「じゃあ、また今度な」

藤村 綾

9月1日

 来ないかな。来ないかな。来ないかな。何分かおきにスマホを開きメールを確認する。そろそろ来てもいい頃だよな。でも自分からメールはもうできないしな。あいたい。もう絶対にあいたい。あいたい感情が体から溢れ出しその液体がドロドロと垂れていくさまがみえるようで逆に気持ちが悪い。

 この感情に名前があればいいのになぁといつもおもう。あいたい症候群? 黄昏症候群? そんな題名の漫画があったなとKindleでググってみる。やはりそのような漫画があったけれどスマホをまたメールの画面に変える。

 けれどこのあえない時間が好きといえば好きなのだ。もどかしい感情。胸の中がざわざわするような感情。これはまさに麻薬かもしれない。中毒性がある。

 けれど……。

 うんともすんともいわないメールを待つのはつらいし、泣けてくる。こんなことを待ってばかりのことをもう9年もしている。

 年月などは関係ない。あの頃と変わることなくわたしはちょっと気持ちが悪いけれど男を愛しているのだ。好きと愛しているとは微妙に違う。なんというかとにかく違うのだ。

 来るかな。来ないかなの割合が来ないかなのほうに8割くらいになったとき、

『いまからそっち帰るけどどうですか』

 男の名前が表示されたメールがやっとという具合で届きついバンザイをした後今度は頬に涙が伝った。涙は温かくああわたし生きているんだなといちいちおもいださせるほどに温かい涙だった。

『あいたいです』

 メールが来たら最低でも5分は置いておこうというマイルールは突如ないことになりわたしはすぐさまそううち返した。

 待ち合わせ場所はいつものところだったのでわたしのうちの近所にあるうどん屋さんに来てもらうことにした。

 免停を食らってしまい、まだ免許センターに行けていなくいま車には乗れないのだ。車がないと不便な街に住んではいるけれどないならないなりに快適にすごせるのかもしれない。自転車と電車があれば大抵のことはまかなえる。

 ちょっとだけ薄化粧をほどこしうどん屋の前に立つ。もうなんというかこの好きな男を待っている時間が好き。男の車が見えたときのドキドキも好き。とにかくあうまでの工程がなによりも好きなのだ。

 男はいやに日焼けをしていたし顔がひどく疲れていた。

「忙しいよね……」

 開口一番口にした言葉がそれだったので、うんまあね。から男の仕事にまつわる忙しいあれこれをうなずきながら聞いていた。

 別に会話などなくてもいいのに男はいつも会話を探して気をつかう。きっとわたしがまたひどくめんどくさい話でも持ち出すのではないのだろうかとなるべく話をするのだ。そんなことはとっくにわかっているし、いまさらどうこういうことなどは決してないのに。奥さんと別れてよとでもいうとおもっているのだろうか。

 ホテルに着けばもういつものパターンでするのみだけれど、たまたまいつも行く常連さんのホテルではなかったのか雰囲気がそうさせたのか、めずらしくわたしと男は部屋にあるいやに古臭い赤い皮のソファーで抱き合った。

「興奮したの?」

 行為はすんなりと終わり質問をする。わたしも実は興奮をしていたし、もうこのまま死んでもいいといたくおもってしまった。

「した」

 ふっ、とつい鼻笑いをして、素直だねとほめた。男は顔を伏せている。なんでこんなにもこの男はわたしを狂わせるのだろう。ソファーからベッドに仰向けになりこれまた古臭いシャンデリアを凝視しながら考える。

 もし可能ならこの男に殺してもらいたい。いつも最後がそう思考が締めくくる。この禁忌な関係が終わるのはきっとどちらかが死んだときしかないのだ。

 不倫っていうのはわたしと男だけの世界でほかのひとはまるで皆無で夢のような時間でありえない時間だし妄想な時間なのだ。甘い蜜を吸い合う時間。そんな非日常な時間を手放せる訳がない。

 世の中の恋愛事情でもっとも不倫がきれいでシンプルで甘い蜜だとおもう。誰かのものだとわかっているから素直に体だけを求めたらいいのだ。

 体だけ。そうわたしと男は体だけなのだ。心と心は一切交わってなどはいない。体と体だけが濃密に交わっているのだ。よだれを垂らし欲望を剥き出しにして。

 帰りの車の中はいつも殺伐としていてなぜか笑いが込み上げる。渋滞の時間だしな。男はアイコスを何本か吸った。

 前の車のテールランプが3つに見えるよというと乱視じゃん俺もそうといい、ナビの下にある荷物置き場からメガネを取り出しかける。

「おー見えるわぁ〜」

「え? それじゃあなに? いままで見えなかったのかな」

 結構車で走ったからそう語尾を不思議そうにあげたけれど男はなにも言葉を発しなかった。

「じゃあ、また今度な」

 うんとうなずき車から降りる。今度っていつなの? わたしたちに今度という言葉はあるの? 今度はないかもしれないのに。今度という言葉の意味わかってるの。

 いいたいことなどいつもたくさんある。お腹がパンクしそうなほどにある。けれどいつもまるっと飲むこみないことにしてしまう。

 日が暮れるのが早くなった。トンボが宙に浮いていた。

 顔を夕方の空に向け手をぐーんと伸ばす。背がちょっとだけ高くなったような気がして気分がよかった。

「こんどかぁ……」

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「じゃあ、また今度な」 藤村 綾 @aya1228

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