好きだし、愛してるし、

石田明日

火傷

 くたびれてた制服のまま、いつものようにゴミを踏みつけながら靴や靴下を一緒に脱いだ。空き缶が潰れ、うるさい音が狭い玄関に響いた。リビングにいる父の顔は見えないが、この音にイラついていることはわかる。

 トイレから戻ろうとしていた母が私を睨みつけた。母のこの目が嫌いだ。そんな汚くて無垢な目で私のことなんか見ないでほしい。

「ただいま」

「うるせぇよ」

 父を見つけると自然と上がってしまう口角。私は父に恋してる。何もかもうまくいかず、家でひたすら母の金で買った酒を飲み、少しの物音で暴れる。こんなに可哀想で惨めな生き物が私の父というだけで、息が上がってしまう。

 火照った体を抱きしめながら、スカートのボタンやブラのホックをバレないように外した。母がその一部始終を見て、ありえないくらい顔が引き攣っている。優越感に浸りながら、父の横に座った。

 私の表情を見た父が、口角あたりを殴った。その勢いで体が吹き飛び、スカートが脱げた。意識が晦冥の中にいき、体は震えている。

 体を起こすと、私が学校に行っている間に揉めたであろう残骸が体にこびりついていた。灰がパラパラと素足に落ちていく。それをさすりながら、中途半端に脱げたスカートを脱ぎ捨てた。

 父の態度なんか気にも止めずに、私は言葉を続けた。

「今日ね、テストがあったの」

 テレビの音量がどんどんと大きくなった。私の声をかき消すために父はこれをよくやる。父が一口タバコを吸うと、灰は宙ぶらりんになる寸前だった。

 いつもの合図と共に、ゴミの上に寝転がった。足が無防備に曝け出され、なんとなく肌寒い。さっきから崩れる表情は父の怒りが溜まっていく材料に使われている。

 私の惨めな格好に耐えられなくなったのか、はたまた夫が自分の娘に今していること、これからしようとしていることに耐えられなかくなったのかはわからないが、母は家を出た。

 餌を待っている金魚のように、口をぱくぱくさせた。父の愛おしい手が視界に入った途端、口の中には熱すぎる乾き切ったものが飛び込んできた。

 むせながら、なんとか溜めた唾液と共に床に吐き出した。

「何吐いてんだ?」

 そのセリフを待っていたというのに、噛み締める隙も与えてはくれない。お腹を殴られ、今日の給食も床に散らばった。砂場の砂をかき集める時と同じ感覚で、吐瀉物を集めて、遊んだ。

 べたついた手を洗いに行こうとしたら、父が私の頭を掴み、顔面を床に叩きつけた。ちょうど顔面が触れた場所は私がさっきかき集めて、汚くなった吐瀉物まみれの畳だった。

「食えよ」

 何度も顔面を押し付けるために、父は私の頭をバカみたいに踏む。これが笑ってしまうくらい大好きだ。自然と声が漏れる。笑っていることはなるべくバレたくないが、堪えきれない。

 女だから、ガキだからと私を見下しては簡単に体を壊そうとしてくる。まだまだ幼稚で感情の管理もできない残念なおじさんなんて生きている価値はあるのだろうか?笑

 結局私は食べなかった。吐瀉物を食べることに抵抗はないが、無駄なものを胃に入れてしまったら私は可愛く無くなってしまう。まだ、まだ可愛くなければいけない。

 すっかり冷めってしまった現実にもう興味なんかない。飽きてきた。父のレパートリーのなさすぎる暴力はもう慣れてしまっているのだから、いい加減他のことをしてほしい。

 不意に激痛が走った。どこだと探す必要もない。次々と増えていく痛み。痛みに耐えきれず、息が大きく漏れた。

「 あ゛」

 怒り任せに父の方を振り返った。笑っていたら許せたかもしれない、私のことすら視界に入れず、相変わらず誰かに助けを求め、薄情けをかけた目でテレビを見つめているだけだった。

 私を惨めにするのが相変わらず上手い。こんなことで同情なんてしてやんない。死ぬまでお前のことを嘲笑ってやる。


 朝、父が起きる前に私が先に目を覚ます。急いでお風呂に入ろうとしたら、母がいつの間にか帰っていた。

 今日も相変わらず泥酔したまま机に突っ伏して寝ているのかと思いきや、見たことの無い体勢で目を瞑っていた。

「お母さん」

 呼びかけても返事がない。あぁ、死んだ。死んでるんだ、こいつは。

 何をどうしたらいいのか分からず、母が飲んでいたであろう残りの酒を一気に飲み干して風呂場へ向かった。


 母が死んでからは学校に行かなくなった。父にバレるとまずいが、いつも通り制服で朝家を出て、適当な公衆トイレで着替えて、夕方まで時間を潰して、また公衆トイレで着替えるということをやれば案外バレないものだ。

 二週間ほどそれを続けたが、二週間もあれば私の住んでいる街は既に見た事のある景色ばかりになってしまう。

 久しぶりに学校に行くことを決め、また今日も母が死んでいた椅子を視界に入れることなく玄関に向かった。


「おー、久しぶり。元気か?」

 私たち生徒が朝登校して揃うまでは担任は教室に来ることは無い。なのに今日はなぜかいて、一人一人に挨拶をしていた。

「とりあえず席替えしたから、お前はあそこな」

 指を刺された場所に座り、ぐちゃぐちゃの机の中を無言で見つめた。


 私が来ることをみんなが脅えていたかのようなリアクションで次々と生徒たちが席に着く。

 朝学活のチャイムがなり、日直の合図を待っていると、なかなか声が聞こえてこない。周りを見渡すといつも惨めだと笑ってくる私と同じようにみんな下を向いていた。

「このクラスにはいじめがあります。」

 担任の声が教室に響き、私は顔を上げた。

「心当たりのある人は立ってください」

 私は呑気に、朝からこんな話をするのか、というよりも公開処刑のような形で加害者と被害者を立たせるなんて随分と気持ち悪いな。と首を傾げていた。すると、隣の席にいた名前も知らない男の子がボソボソと私に向かって何か言っている。

「高橋さん、あいつらにいじめられてたでしょ? 高橋さんも立たないと」

 そんなことを言っている。いつの間にか席を立ち、まだ下を向いたままの女が何人かいた。あいつらは私にしつこく関わろうとしてくるだけで、別に私のことをいじめてはない。

 今、いじめられてた。と言われても何もピンとこない。私はそんな惨めなことはされていない。何も知らない奴らが騒いだのか?

「なんのことだろ、人違いなんじゃないかな」

 私の声を聞いて、男の子はどこかを見つめたまま動かなくなった。

「高橋、お前もだぞ。立ちなさい」

 もしかしたら、私がいじめをしていたのかもしれない。その可能性だってあるが、休み時間も放課後もあいつらと一緒にいたはずだ。こいつらはさっきから何を言ってるんだろう。

 鏡を見ずに、自分の表情がわかってしまうくらいわかりやすくキョトンとした。

 私が席を立つと、教室がざわついた。泣き出す子もいた。あまりにも居心地が悪い。今すぐ荷物をまとめて教室から出たい。私がいない間、何があったんだ。いくら久しぶりの学校だからと言って、ここまで私が状況を掴めないわけない。立っているにも関わらず、私は手を上げて声を出した。

「今ってなんの時間なんですか? 私は誰のこともいじめてないですし、いじめられていた事実だってないです。私がいない間になんか変わっちゃったんですかね」

 私の言葉を聞き、担任は涙を流した。気持ち悪い。こいつらはどうしてこんなに気持ち悪いんだろう。まだ登校して三十分くらいしか経っていないのに、私はすでに疲労困憊だ。この無意味な時間はまだ終わらない。ただ私の貧乏ゆすりだけが激しくなっていく一方だった。

「今座ってる奴らがな、高橋のされてたことを見てたみたいでそれを先生に教えてくれたんだ。立ってるあいつらに問い詰めたら本当だったみたいでな。だから」

「あれがいじめなんですか? どうでもいいんで早く授業始めてくれませんか。あ、まだ朝学活もやってないじゃないですか」

 教室の空気は凍りついた。だけど私は心底どうでもいいことに巻き込まれた時点で、私の視界は凍りついていた。

 周りが言うように、殴られ、無理矢理リストカットをさせられたり、教科書などを燃やされるというのがいじめならそうなのかもしれない。だけど、当事者でもない奴らがひたすらに同情して、自分がされたらという無意味な妄想で私が被害者になる理屈は本当に理解できない。

 暴力や暴言に対して私はなんとも思わなかった。誰も動かず、なんの音もしない教室で、誰かが死んだような気がした。私は誰かの正義とやらを殺して、身勝手な正義を貫いてしまったようだ。


 その後のことはわからない。担任の声が聞こえた気がするが、私はお構いなしに荷物をまとめた。すると、隣の席の男の子がまた声をかけてきた。鬱陶しいな。

「帰るの? 僕も一緒に帰っていいかな」

「いいよ」

 さっきは媚を売ったが、今はどうでもいい。ここにいる人間は私の中では食べ物以下になった。ただ捨てられるだけのゴミに今更頭を使う必要はない。

 ちょうど朝学活の終わりを合図するチャイムがなった。廊下には人がたくさんいて、私と彼を見てコソコソ言うやつも少なくなかった。そんなことより、今日は早退してまっすぐ家に帰る。父に何されるのか想像して、また体が熱くなり、口角が上がった。

 隣にいるこいつは何か話をと必死に何か考えているのか、おどおどしていてそれにも腹が立つ。

「あ、あのさ、その首って大丈夫?」

 もさっとした髪の後ろには大きな女の子のような目があった。その目が私の目と首を交互に見つめ、私と同じように口角を上げていた。

「大丈夫ってどういうこと?」

「それって火傷だよね、まさかあの人たちにまた?」

「違うよ、大丈夫だよ」

 さっきよりも歩く速度を速めて、こいつの目から逃れようとした。

「じゃあお父さん?」


 私についてくるのが精一杯なくせに、生意気なことを言って、本当になんなんだ。今日はどうしてこんなにもストレスが溜まるんだろうか。

 小さな声を無視したふりをして、とにかく前だけを向いて歩いた。


 早退してきたことがやっぱりダメみたいで、いつもより強く殴られた。顔を殴られ、感じたことのない痛みに体を動かせないでいた。

 すると、首を思い切り掴まれ、そこでちゃんと身動きが取れなくなった。チカチカとする視界に脅え、体をじたばたさせた。叫ぼうと思っても声が出せる訳もなく、ただ足で父を強く蹴るしかなかった。

 父の空いてるもう片方の手で私の足が押さえつけられた。体が動かせず、どんどん視界が暗くなっていく。ビクビクと体が痙攣していることに気づくと、プチッとどこかが切れた。


「私この一階に住んでるの。じゃあね」

 アイドルのように手を振り、僕に嘘を押し付けてきた。中学生だとは思えないスタイルや顔立ちがいつもより輝いて見えるのは、背景が汚いからだ。彼女は、高橋さんはこんなのがなくたって誰よりも可愛い。

 大きくない物音が、彼女の吸い込まれた部屋から鳴り続けている。また今日もなのだろうか。裏に周り、中途半端に閉められたカーテンから中を覗くと、泡を吹いて死んだ高橋さんがいた。

 僕のあれが熱くなり、額には汗が溢れた。死んだ。死んでいる。なのに、あの子は父親の汚く、気持ち悪いそれを体内に入れられ、不器用に体を好き勝手に動かされている。

 僕がずっと見たかった彼女の裸体に興奮と感動が抑えきれない。物音を立てないように気をつけていたことすらも忘れて、無我夢中で行為を見つめた。

 すると父親と目があった。逃げ出そうと思ったが、体は動かない。制服越しに感じる僕の熱に集中してしまって後ろに転んだ。

 その間に父親がこっちに来ていたみたいで、

「入れよ」

 ボロボロの歯を輝かせて、気持ち悪い笑みを浮かべている。それに逆らうことができず、冷静を装って土足のまま部屋に上がった。

 僕がいると言うのに、お構いなしに治らないそれを中に入れ、またさっきと同じように動いている、よく見ると彼女の顔は血だらけで、頬骨は砕かれている。首にも酷く赤い跡があり、どうやって死んでいったのかを淡々と理解することができて、えずいてしまった。

 汗をかくほど熱くないこの部屋は異臭が漂っていて、冷静にならないほうがいいととにかく彼女を見つめた。死んでしまって、もう二度と僕に胡散臭い声と笑顔をむけてくれないことが悔しかった。

 落ちている酒瓶で父親の頭を思いきり殴った。僕の力では簡単に死ぬわけがないことくらいわかっていたから、他にも使われていない埃まみれの掃除機をガラスの破片が刺さって頭に思い切りぶつけた。

 獣のように叫び、のたうち回っている人間はここまで惨めなのか。もしかしたら彼女もこんなに醜い気持ち悪いものになっていたのかもしれない。こいつのせいで彼女の価値がどんどんと失われていくような気がして、とにかく殴った。

 血が僕の靴に染み付いている。彼女の体にもべっとりと同じ血がついている。息を整えながら、彼女にキスをした。

 好きだ。僕たちを見下しているあの目が好きだ。大人の扱い方をよく知っている彼女の舐めた考え方が好きだ。傷だらけで、その傷に酔っている馬鹿な彼女が好きだ。とにかく好きで、好きで好きで。愛してるんだ。死んで原型がなくなったとて、僕の中で彼女は生きている。愛してるよ。

 さっきまで父親のものが入っていたことなんてを無視して、彼女の固まった血と共に、何もかもを握りつぶして挿入した。死後硬直のせいか知らないが、なかなかうまく入らないが、無理矢理入れた。

 彼女で初めてを捨てられた事実で射精しそうになったが、堪え何度も動いた。必死に、見て見ぬふりをしてとにかく動いた。

彼女の胸部に僕の汗が落ち、何度もなっているチャイムの音に気づいた。汗を拭いながら、覗き穴を覗くと、警官が三人、後ろにはパトカーが何台も止まっていた。鍵が閉まっていないことに気が付き、初めて焦りを感じた。



 どのくらい時間が経ったのかわからないが、警官にいつの間にか囲まれていて、この汚い部屋には僕の笑い声だけが響いていた。

 ふと彼女の顔を見ると、あの時と同じような嘲笑の笑みが浮かべられていて、ゾッとした。

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