堕ちた神と同胞(はらから)たちの話
鳳天狼しま
第1話 序章~胡乱(うろん)の淵で~
―――月も姿を表さぬ闇夜の元、【彼ら】の運命は、混沌とした世の中で静かに動き出していた。
***
月光も届かない新月の夜。
男の声がスラム街の路地裏に響いた。
「そりゃねぇですよジルカースの旦那!」
情報提供をした仲介屋は、予定よりも多く依頼金をくすねる腹積もりだったらしい。
詰め寄られたジルカースはと言えば、その手の平から予定額をしっかり回収し、臆する様子もなくきっぱりと言い放った。
「それはこちらの台詞だ、取り分は執行者の俺が七割と言う契約だったはずだぞ、間違いなく報酬は戴いていく」
ジルカースはそのまま、相手の文句などろくすっぽ聞く耳も持たず、相棒のキスクを伴い真っ暗闇の路地裏を後にした。
頼りない街灯に照らし出されたのは、短い黒髪に和装風の黒衣を纏った青年、暗殺者ジルカースの姿だった。左耳に青の宝玉とタッセルのピアスを靡かせている。
やれやれまたかと言った様子でその後ろから現れたのは、結い上げた緑髪に白い和装姿の少年、相棒キスクだ。
「もたもたしているとまた”ねぐら”を暴かれる、さっさと行くぞ」
「はぁ、よくもまぁ毎度トラブルが絶えないことで」
ジルカースが後暗い裏稼業に身を置くようになったのは、彼がこの世界に降りてきて間もなくのことだった。
ジルカースが師と仰ぐ人間は、そこそこ名の知れた暗殺者だった。
ジルカースが今こうして荒廃したこの世界を生き抜く事が出来ているのも、ひとえに師の教えあっての事なのだが、彼とはだいぶ以前に生き分かれる身の上となっていた。
ジルカースの手元に残されたのは、今では使い慣れたリボルバー銃と刀(かたな)のみであった。
この世界にやって来た頃、ジルカースは全くの記憶喪失状態だった。
ただ分かっていたのは”この世界のどこかに自分の探している人がいる”という事だけ。
いまだその人物には巡り会えていないものの、キスクや仕事馴染みの人間など、親しい間柄の人間は増えつつあった。
しかしそんな朧気な希望を抱くには、この世界はあまりに”すさんで”いた。
金のためならどんな人間も手にかける者、最下層の困窮した人間たち。
その一方で上流階級の者は奴隷狩りや汚職に手を染め、日々どこかの国々で権力の奪い合いといった内乱が起こっていた。
けれど、そんな中でもみな絶えず希望を求め手を伸ばし、逞しく生きている。
そんな世の底辺たるもの達の、儚くも逞しい暮らしぶりがよく解るという点において、ジルカースとその相棒キスクは、この”中央都市コウトクのスラム街”を拠点に選んだのだ。
宿もなく飢えた子に情けをかける者も居れば、わが子以外は素知らぬ振りで通り過ぎてゆく者もいた。
ジルカースはそんな者たちにまじって、時折スラム街の子供に林檎を分け与えた。
「食うか」
「……!」
頷くなり林檎に飛びついた子供は、ジルカースを警戒しながらも夢中で林檎に齧り付いていた。
そのか細い手で必死に林檎を握る姿に、生気を失わぬ眼差しに、ジルカースは子供らの心の強さを、未来への微かな希望を感じていた。
誰かを暗殺して手に入れた金で、誰かを助ける、それは矛盾しているようで、一種の贖罪のようにも思えた。
贖罪を願うほどに信ずる神などジルカースには居なかったのだが、
”人はきっとこんな形で罪を犯し犯され、また一方で人を助け助けられ、生きているのかもしれない”
と、ジルカースは常日頃から感じていた。
”どこで監視しているとも分からない神を思って、過ちと善行を重ねている”
そんなどこか虚構めいた神々のビジョンは、なぜだろうか、ジルカースの中に初めから存在していた。まるで明瞭に【どこかで見聞きしてきた】かの様に。
「旦那、また難しい事考えてます?」
「……お前も相棒を名乗るならば少しは現実的な事を考えて欲しいものだな」
話しかけて来たのはジルカースの相棒キスクである。
彼はいつもへらへらしており、周りの空気をたちどころに緩くしていく性格で、本当にこの荒廃した世界で生きてきたのだろうか、と疑わせるものがあった。
しかしキスクは堅実なところもあり、特に金銭感覚に関してはジルカースよりも硬い方で、どこぞに溜め込んでいるへそくりがあるらしい。
そして極めつけはその最悪な寝相である。隣接したベッドで寝ているにも関わらず、ジルカースは夜中に何度も拳や踵で叩き起される羽目になった。
そんなこんなで、ジルカースは賑やかでドタバタとした生活には事欠かなかったのだが、そんな明るさに救われているところも実際あった。
「考えてますよ!それとも次の一件は俺に舵取らせてくれたっていんですよ!これでも昔は帝国で騎士団長やってたくらいなんで」
「暗殺術に役立つかは兎も角、作戦を練る上では少しは戦略案のひとつになるかもしれんな」
キスクはもともと、戦場で瀕死状態だった所を、初対面のジルカースに助けられた過去があった。
ジルカースから不老不死の力を分け与えられた事で、九死に一生を得たキスクであったが、ジルカースはと言えば、
”不老不死の力を分け与えてしまった、という罪の意識からくる罪悪感もあって、キスクと相棒関係になった”
という側面もあった。
(こいつを何だかんだうざったく感じているのに突き放せないのは、こいつに不老不死の力を分け与えてしまった、という罪の意識からくる贖罪なのかもしれない。神など居ないと思っているのに、贖罪か)
ジルカースはまたひとり考え込み思い至る、もしかすると人が罪を感じて自ら罪滅ぼしをするのも、神の存在を恐れての事ではなく、ただ己の中の良心が痛む故にそうするのかもしれない、と。
(だとするなら、人の心に住む者こそ神といえるのかもしれないな)
”それでも、いまの俺の心の中には、神と言える程の存在など”
ジルカースの心の中は、常にいい知れようのない虚無感があった。
それは”この世界のどこかに居る、自分が探している人”にいまだ巡り会えていないからやもしれないし、または別の何かかもしれない。
ふと横を見遣れば、ファインダー越しに阿呆面でにやついた眼差しのキスクと視線が合い、ジルカースは一転、白けた眼差しになる。
「……なんだ写真機なんぞ持って」
「また難しい顔してたから笑わせてみようかと思って。旦那の笑顔の写真とか寝顔の写真とか、意外と女に売れるんだよな、物好きもいたもんだよ〜」
その言動にどこから突っ込めばいいのか分からなかったジルカースは、とりあえず一発ぶん殴って写真機のフィルムを抜いておいた。
「ひとまず宿を探すぞ」
「おれのヘソクリがぁ……」
”大人しくしてればいい男なのに”と愚痴るキスクを伴って、ジルカースは今晩のねぐらとなる宿屋を探しに向かった。
***
その頃、ジルカースがいまだ巡り会う事の叶っていない彼の人は―――
悲運にも、孤独な亡命生活を強いられていた。街外れの廃れた教会の一室に、彼女は居た。
窓辺から薄らと差し込んだ灯台の明かりが、一瞬、彼女の長いブロンドの髪を眩く照らし出す。
彼女の名は”テオ”、東の国シュウヨウにて代々神子(みこ)の家系を継ぐ血筋だった。
「ライ、おいで」
名を呼べばすぐ身近にやってくるのは、彼女の愛犬ライだ。母国から亡命する彼女のために両親が残してくれた”唯一の家族”であった。
彼女の両親は亡命する折に行方知れずとなってしまっていた。国情からして、神子の一族は根絶やしにされる様子であったゆえに、その生存は絶望的と思われた。
東の国における”神子”とは神々よりの”信託”(予言のようなもの)を受け取る立場の神職だった。
水鏡を用いて神と対話することにより、自然災害や戦乱の種、ひいては国政に関わる危機までをも予知する、国家機密に深く関わる立場であった。
(あの方の声が聞こえなくなって一年か)
テオが正午の礼拝を済ませるといつも思い出すのは、今は懐かしい、在りし日の”神の声”だった。
水鏡に写った影を依代に、一年前までは滞りなく神よりの神託を受け取ることが出来ていた。
しかし丁度一年前から、水鏡には黒い靄と血の色が滲むのみとなり、その声はぱったりと聞こえなくなっていた。
軍議にも生かされてきた神託が無くなり、東の国の正規軍はこぞって、テオたち神子の一族へ何とかせよと急かした。
しかし人間たちの都合で神々をどうこうできるものではない。
(神にも死期などあるのかしら、あるいは神が私たちを見捨てたのか)
テオの母国、東の国の内紛は、かれこれ百年以上もの間続いていた。
神に人間を憂う気持ちがあるのかどうか、定かではないが、百年あまりの間争い続ける様は、人間ですらうんざりする行為に違いない。
(確か最後の神託は”すまない”だったか)
神が人間に謝罪して姿を消す。その詳細な顛末は誰にも知られることの無いまま。
けれど謝ったという事は”神はどこか人間に対して申し訳ないという思いがあったのではないか”という結論に、テオは思い至る。
百年もの間、争いを停められなかったこと。
その中で人間の命を数多と失わせてしまったこと。
神としての力の至らなさを謝罪したのではないか。
あくまで仮定ではあるが―――
(神もお可哀想な存在ね、散々人間に期待され利用され……今となっては国家反逆の罪をも着せられようとしている、人間の分際で傲慢とは思わないのかしら)
国家反逆罪に問われているのは、神子であるテオの一族も同じであるので、他人事では無かった。
テオには唯一の秘密があった。
それは神との秘めたる密談、誰にも語られぬ二人だけの交流があったことである。
テオは幼い頃から、水鏡越しに神と対話を重ねて来たが、それは”神もまた同じ”であった。
いや、実際のところ、神の見た目が幼子の形を取っていただけやもしれないし、その実年齢までが幼いテオと同じであったとは思えない。
しかし、水鏡の向こうの神はテオと同い年程度の、子供の見た目をしていた。
そのせいもあっただろうし、テオが外界や一般市民とは交流が少ない、軟禁された環境に居た事も関係していただろう。
テオは私的に神と交流するうちに、俗に言う幼なじみのような関係を築いていた。
(私が幼い頃から水鏡越しによく話して下さった、なのに最後の言葉は”すまない”と、この花一輪だけ)
澄んだ水辺に咲く雪色の小花、花言葉は”生きてください”
(神はこれだけ争いを辞めない人間にすら生きてと願うのね)
神々と国に永らく仕えたテオだが、このままみすみす濡れ衣を着せられ死んでやる義理もなかった。
母国から脱する折に持って出てきた”水鏡の盆”と生活物資を小綺麗にまとめると、テオとライは闇夜に紛れ東の国を脱した。
***
”アイラ・ソルティドック”
奴隷狩りが蔓延るこの世界において、その名を知らない者は居ないと言うほど、名の知れた女賞金稼ぎの名である。
賞金稼ぎであるのに、なぜ奴隷狩りと関連があるのか、それは彼女の行動指針にあった。
”ソルティドッグ”の呼び名は、元を辿ればアイラが前代ソルティドッグから受け継いだ名である。
奴隷狩り、もとい賞金首にさらわれた子供たちを救い、その子供らを私兵として鍛え上げ、一致団結して賞金首を狩る、それが前代ソルティドッグからのならわしだった。
前代のソルティドッグも、そしてアイラもまた、助けた子供たちの身も心も逞しく鍛え上げ、やがて世の子供たちを救うヒーローと呼ばれるまでになったのである。
子飼いの少年少女の精鋭部下たちを引き連れ、どこからともなく現れる彼女は、年齢も身分も不詳と言われていたにもかかわらず、賞金首たちからとても恐れられていた。
その金は彼女の育った孤児院に流れているという噂もあり、また売られた子供らを奴隷商人から買い戻すために使われているとも噂されていた。
そして今日もまた、ソルティドッグのお縄にかかった賞金首の男二人が、夜の街角の隅で追い詰められ、悲鳴を上げていた。
街灯を背に立ったアイラの表情は窺えず、ただその短い赤毛だけが印象的に映える。
「聞いてねぇぞ!ソルティードックがこんなに若い女な訳がねぇ!」
「子供たちを子飼いで訓練させてるんだ、もっと歳のいった……」
賞金首の男二人が皆まで言う前に、アイラの手からナイフが投げられ、彼らの背にした土壁に垂直に突き刺さった。
「誰がババァだって?もう一回言ってみな、ぶち殺すよ」
「ババァとは言ってねぇだろ!」
表情が窺い知れぬというのに、アイラの殺気がびりびりと伝わって、賞金首たちはただ声もなく震え上がった。
周囲を囲うように追い詰めていた、アイラの私兵の子供たちは、やがてじりじりと標的との間合いを詰めていく。
アイラの右手にした懐中時計が深夜0時を指した時だった。
「きたよ、美味しいチャンスタイムだ、捕まえな!」
日付が変わって賞金が跳ね上がるタイミングを待っていたアイラの号令が飛ぶやいなや、子供たちは獲物を前にした狼の群れのように、百万の賞金首二人をいとも容易く捕獲した。
確保を確認したアイラの元へ、他国への諜報にやっていた十六歳程の少女兵がやってくる。
彼女が差し出した手紙を受け取ったアイラは、薄いブラウンのサングラスの向こうで、ふと眉をひそめた。
「さァて、このまま換金先に直行したいとこだけど……隣国で亡命騒ぎがあったらしくてね、お偉方がギスギスしてるそうだ、鉢合わせたくないもんだねぇ」
「……?そんな機密的な話、いくら賞金稼ぎといえど易々と手に入る訳……」
その時、後ろ手に縛られた賞金首のひとりがアイラの肩にある刺青に気付く。それはこの東の国に伝わる、特殊部隊長にのみ許された古の旗印だった。
(……ソルティードックは元特殊部隊長の女だったってことか……?だが、この国にはもう長いこと女の部隊長は出ていなかったはず……)
視線が合い、賞金首の考えに気付いたらしきアイラは、そっと口元に人差し指を添えると、闇夜の中でうっすら微笑みながら呟いた。
「女には語れぬ秘密の一つや二つ、あるものさ」
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