第19話 公爵館

「私のほうから切り出すのも、はしたないかと思うのだけれど、恥ずかしついでに、言ってしまおう。改めて、私と結婚してほしい。それはあなたが『精霊王』だからではなくて、あなたのことを誰より知っている私が、あなたを見て、そう思ったから、そうしてほしいのだ」


 実のところ、私はシンシアやオデット、そしてルクレツィアなど、現在『精霊王の妻』とされる女性たちのみならず、ほかにもいくらか、プロポーズめいたことをされた覚えがあるのです。


 そういった時に用いられるのは、だいたいにして、『あなたのことを、あなた以上に知っている』という文言なのでした。


 そうして、その文言は正しいのです。


 なにせ私は、私自身のことをなに一つとして知らないのですから、私より詳しいに決まっているのです。

 しかし同時に、ありとあらゆる人が語る『私』のことについて、ひどく間違っていることだけは、わかるのでした。


 シンシアの語る『お兄様』や、世間の人が語る『精霊王』のみではなく……もちろん、そのような明らかに事実と違う、歪曲された情報ではなく、もっと別の、細かいことについても、そう感じるのでした。


 しかしこれについて、私は断固とした態度で『君の見立ては間違っている』と言うことが、ついぞできないでいます。


 彼女たちは、『私』というものの、確固たる像を持っているのです。

 対して私は、それを打ち崩して彼女たちに新たなる、真実の『私』を植え付けるだけの、確固たる像を持ち合わせていませんでした。


『私とは、なんなのか?』


 この問いかけに答えが出る日は、きっと、死んでも来ないような気がしています。

 私は『私』というものをなんとなくわかっているつもりでいて、その実、まったく的外れな『私』を『私』だと思い込んでいるかもしれない……そういう不安が尽きたことは、一度もないのです。


 だから、彼女たちに自信満々に『私』について語られてしまうと、『それは違うと思うのだけどな』と不満のようなものを抱きつつも、愛想笑いを浮かべて、否定とも肯定ともつかない、いつものうめきを漏らすしか、できないのでした。


 そして私の妻となった女性たちは、私のうめきを、躊躇ちゅうちょなく、彼女たちにとって都合のいい返事と受け取るのです。


「よかった」


 ああ、もう、駄目、なのでした。

 ルクレツィアが本当に心の底から嬉しそうな、安堵したような顔で胸をなでおろすのを見て、私は、彼女の勘違いを正す機会を一生失ったのだと確信したのです。


 報復を、おそれているのです。

 保身を、一番に考えているのです。


 あいまいな返事、どうとでもとれる表情、問題の先送り……そういったものが、未来に、より困難で大きな問題をもたらすと、この当時の私でさえ、きちんと理解していたはずなのでした。

 ところがそこで、目の前の問題に立ち向かい、解決のために尽力し、未来の困難を回避するという行動が、私にはとれないのです。


 目の前の人の『今の機嫌』を損ねないことをなにより優先して考え、それさえ守れたならば、未来も、過去も、自分の意思さえも投げ出してかまわないと、そう思っているのでした。


 それはいわゆる滅私奉公というものではないのです。


 ただの恐怖への萎縮なのでした。


 目の前にある問題の大きさが、私にはなによりも巨大に見えてしまい、その前ではすくんで、動けず、とにかく早くその問題が通り過ぎてほしいと願い、息をひそめるしかできないのです。


 ただの小心が、私を精霊王にまで祭り上げ、実妹をふくむ三人の妻をもたせ、そうして一つの宗教国を作りあげたのだと思えば、その小心は、立派な才能なのかもしれないと、最近は思うようになっているほどなのでした。


「さっそく、式を挙げよう。あとは、あなたを待っているだけだったんだ」


 ルクレツィアがあまりにも嬉しそうなので、私も、嬉しそうに笑いました。

 私の表情はこの時になるともう、ほとんど鏡としての機能しかないのです。

 相手の浮かべる顔と同じ属性の顔を貼り付け、同調し、おべっかを使い、とにかく相手を怒らせないように立ち回るためだけの、防具なのでした。


『私』とは、なにか。


 いっそ、割り切って『精霊王だ』と認められたなら、きっと楽になることができるのだと、思います。


 しかし、それだけは、できないのです。

 そのような開き直りは、私にはなにより難しく、心の持ちよう一つで問題が解決するのだというのを簡単そうに人に語られてしまうと、『しかし、心というのは、自分ではどうにもならない力で激しく動くもので、それを抑えつけて望んだ方向を向かせるなど、不可能なのだ』と、厭世的えんせいてきな気持ちで、疲れたように笑うしかできないのでした。


 かくして失踪していた精霊王は発見され、ルクレツィア公爵令嬢との結婚式が、広く告示されました。


 私は城に帰ることも、オデットとともに過ごしていたあの寒々しい小屋に戻ることもできず、『公爵館』に半ば監禁され(このころになると、私と同居する女性はたいてい、私の居場所に外側から鍵をかけるようになっていました)、結婚式の日を待つばかりになったのです。


 私はもちろん、手厚く世話をされ、それこそ姫のごとく扱われており、式にまつわるあれこれはすべて、ルクレツィアの手配に任せきりという、なんとも、王として情けないのか、それともこれこそが王というものなのか、判断に困る状況にありました。


 平穏。


 間違いなく、平穏なのです。

 オデットがくれたように、シンシアがくれたように、今度はルクレツィアが、私用の鳥籠を手配し、エサをくれ、美しい声で鳴くことさえ求めず、一生懸命に私の世話を焼いてくれているのです。


 この状況に不満を抱いてしまうなど、人として間違っているのではないかという恐怖が、日に日にふくらんでいました。


 ようするに、不満なのです。


 ここを飛び出してなにかができるわけではないのに、私は誰かに命脈を握られている状況を、やはり、不満に思い、その不満が他者に知られたなら激しく怒られるような気がして、恐怖しているのでした。


 もしも世に言われているように、精霊が私の意思をのぞき見てその願望を叶えようと力を貸してくれるのであれば、精霊はよほど私の態度や心持ちにいらだっていたに違いありません。


 私の人生に次なる転機が……およそ人生で最悪の決断を強いられるその日が来たのは、ちょうど、結婚式を翌日に控えた夜のことでした。


 公爵館が、襲撃されたのです。


 しかも襲撃の主は、シンシアなのでした。

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