、それを行うときに必要なのは、「信じること」「念じること」「手順を踏むこと」であって、その真理や教義や根幹の理論などはわかっていなくても発動してくれます。

 事実、物語の中でも力を行使する登場人物の中で、真理にたどり着いた者はいませんでした。より正確に言えば、湯田と直人のみが目的のための真理を理解し、双方が果て、目的は潰えました。


 伝奇というジャンルが時代時代において輝きを放ち続けるのは、どんなに物語が類型的でも、珍奇であっても、驚天動地であっても、核となる「不思議な力や現象」が「ずっと不思議だから、ずっと神秘的だから」だとおもいます。

 だからこそ、皆決して明かされることのない真理をずっと追い求めるし、不思議に魅了され続けるのだろう、と。


 そう考えると、本作も神秘性に裏打ちされ、かつ筋の分かりやすい物語であり、故に複雑なガジェットを細切れにして配置する工夫をこれでもかと徹底することで、「雑音の多いラジオ」になっているのだと思いました。


 神秘は神秘のままでいいのです。


 ではその神秘と力をどんな風に人が使役するのか? どんな風に人は使役されてしまうのか?

 人の弱い心につけ込んだり、いつの間にか持たされていたり、持っていない者が頭脳でその仕組みに肉薄したりと、登場人物たちはこの神秘と力に対して色んなアプローチをしています。


 そして、災禍の中心にいる人物はもちろん真理を知っていますが、自分一人では成し遂げられないところに強みと最大の弱点がありました。

 強みとは、本人以外の人間が仕掛けにたどり着けない謎。

 最大の弱点とは、これによって主人公たちが打ち勝つための一縷の望みが残ったこと。


 読者の私はこの謎をあれこれ想像して遊び、登場人物たちもこの謎に挑戦し、翻弄され、真実にたどり着いた先に別れが残りました。


 作者がどこまでこれらのことを細かく構成に組み込んだかはわかりません。きっとほとんど全て組み込んだのだと思います。

 ヨハネの黙示録と悪魔崇拝による黒魔術というガジェットを換骨奪胎し、エッセンスを抽出し、作者の知識をもってこれを物語に敷く。

 その力を登場人物がどう考え、どう使い、使われ翻弄され、達成し、あるいは挫折していくのか。


 作者の独自性が特に光っていると感じたのは、ちりばめ方です。ちりばめすぎるくらい(笑)

 でもこれは物語に必要な手続きであって、ここをゆるがせにできない強固な造りになっていました。代替がきかない設定、構成を制作できる力。これはコンテストに受賞しても全く差し支えないように思いましたし、最終選考にのこったのもさもありなん、と思います。


 ただやはり、初読のうちにこれらの設定は全容を把握したかったところです。

 読解力がないと言えばそれまでですが、黒幕が延々としゃべらないと、いやしゃべってもパズルのピースがカチリとはまるような接合の良さは感じられませんでした。傍点がかなり多いのも、そうした伝わりにくさを少しでも解決する手段の一つだろうと勝手に思っています。


 しかしそうした設定の複雑さは、作品の価値を落とすものではありません。

「設定の複雑さ」と「設定の伝わりにくさ」の違いといえるでしょう。

 わざと伝わりにくくする、という方法がエンターテイメントではありえるのですからね。

 ただ、本作は設定の複雑さと設定の伝わりにくさをどちらも高めているため、伝奇ものの楽しみの一つである「ガジェットの理解」に、やや影を挿した感はあるのかも知れません。そうした設定を詳しく把握したい場合には、繰り返し読む必要があります。


◆この物語を読んでいる最中、どう感じたか

 冒頭書いたとおり、途中まで雑音の多いラジオを聞いている感覚でした。

 ちりばめられた数々の謎や魔術というガジェットが連関し、元凶の人物から真実を語られてもあまり像となって結びつかず、ノイズがかなり混じってよく聞き取れない感じがしました。


 また、戦闘シーンでは、ビジュアルが不鮮明なのに所々事物が不意に現れて明確になり、はたまた短い言葉の羅列で読むスピード感、テンポは増していますが余り戦闘状況が把握できない場合がありました。

 躬冠氏との対戦のときはこれを特に感じました。スピードの中で戦っている、という思考の部分と、場で戦っている、という実体の部分の双方が上手く折り合ってくれません。

 どこに何があって、という場をしっかり頭に入れながら、速度を増したいわば異空間で戦っている、というどちらも立てたバランスの描写になっていたら、もっと見えやすかったのかも知れません。


 霧争氏との戦いでは割とここがよく見え、非常に面白かったです。

 なぜかというと、躬冠氏よりもスピードがさらに増す中で何が起こったかと言えば、もはや場の状況ではなく心理戦になっていたからです。

 戦闘状況が心理描写としてつかみやすく、白熱した技と技、読み合いと読み合いのぶつかり合いがかなり面白かったです。


 第七章、ラストに向けては非常に鮮明に映像が浮かびました。

 結末の直人とミズチ、美月の関係がとても切なく、こうした伝記物にありがちなラストとわかっていながらも、こみ上げるものがありました。

「ドラえもんのび太と鉄人兵団」の生まれ変わったはずのリルルとのび太の再会を少し思わせる、切なさの募るラストでした。私はこういうのにめっぽう弱いのです。

 また直人君に会えるといいですね、美月さん。きっと再び逢えるでしょう。いつかどこかで。


 ラストや物語の構造そのものは、いつだってどんな小説だってありがち、なんですよね。

 それをありがちでなく読ませるのが練った構成や描写の文章力、キャラ立てと言ったいわゆる筆力であって、本作はもてる筆力を全て出し切ってものした大作だと思いました。


◆登場人物への感情移入

 登場人物への感情移入がしにくかったとおもいます。


・黒川美月/ミズチ:とてもかわいい。徹頭徹尾なめらかに彼女の心情は推移していました。とてもよかったです。

・葛葉レイ:とてもかわいい。途中から出てきた彼女ですが、エピソードの中で自然に溶け込んできました。が、フェイドアウト後存在がかき消えすぎてもったいない気はしました。


・湯田黄一:存在感がいまいち薄いように思いました。なぜでしょう。

 彼のパーソナリティを追ってみると、

 ・彼自身の手がかりがなく得体が知れない。

 ・言動がかなり不自然で、感情移入が阻害されてしまう。

 霧争氏とのやりとりやレイとの会話で悪役としての面が早いうちに割れますが、これは作者の想定内と思います。真の目的が読まれなければそれでいいのですからね。

 ・全てを駒につかって直人に【己の存在意義を託す】という、間接的なインパクトの弱さ。

 ・直人に具現化した黒衣の男の余りに強大で邪悪な力。

 これらのまえにかすんでしまった感があります。

 深遠な策謀を張り巡らせて己の悲願を達成したのはその通りなのですが、衝撃度という意味では不思議と弱かったです。

 四騎士のうちの一人、つまり自分も手駒だから?

 このあたりもう少し考えてみないとよくわかりませんが、ともかく、人物の印象自体が薄かったです。姿が消えていたから、暗躍していたからとも言えますが、それを全部加味しても、まだ物足りなく思いました。


・木徳直人:感情移入があまりできませんでした。というより、途中から急に遠くにいった感じがしました。

 本来は多分優しい性格なのだろうと思いますが、物語の登場人物の中で性格付けが非常に曖昧になっていて、小ずるいのか賢いのか優しいのか冷めているのかがよくわかりませんでした。

「怒りの日」以降、怒りの感情を表にして彼は物語を泳ぎますが、それにとらわれきったわけでもありません。

 たぶんセノバイトを操るようになってから、すでに彼ではなくなっていると考えるべきでしょうね。それ以降の彼の言動は不自然かつ不愉快で、負の感情移入しかできません。

 ラストは別ですが、そこで急に直人へ感情移入できるかというとそうではなく、美月/ミズチへ感情移入するしかない感じでした。


 直人を起点にし、美月/ミズチやレイへと感情移入を移していくのが自然な読み方なのでしょうか。最初喜怒哀楽と無縁であったミズチが徐々に感情を得ていったのにも通じています。しかし、読んでいる最中は、現象を理解しつつも感情移入がスムーズには行かず、難しかったです。


◆選評を見てみる

 最後に、選評を見てみました。

 本作は第26回スニーカー大賞の最終候補作と言うことで、このときの選評を若干振り返ってみました。残念ながら本作に触れた選評はありませんでしたが、一部引用します。


引用「最終選考に残った7作品は、いずれも高い筆力で自分の「好き」を突き詰めて描きだしており、選考は昨年以上に難航しました。」

引用「今回の最終選考は非常にレベルの高い作品が集まりましたが、「キャラクターや、キャラクター同士の掛け合いから生まれる魅力」もしくは「作者にしか描けない世界観」のどちらかに偏った作品が多く、二つをバランスよく併せ持った作品として」受賞作が選ばれた、とのことです。


 本作は「作者にしか描けない世界観」その通りと思います。選ばれた二作とも優秀賞だそうで、大賞ではありませんでしたが…スニーカーは大賞でにくいはずですので、致し方ないですかね。

 ライトノベルの分野はキャラ立てを非常に意識しています。一つには、マルチメディア展開(特にアニメ化)を視野に入れたとき、キャラにインパクトがないと難しいから…という面は否めないと思います。


 そうでなくとも、現代のエンターテイメント小説は「まずキャラありき」のように感じます。そして、「物語に自分を投入したり、登場人物の中に自分を見いだして共感を得る、感情移入する」よりも「個性際立つキャラそのものの活躍を見て作品世界を愉しみたい」という要請が、読者の中にある気がして仕方ないんですね。


 なので悪役だろうが主人公だろうが、モブだろうが、登場人物たちそれぞれがかなりの裏設定を持って群像劇的に動き出せる状態になっている、そんな小説が望まれているような気がします。

 小説以外のIP戦略という側面を除いても、ライトノベルの世界は、昔からマンガやアニメととても近い位置にいると思います。文芸的な手法である「物語から生みだす読者の感情移入」よりも「強い」「頑張る」「明るい」「楽しい」「笑える」「切ない」「キャラ」に心を動かされて物語を愉しむ方向がなじみ深いとも言えるのではないかと。


 読者に受けるエンターテイメント小説を書くのは、本当に敷居が高い…そんな風に思いました。


◆最後に


 本作の執筆、お疲れ様でした。たのしみました。

 私も筆力を育てて何か一編でも長編をものしてみたい。そう思わせてくれる力強いお作でした。

 今後のご活躍を心からお祈りいたします。


 ありがとうございました。

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