第20話 サイドストーリー/テオの章Ⅱ

※ヒロイン神子テオのエピソード

※本編エピソードの根幹となるネタバレを含みます、本編読了後に読むことをおすすめします


亡命生活を始めてからずっと、テオはとある夢を毎夜のごとく繰り返し見ていた。


それはジルカースと皆と死に別れる夢。

その夢の中で立ち並ぶ神像の姿は、母国である東国の城内のそれのようでありながらどこか違う、妙な光景だった。


どうしてこんな夢を見るのか、テオは最初のうち不思議だった。

不吉な夢であることも関係していたが、予知夢かもしれないと思い至ったのは、山賊の根城でデオン・ギロに遭遇してからであった。

ジルカースや仲間たちを危険に巻き込んでしまう禍い、自分の身の危険をも感じる底の知れない相手。

予知夢もこれまでに時折みる事はあった。おそらく神子という神職に就いている事と関係があるのだろうと思われた。


デオンはテオの祖国東国の精鋭部隊長であったが、テオが面識があった精鋭部隊長ギロとは違う人物であった。

面影はあるところから察するに、おそらくデオンはそのギロ氏の息子であろう。

政府軍が入れ替わってなお、精鋭部隊長に就く家柄というのが引っ掛かったが。


テオは幼少期から滅多に外出することを許されず、聖堂内にて軟禁状態で生活していた。

しばらく面会がないうちに、外の人々の間で何があったのか、詳細は不明だったが、テオを亡命に至らせたのは彼らであるし、容易く信用するのは危ないとテオは察した。


***


そうして逃亡を続ける中で、南の共和国へ入り、ヘンゼン博士から祖国東国で行われている不穏な研究のあらましを聞いたテオたちは、貸し与えられた宿屋の一室にて貴重な安息の時を得ていた。

夢枕についたテオの意識に、ゆっくりと流れ込んでくるのは、あの不吉な予知夢。


玉座の間に設置された、仰々しい神像装置らしきものの間に、テオはひとり立たされていた。

傍に立つのは、朱い不死鳥羽のピアスを身につけた長い黒髪の男である。感情を宿さぬ三白眼の吊り目が、じっとこちらを見る。


“私はレビィ・ザイアッド、貴女のことは幼少の頃より存じております“


彼は言う“貴女は神子であるがゆえに、次代の神へと成り変わるのだ“と。

テオは言われている意味がわからなかった。

けれども嫌に現実味があって、胸の前に組んだ手に滲む汗も、じっとりと気分が悪い心地がした。


“さぁ、貴女にとって最期の神子である使命を果たしてください“


同時にテオの周囲に集っていた人々から拍手が湧き起こる。

その中にはテオの亡命の最中で亡くなった両親や祖父らの姿もあった。


“人の身を捨てて神に成り代われ、それがお前の最後の宿命だ“


どこまでも感情を宿さぬ彼らの目線がそう語っているようで、テオはたまらなく怖くなった。けれど助けてくれる人影はどこにも見当たらない。

当然である、テオは幼少の頃から“人ではなく純粋な神の信徒として育ってきた“のだから。


テオも幼少期から神とは信託などを交えて交流を重ねてきた。

けれどもテオにとって神は、信仰する存在というより“幼少期から唯一まともに人として交流をしてくれる相手“であった。


神は、ジルカースは、思えばどこまでも純粋で、テオと年嵩も同じように歳を重ねてきた。神とはいえど、テオにとっては“その実、人間のような存在“なのであった。

一方でテオは、人間たちからは人と扱われず、神の意思を伝え聞くためのパーツとしか扱われていなかったことを思い知る。

父も、母も、祖父も、愛情の蓑に隠しながら、テオにひたすらその習いばかりを教え込んできたのである。


神に恋心を抱くなど、不信心者であるとテオは思ってきたが、しかし、残酷な無限機関の中に組み込まれた自分である以上、はじめからそんな些細な感情を持つことすら許されていなかったのだと気付かされる。


テオが何をどう思おうと、この今際の際を迎える時になっては争うすべもなかった。


その時だった。

両脇に並んだ神像装置から、神々しい光が溢れ、同時に聞き慣れた声が聞こえてきた。

いつもならば夢はここで途切れるはずなのだが、今日は違った。


『テオ‼︎』


確かにテオの名を呼ぶその声は、どこまでも懐かしく、愛おしく、テオの生きたいと願う思いを繋ぎ止めようと、こだましながら繰り返し響いてくる。


「ジルカース……!どこ、どこにいるの⁉︎」


“生きたいと、貴方と共に生きたいと、そう願ってもいいの?“


テオの問いに応えるように、光の中から黒衣をはためかせジルカースが現れる。そのまま軽々とテオの身を抱え上げた。


『君は俺の希望だ、これまでも、これからもずっと』


“だから、どこにいても必ず迎えに行く“


初めて耳にするはずのその言葉は、不思議なことに何度も聞いた言葉のようで、安堵感と共にテオの心にじんわりと染み渡ってゆく。


***


そのまま、テオはひとり早朝の宿屋の一室で目を覚ました。

皆それぞれ静かに眠りについている中で自分だけが目覚めたことに、不思議な“納得“を得る。


“みんなのこの安息を、これ以上邪魔してはいけない“


自分が亡命しているという事実に巻き込んで、これ以上付き合わせてしまうことが、なぜだか無性に申し訳なく思われてしまったのである。


寝台から降りたテオは、向かいのソファの上に眠っているジルカースのそばに立った。

眠っている時のジルカースは、平素のぎらりとした眼差しもなく、昔の神であった頃の面影に近くなるのだなぁとテオは思い至る。

整った目鼻立ち、いつもより少し幼い面差しの頰を、起こさぬようにそっと撫でる。

その途端、好きという気持ちと、共に生きたいと願う気持ちが濁流のように溢れてきて、テオは胸を抑えた。


「だめよ……私の身勝手でこのままみんなを危険に巻き込むわけにはいかない」


テオは震える手を胸の前で組むと、ぎゅっと押さえ込む。

そして、ふと目に止まった手近のテーブルにあるメモとペンで、おそらく最後になる、皆へのメッセージをしたためることに決めた。


(大丈夫、ジルカースにはキスクもみんなも居る、私が居なくても)


けれど、ペンを急がせるほどに、その琥珀色の瞳から涙が溢れ、テオの手を止める。


“私はこの世界で唯一の神子、神に仕える私が皆を不幸にすることがあってはならない“


それはテオが心から願おうと願うまいと、もはや呪いのように染み付いている言い聞かせであった。

夢の指し示すところが、どこまで予知夢なのか、正夢になるのか、それはわからない。

けれど皆と違って武力を持たぬテオが、唯一ちからになれる事といえば、再び必要だと言われるまま、母国へ帰還することであろうと思い至ったのである。

たとえそれが我が身を危うくすることであろうとも。


「ありがとう、ジルカース、ごめんなさい」


去り際のドア前で振り返るも、さよならの言葉だけは言えなかった。

新月の沈みきらぬ早朝のこと、その心の片隅に“ジルカースと共に生きたかった“という願いを残して、テオは姿を消した。


***


それから幾年かして、テオはジルカースと我が子のゼロと愛犬のライと、共に暮らしていた。

あの日別れを告げた時は想像すらしていなかった未来。

テオが心から願ってなお、欲しいと望めなかった未来がそこにあった。


あの南の共和国での別れののち、ジルカースは身を呈してテオを助けにきてくれた。

それは予知夢のそれと全く同じではなかったけれど、ひとつだけ確かに同じことがあった。


それは婚姻の日にジルカースがテオに誓ってくれた言葉だった。


「俺には誓うべき神もいないが、約束しよう。“テオは俺にとっての希望“だ、何があっても必ず守っていくから」


“イヨッ、さすがジルカースの旦那、男前!“というキスクの言葉に、珍しく照れた顔をしていたジルカースを思い出して、テオはふふっと思い出し笑いをする。


「かあさま、どうしたんですか」

「ふふ、ちょっと昔のことを思い出してね」


息子のゼロももう四歳になった。その面差しはテオにもジルカースにも似ていて、日に日に頼もしくなってくる。

それでもテオは、昔の自分のように下手に達観した“大人びた子供“にはなってほしくない、と願っていた。

その時、川べりからライと共に戻ってきたジルカースが二人に声をかける。


「テオ、でかい魚が釣れたぞ、今日はこいつで一品作ってくれるか」


テオがジルカースと結婚してからというもの、すっかり彼女の趣味の一環として定着した家庭料理。

これまでテオが自分個人で楽しむために作ることはあったが、“美味しいと微笑んで共に食べてくれる家族“はいなかった。

彼女にとっての肉親や家族は、悲しいが“神子の血を繋ぐための繁殖機関“でしかなかったのである。

ふと寂しそうな表情をしたテオに、ジルカースが心配そうな顔で問いかける。


「どこか具合が悪いのか?それなら今日は俺が料理を」

「ありがとう、大丈夫よ」

「かあさま、無理はしないでくださいね」

「うん、今の私には温かく迎えてくれる家族がいるから、大丈夫よ」


それを実感するたび、テオは“自分はもう永久機関の部品として扱われる人生からは解放された“と思えた。

手を繋いで三人と一匹で帰る家路、夕暮れに長く伸びた影。

戯れるように股下をくぐるライをかわしながら、二人の間ではしゃぐゼロの影がぴょこんと跳ねる。

夕飯を楽しみにするゼロの鼻歌に、ジルカースは人間くさく笑って、つられるように不器用に鼻歌った。


(この幸せはジルカースが、みんなが繋いでくれた幸せ。ずっと無くしたくない)


この時が、この幸福が、この先もついえることなく、ずっとずっと続くようにと願いながら、テオはソプラノの歌声を合わせた。

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