第16話 読み切り短編 ジルカース編
※ジルカースがグライドと別れたあとキスクと出会うまでの間のお話
※新規登場女性キャラとの微妙なフラグあり
グライドが蒸発して姿を消してからしばらく、ジルカースは誰とも深く関わる事無くひとり放浪していた。
信頼していた人も、大切にしたかったものも、見つかりそうだったのにすべて指の隙間から逃げて行ってしまった、そんな心地だった。
それでも、
”自分にはそんなふうに大切にしたい何かがある、自分はそれを探しもとめてこの世界にやってきた”
それだけは、記憶を無くした己の中にも、確かに確信としてあった。
彼女、アルマと出会ったのは、そんな胡乱(うろん)な道程の最中であった。
***
雲間から三日月の照らす夜更け。
女が叫ぶ声を耳にしたジルカースは、ひとり路地裏で吸っていた煙草の煙をくゆらせながら、声のする方へと向かった。
「やめなさいと言ってるでしょう!この子は孤児のようですからうちで面倒を見ます、あなた達はお帰りなさい」
「こいつ……俺たちに歯向かえばどうなるか知ってて言ってるのか?」
そう言ったのは奴隷狩りらしい無作法者な男たちだ。
女が背後に守った子供を奴隷として狩るために付け狙っていたらしかった。
月明かりにぎらりと反射させ、手にした刃を振り上げる。
庇っていた子供に覆い被さるようにして、女が身をていして守ると同時、男の刃に銃弾が命中し、はるか後方へと弾き飛ばした。
路地奥から現れたのは、グライドから託されたリボルバー銃に馴れた手つきで弾込めするジルカースだった。
今や数多の標的を屠ってきたその鋭い眼光が、訳を知らぬ男たちの身をも、自然と震え上がらせる。
「くそっ、命拾いしたな……!」
男たちは惜しい獲物を前に、踵を返すと舌打ちして逃げていった。
「危ない所をありがとうございました、私はアルマといいます、お名前をうかがっても?」
”ジルカース”の名を聞くなり、アルマはへぇ、とどこか聞き及んだ人間を目にするような返答を返した。
「お噂は”うちにも”届いていますよ、珍しく”神力”を使われる暗殺者だとか」
「俺を知っているとは、お前は闇社会の人間だな。しかし神力とはそんなに珍しいものなのか」
ジルカースが問いかけると、アルマはつらつらと噛み砕きながら解説してくれた。
―――神力とはごく一部の者が持つ力であること。
―――その力を有するものはごく稀と言われており、現在では新進気鋭の暗殺者ジルカースやその他一部の人間にのみ能力の使用が確認されていること。
―――他にも神力を使う者がいるのやもしれないが、まだまだ未知の領域であること。
そして裏社会の情報としては、その昔、東の国で神力の研究をしていた者が偶然にも不老不死の力を発見し、何者かに投与したらしいが、いまひとつまゆつば臭が大きいところがあるという事も。
「それだけ知っているということは、情報屋か?それとも、俺の敵か?」
表情を僅かに曇らせながら、ジルカースはすかさず、腰に装備したもうひとつの武器である刀の柄に手を添える。
「そう身構えなくて大丈夫、私も闇ギルド関係者です、今はまだたまごだけど」
聞けばアルマは、闇ギルド幹部を父に持つ娘らしかった。
闇ギルドは混沌とした場所だ。
奴隷狩りに加担する人間がやってくることもあるし、それらを狩る人間が情報を得るためにやってくることもある。
正否があやふやで、どちらにも加担しないことを売りとしている、それがこの世界の闇ギルドである。
アルマがそんな闇ギルド関係者だとは。
闇ギルドの人間らしからぬ正義感を見せた第一印象からは、到底想像もつかない。
ふとその穢れのない精神に”大切な誰か”を思い出しそうな感覚を覚えたジルカースだったが、その面影はあるはずのない記憶の向こうへ、霞のごとく消えてしまった。
「近頃噂のソルティドッグの身内にでも転身した方がいいんじゃないか」
ジルカースが口にした”ソルティドッグ”という人物は、近頃世間を騒がせている”奴隷狩りから子供たちを救う女賞金稼ぎ”の名である。
噂によればその名は偽名であり、その容姿はハンドガンを巧みに使いこなす老女のシスターとも、年齢不詳の軍人上がりの女とも言われていた。
助けた子供たちを私兵として鍛え上げ、そうしてまた救われぬ子供たちを助けにおもむくのだ、とも。
詳細がはっきりしない、謎の多い人物であったが、確かにその名の人物による子供たちの救出譚は各地で情報として上がっていた。
「ふふ、よく言われるわ。まぁ私はそこまで戦いが得意じゃないから、足元にも及ばないでしょうけど。さぁ、もう夜も遅いから、良かったら入って」
ジルカースの言葉を肯定したアルマは、助けた孤児の子供を伴いながら、ジルカースをギルド内部へといざなった。
***
行く宛てもなく放浪生活をしていたジルカースだったが、アルマとの縁もあり中央都市のはずれにある闇ギルドに一時的に厄介になる事になった。
”未熟なアルマがいっぱしの闇ギルドマスターになるまで用心棒をして欲しい”と、彼女の親父さんから頼まれたのである。
「あんた暗殺者と言うには真っ直ぐでいい目をしてる、信用してもいいかい?」
そう言ってからからと笑ったアルマの父にどこかグライドに似たものを感じて、ジルカースは自然と頷いていた。
アルマ一家と同じ屋根の下で暮らすようになったジルカースだったが、しかしそこでトラブルが起きた。
ジルカースはめぼしい共同生活をしたことがあったのは気心の知れたグライドくらい、しかも彼はすこぶる酒癖が悪かった。
その良くない慣れが出てしまったのである。
アルマの親父さんに薦められるまま、様々な銘柄の酒の味をしめてしまったジルカースはほどなくアルマに叩き出された。
夕飯前の時刻で楽しみにしていたジルカースは、おたまとフライパンを手にしたアルマにより門前に叩き出され、初めて叱られた子供のようにきょとんとした顔をしていた。
「のんだくれはもううちには必要ない」
ぷりぷりと怒りながら戻って行ったアルマと入れ違いにやってきたのは、あの初対面の日助けた孤児の少年ティルソだった。
アルマを姉のように慕い、すっかり懐いていた。
「ジル兄、酒の飲みすぎは確かによくないと思うよ……」
ティルソはどこか失望したかのような、しらけた視線を投げて、アルマの後を追い家へと戻って行った。
程なくやってきたのは、申し訳なさそうな表情をしたアルマの親父さんだった。
「すまんね」と苦笑って、ジルカースにアルマが怒っている事の詳細を話して聞かせてくれた。
「アルマの兄、ライアスは酒からくる病で早くに死んじまってな……あいつは極度の兄さん子だったから……酒というものが憎いんだろう」
路地を駆け回る野良猫を眺めながら、親父さんはどこか物悲しそうに、ライアスの酒のストックを捨てられずに嗜んでいることを明かしてくれた。
「あんたを見てるとつい亡くした息子を思い出しちまって、どうか気を悪くしないでくれ」
自分が親父さんにグライドを重ねていたように、親父さんも自分へ亡き息子を重ねていたのだと、ジルカースはその寂しげな表情から悟った。
ふと、師匠グライドが”酒は人の人生を映し出す鏡だ”と言っていた事を、ジルカースは思い出す。
それゆえに、酒の力に溺れてしまう者もあると。
酒は人を不幸にすることもあると知ったジルカースは、幸いにしてそれ以降は酒との接し方を少し変える事となった。
***
そんなある日、アルマたちの闇ギルドに政府からの尋問の手が入った。
奴隷狩りに関して口を出していると疑われていたためだった。
「私は尋問官のヘイストである、このギルドは政府のやり方に楯突く組織なのか?」
尋問官と名乗る長い金髪の男は、ギルド内に入ってくるなり、何かに苛立つ様にしきりに歯軋りをしている。
そうして、ふと、怪訝そうな目線を向けていたアルマに注目した。
「女、その反抗的な目はなんだ?文句があるなら言え、まぁ政府組織を前に言えたならの話だが……!ハハッ」
奴隷狩りをしている事に対し、完全に開き直った様子のヘイストに対し、アルマは心底胸糞悪いものを見るような目で睨みつけた。
我が身を危うくするようなアルマの様子を案じたジルカースが、ヘイストとの間に割って入る。
それを見て、ヘイストは目付きを鋭くさせた。
「ほう、この私とやる気か?」
次の瞬間、尋問官ヘイストの細長い剣がジルカースの目の前へと振りかぶられる。
ジルカースはすかさず抜刀し受け流すと、鍔迫り合いの形に持ち込んだ。
金髪碧眼のその男に対し、ジルカースはどこか懐かしい雰囲気を感じたが、それが誰の面影であるかまでは思い出せなかった。
(こいつ……強い!)
弾き返されないように刃を合わせる手に力を入れると、ヘイストの肉体が鍛え抜かれているのがよくわかった。
しかし、ジルカースとて長い暗殺任務の中、生き残るために鍛錬を重ねてきた身だ。負ける気は毛頭なかった。
鍔迫り合いの状態のまま、ジルカースは腰裏に装備した銃を抜き放つ。
相手からは見えていないだろうその瞬時の手さばきで、ヘイストの頭部にピタリと突き付ける。
(命が惜しかったら変な真似はするな)
引き金に指をかけて圧力をかけながら、目線でそう脅しをかけると、ヘイストの顔が怯えたように強張った。
冷や汗が一筋、ヘイストの額を伝う。
(こいつ、ここまで強いのに、まだ生死をやりとりする程の戦いをした事がないんだな)
足をガタつかせ、悔しそうな表情を浮かべる尋問官から銃を押し戻すと、ジルカースは刀を鞘へとしまい込んだ。
それはもう相手に敵意がない事を察したゆえだった。
強者との戦いを好む傾向があったジルカースは、少しばかり残念な気持ちをそっと思考の片隅におさめる。
しかし、ヘイストとて尋問官として何も結果を出せずに引き下がる訳にも行かない。
しばらく焦るように歯軋りをしていたが、ふと目線の先に止まったライアスの遺灰瓶に視線をとめた。
ヘイストは悪戯の種を見つけた幼子のような顔でニタリと笑うと、遺灰瓶を掴んで壁に向かって投げつけた。
バリンと瓶が割れる音が響き渡り、居合わせた皆の視線がそちらに集まる。
さすがの珍事に、ヘイストの仲間の兵二人も戸惑いを隠せない様子だった。
静まり返った空間に、無常にもはらはらと遺灰が飛び散り霧散してゆく。
それを目にしたアルマの瞳に、瞬く間に怒りが宿っていくのが分かった。
ジルカースの隣で、武器ひとつ手にしていないアルマの手が、ぎりりと泣くように握りしめられる。
いまだに心からの憎しみというものを感じたことがないジルカースでも、その時ばかりは怒りが渦巻くアルマの心中を察する事ができた。
「ジルカース、あなたの神力の能力は”対象の記憶を消す”だったわね」
ふと、その様子とは裏腹に、冷静すぎる冷静な口調でアルマがジルカースに問いかける。
ああ、と頷いたジルカースにアルマは涙を湛えた瞳で言い放った。
「アイツの記憶を消して、生まれた時の記憶も何もかも、全部」
アルマの穢れのない精神が、目の前で静かに澱んでいくのを感じながら、ジルカースは人の世の無常を噛み締めるように頷いた。
「女、私が憎いだろう?切り殺してみるがいい、出来ないだろうがな、ハハッ!」
ひとり笑い転げているヘイストの前に向き直ったジルカースは、物言わずその額に手の平を当てると、そっと精神を集中させた。
(こういう人の心を蔑ろにするような人間、俺も見ていていい心地はしないな、こいつにどういう生い立ちがあったにせよ、こいつは許されない事をしてしまった―――)
全ての記憶を失うという事がどれほど残酷な事か、ジルカースは身をもって知っていた。
それゆえに、死よりも過酷であろうその現実を、この目の前の愚かで残酷な男に与える事が出来たのかもしれない。
もしくはグライドが蒸発して以降、ジルカースの中にぼんやりとあった希死念慮のようなものがそうさせたのだろうか。
ジルカースは記憶を失うヘイストに、少なからず記憶喪失だった頃の己の姿を重ねていた。
『さようならだ、ヘイスト』
ジルカースは僅かに滲んだ視界で、記憶を失ってゆくヘイストを見ていた。
***
その後、尋問に訪れていた兵たちは”記憶を丸ごと無くしてしまった図体だけ大人の子供”を連れ、戸惑った様子で帰って行った。
アルマたちはと言えば、身を隠すためにギルドをたたむことを決意したようだった。
「アルマの気性からしてこれで良かったんだよ」と言った親父さんは、新たな住処を確保するため先んじて街を立っていた。
アルマは今や実弟のようになったティルソを伴い、街を出る支度を進めていた。
アルマはジルカースへ背を向けたまま、大切にしていた名工のカップとソーサーを荷物へ仕舞いながら言った。
「ジルカース、あなたその暗殺術は、今はまだ明るい使い道が分からないかもしれない。でもいつかあなたのその技を必要とする誰かが、きっと現れる、私はそう信じてるわ」
「……ああ、ありがとう」
ジルカースはといえば、一時の居候であると分かっていたはずなのに、アルマとの別れの時が訪れた事を心苦しく思っていた。
グライドの時のように、またこの別れの時が来てしまったと、どこか諦めのようなものすら生まれていた。
「アルマ……達者で暮らせよ」
「……ああ、それと」
背を向け、どこへともなく立ち去ろうとしたジルカースへ、アルマがふと呼び止める。
「あなた女性の名前を呼んでたわよ、”テオ”って名前、身に覚えがない?」
「……知らない名だな」
「そう……」
ジルカースに言葉少なに返したアルマは、困った弟に言い聞かせるかのように苦笑ってから言った。
「思い出せなくても、きっとあなたにとって大切な人なんだわ。眠ってるときのあなた、いつも彼女の事を呼んでいたから」
そういえばアルマの前で何度か昼寝をした事があったな、とジルカースは思い出す。
そんなほんの僅かな他愛ない日々すら、今はもう懐かしかった。
(テオ……どこか聞き覚えのある名前のような……なんだ?このどこか懐かしいような感覚は)
何かを思い出せそうで、思い出せない。
それはまるで記憶にモヤが掛かったようだった。
ひとり無くしたはずの記憶の向こう側をさぐるジルカースに、アルマはそっと歩み寄った。
「ごめんなさい、最後にひとつだけ、わがままを許して」
隙を見せる事など滅多にない暗殺者ジルカースの隙をつくように、アルマはジルカースの唇を不意に奪った。
予想外の出来事に焦ったように戸惑うジルカースに、アルマは潤んだ瞳を困ったように僅かに伏せて苦笑った。
「あなたが誰を思っていても、私は、あなたの事……」
そこまで言ったところで、アルマは涙で声を詰まらせると、奥の部屋へと消えて行った。
まるで”このまま出ていって”と言うように。
ジルカースも、裏社会と縁を切ろうとしているアルマに、これ以上無駄なしがらみを残したくはなかった。
ちりりと痛むように沸き起こった、微かな胸の痛みを押し殺す。その理由も分からぬままに。
「さよならアルマ、元気で」
そう言い残して、ジルカースは闇ギルド跡地をあとにした。
アルマが中央都市を立ったとジルカースが噂に聞いたのは、その翌日の事だった。
***
それから3年ほど経った日のこと。
アルマが南の共和国で釜焼き職人を始めたとの手紙をティルソが書いて寄越した。
ジルカースはキスクを相棒に迎え、本格的に名の知れた暗殺者として慌ただしい日々を送っていた。
キスクの出払った時間帯を見計らって、そっと手紙を開く。
ジルカースに明かした事は無かったが、アルマはどうやら焼き物などの美術品を眺める事が趣味だったらしい。
美術品の写真を切り集めたスクラップブックを大切に保管していたらしく、
「俺は何度も見せてもらったけど、ジル兄は知らないだろ?」
と、文面だというのにティルソにどこか得意げに謎のマウントを取られた。
「俺だってあと5年もしたら、ジル兄よりいい男になって、アルマを驚かせてやるからな!」
なんだか少し頼もしくなったティルソを微笑ましく思いながら、ジルカースははるか南の土地で職人として充実した人生を生きるアルマを思った。
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