第3話 集う同胞(はらから)たち~四人の運命人~
レンガ塀や漆喰壁の建物が立ち並ぶ、中央都市コウトクの真昼の路地を、東国の神子テオは必死に駆けていた。
(この子は聡い子だわ、私が何を避けて居るか知っている)
追っ手から逃げる途中、三歩ほど先を駆けて行く飼い犬のライを追いかけながら、テオはふと昔の出来事を思い出す。
幼い頃、めずらしく外出を許され、母と隣町まで出かけた時のこと。
テオは物珍しい露店の品々に目を奪われ、うっかり母の手を離してしまった。
人混みに揉まれ流され、母を見失い泣いていたテオの所へ、当時野良の子犬だったライがやって来て、導くように送り届けてくれたのだ。
それからテオはライと共に暮らすようになった。
寝る時も食事の時も、片時も離れたことはなく、人間で言うならば兄弟や友達のような、むしろそれ以上の距離感だったろうと思う。
(ライ、この先に安全な場所があるの?私をどこへ導こうとしているの?)
テオは依然として消えない不安と焦りに苛まれながら、時々つまづきそうになりながらも、必死にライの後を追いかけた。
その時だった。開けた路地の向こう側に、あの日出会った名も知らぬ青年が居た。
短い黒髪に和装風の黒衣を纏っており、左耳には青の宝玉とタッセル装飾のピアスを靡かせている。
「……!」
"お前は俺のなにを知っている!?答えろ!"
あの日、なぜか必死の形相で、テオにそう問いかけた黒髪の青年。
あの時はお互いに余裕のない状況であり、また青年があまりに鬼気迫る表情をしていたゆえに気づかなかったが、今見ると不思議とどこか懐かしい面影を感じさせた。
「君は……」
そう言ったきり口を噤んだ青年は、前回とは打って変わってどこか切なげな、歯がゆそうな表情を見せる。
その意味が分からないテオが、両の手を胸に口ごもっていると、青年が突如としてテオの手首を掴んだ。
「追われているんだろう?共に来るといい、悪いようにはしない」
そう優しい言葉を掛けてきた青年に、テオは正直戸惑ったが、ライが襲いかかるような様子はなく、不思議とそれだけで信用して良いのではないかという気にさせられる。
「俺の名はジルカース。君の名はテオだな、知っている。君はもう忘れているかもしれないが……」
ジルカースの和らいだ面影が、ふとテオの中で幼い頃に水鏡越しに見ていた”彼の人の姿”と重なる。
その瞬間、青年と繋がれたテオの手に、不意に熱がこもった気がした。
そうこうしているうちに追っ手たちの声が遠く耳に飛び込んできて、テオは考える暇もなくジルカースに手を引かれるまま駆け出していた。
***
川沿いの露天外を悠長に買い物していたキスクの背後を、慌ただしい国軍の軍勢が通り過ぎてゆく。
やれやれどこのどいつだ、面倒ごとは関わりたくないもんだななんて思いながら見遣れば、相棒のジルカースが見知らぬ女性を抱え上げて犬と共に駆けてゆく最中だった。
「……え…………えっ!?」
キスクは驚きのあまり、事情を露ほども知らぬ露天のおやじと、ぱちくり目を見合わせた。
あの堅物暗殺者のジルカースが、女など興味が無いとでも言うように靡かなかったジルカースが、あろうことか女性を抱えて逃げているのだ。しかも可愛いかった。これはとんでもない青天の霹靂だ。
「確かにこの前は女の名前を寝言で呟いてたけどさぁ!?」
それにしたって物の順序を知らなさすぎるだろう、と慌てて追いかける。まさか人攫いをしてきた訳ではあるまい。
通り慣れた路地裏に逃げ込むのを見届けた所で、彼らが遠回りをして向かう先を察したキスクは、先回りしてドア越しにジルカースたちの到着を待っていた。
近付いてくる犬の息遣いと足音、そして国軍たちの声を察して、最低限度の隙間でドアを開ける。
あらぬ限りの力で片手で彼らを屋内に引き込んだ。
そのまま続くように路地裏の角を曲がって追ってきた国軍たちの気配を見送ると、キスクはようやく二人と一匹と言葉を交わした。
「お前、なぜわかった」
「だてに旦那の相棒してないですよ!で、この可愛らしいお嬢さんとワンコロは?」
聞けば彼女がジルカースが夢現に名を呼んでいた"テオ"その人であるらしかった。犬は彼女の飼い犬で、どういう訳かここまでずっと導いてくれていたらしい。
彼女たちは訳あって国軍に追われているようで、窮地にあった所をジルカースが急遽連れ立って逃げて来たらしかった。
まだ戸惑いを隠せない様子のテオが、おずおずとキスクを見る。
「あの、彼は……?」
「ああ、こいつは俺の相棒のキスク、信頼して大丈夫だ」
ジルカースからそう紹介されてようやくほっとしたらしいテオは、改めて己の身の上を明かした。
「ここでも国軍が出ているということは、もう手配されているという事ね。私はテオ、東の国で水鏡の神子をしていました。今は反逆の罪を着せられ、亡命しています」
「反逆……?一介の少女、それも神子さんがどうしてまた?」
『あの国は以前から内乱が絶えなかったからね、大方その障害になるとあらぬ罪を着せたんだろうさ』
部屋の奥、闇ギルドのある方向から、会話にわりこむようにしてやってきた短い赤毛の女は、"悪いね、勝手に聞かせて貰ったよ"と言って、一枚の名刺を差し出した。
「賞金稼ぎ……アイラ・ソルティドッグ……!?」
名刺に記載されていたのは、あの世界的に名高い女賞金稼ぎの名であった。
驚いた様子のキスクの前を素知らぬ顔で横切ったアイラは、真っ直ぐテオの元へ向かうと、その足元にしなやかに膝まづいた。
そのまま、家臣が王にするうやうやしい仕草の様に、黒いグローブ越しにテオの片手を握った。
「ここで会ったのも何かの縁だろうね。私は過去に、神子様のご家系に助けられた闇の一族。今こそ、そのご恩を返す時」
「東の国の、闇の一族?もしかしてあんた……」
思い当たるふしがある様子のキスクに、アイラはそっと頷き立ち上がると、改めて一同に自己紹介をした。
「あたしはその昔、東の国で王の側近をしていた一族でね。過去にあった内乱で、同じように一方的に反逆の罪を着せられたのさ。そこから逃げる時、神子様の一族に助けられたんだよ」
自己紹介を聞いたテオは憂いげに瞼を伏せると、やや困惑げにかぶりを振った。
「でも、それは恐らく神託がそう告げたからだわ。父様もお爺様も皆”人の情けよりも神託が優先”という、厳格な方だったから」
「それでも、神の気まぐれでも……私はあなた方に助けられた。先立って死んだ一族の為にも、今はこのご恩を返させちゃくれないか」
そう言ったアイラの肩に彫られた、どこか見慣れた刺青がテオの目にとまる。
テオの意識に、以前に資料室で閲覧した”十数年前の東の国の精鋭部隊長の印”がよぎった。波打つ様な龍の刺青、見間違うはずが無い。
アイラの言い分に一定の信ぴょう性を感じたテオは"わかりました"と言って、差し出されたアイラの手のひらに、そっと己の手をかざした。
「まぁなんにしても、ここから逃げるとしたら仲間は多い方が頼もしいよな、しかも天下のソルティドッグ様と来た、なぁ旦那!」
景気付けるようなキスクの言葉に、それまでどこか斜に構えた様子で静観していたジルカースは、少しの沈黙の後「そうだな」と頷いた。
「しかし、この街に居る事が国軍に割れてしまった以上、街には厳戒態勢が敷かれるかもしれん。そう易々と逃がしてくれるだろうか」
もっともな言葉に憂うテオとキスクに、アイラは"気にするこたないよ、あたしに良い案がある"と微笑んだ。
***
本格的な逃亡劇は真夜中に決行された。
中央都市コウトクの闇ギルドの一室に集った四人と一匹、そしてアイラの手下の子供たちは、入念に作戦を確認すると、身支度を整え荷馬車に乗り込んだ。
「まさか奴隷に扮して街を脱するとはな」
「手枷ってこんなに重いのね」
「この街も裏では下層民の奴隷狩りに加担してた事は知ってたけど……目の前の敵を欺くのに大敵を利用するとはねぇ。俺、そういうしたたかな女は嫌いじゃないぜ」
直ぐに外せるダミーの手枷を身に付け、奴隷に扮したジルカースとキスクとテオの三人は、アイラが導く手綱の荷馬車に設えられた檻の中から彼女に語りかける。
「そりゃどうも」
テオの飼い犬のライを行儀よく横に座らせたアイラは、皮肉か賞賛か、いずれにせよキスクの言葉をポジティブに受け取った様子だった。
そのまま、レンガや漆喰の塀が並ぶ閑散とした真夜中の街中を、気取る様子もなく堂々と通過してゆく。
荷馬車の周囲をぐるりと囲んだ精鋭部隊の子供たちには、国軍の奇襲に備え、念のため周囲を見張らせていた。
そうこうしているうちに街の出口の正門にたどり着く。
一同に緊張が走った。
「通行証を出せ。ああ、お前か、いつもご苦労」
何事もなく、それどころか穏便すぎるほど容易に通り過ぎた事に、三人は荷馬車の檻の中で驚きながら顔を見合わせた。
一方でジルカースとキスクは、アイラが敵を欺くために度々この手を使っているであろう事に気付き、納得する。
噂に違わず子供たちを奴隷狩りから救い、私兵として鍛え上げる一方で、あえて奴隷に扮する事で敵地をくぐり抜ける。
場に応じて、子供たちのヒーローの顔と、敵軍の顔を使い分けるのだ。
一時的に子供たちの悲しみを甦らせることになろうとも、強く結束して生きる事を選ぶ。
それは紛れもなく噂に聞くアイラ・ソルティドッグの逞しい処世術だった。
「さ、無事免れた事だし、関所まで手が及ぶ前にひとっ走り西国まで行くよ!」
手綱をぱしりと振ったアイラに合わせ、馬車が勢いよく走り出す。
何者にも囚われぬ月夜の広大な草原へ、ジルカースたちは荷馬車で駆け出した。
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