**リイナ ─はじめての恋②─








 ヒカリが元気になれるようにと3人がなんとなく気遣いつつ、女子会ではお喋りが止まらなかった。

 将来のこと、仕事のこと、学生時代のこと、恋愛のこと。

 そこにヒカリの世界の話も加わって、話が尽きることはなかった。


「へー! こっちでは女の子から告白って、あんまりしないんだ」

「国にもよるのかもしれないけど。

 1回デートしたら恋人候補で、2回目以降のデートからは本命……みたいな。

 そういうのは大体、男の子から誘うし」


 恋バナ好きのニナは、うきうきとヒカリに説明する。


「じゃあ、デート以外で男の子と出かけないってこと?」

「いやいや、出かけるよ。

 でもちゃんと確認する。『これってデートよね?』とか、『これはデートじゃないからね』とか」

「あはははっ、究極の二択だね!」


 ニナの言い方に、ヒカリは爆笑した。


「ヒカリの世界では違ったの?」

「他の国はわかんないけど、私がいた国は女の子からも告白するよ」

「え、でもでも、うまく行かなかったとき恥ずかしくない?」

「どうかなぁ。

 場合によっては、振られるってわかってて告白することもあるし」

「えーっ!! 振られる前提で?!」


 ニナとヒカリのやり取りを、恋愛に疎いメイサとリイナは真剣に聞いている。

 ヒカリは肩をすくめ、柔らかく笑った。


「私は、すごいと思うよ。

 どんな状況だろうと、ちゃんと自分の気持ちを伝えられるのは……大事だよ」


 ヒカリは遠くを見遣って笑う。


「きっとね、言えずに飲み込んじゃった気持ちは……何年後、何十年後って引きずっちゃうと思うから。

 『あの時言っておけばよかった』って後悔するくらいなら、言ってすっきりした方がいいんだろうなって思う」


 ヒカリの言葉に、リイナは胸がずきんとした。

 ニナは両手で顔を隠しながら、言う。


「……ねぇ~やめてよ、すっごい響く……」

「ふふっ。響け響け~」


 ニナを茶化すように、ヒカリは笑う。


「そういうの、私達の国では『当たって砕けろ』って言うの」

「おぉ、かっこいい言葉だな!」

「こんなこと言いながら、私は言えないんだけどね」


 メイサが言うとヒカリは、そう自嘲ぎみに笑った。







(『あの時言っておけばよかった』か……)


 酔っ払ったトモキとヒカリは、先に帰ってしまった。

 リイナは、リオンが起きるのを待ちながらぼんやりと考える。


 シュメールでは、振られるとわかっていて告白するなど有り得ない。しかも、女性から男性に、なんて。


(言わずにいたら、どうなるんだろう)


 初めての恋。

 これまで会ったどんな男の子よりも素敵な男の子。

 気付けばいつも、トモキのことを考えている。

 こんなに好きだと思える人には、この先きっと出会えない。


 盲目的なこの気持ちは、一時的なもの。

 そうわかっていても、今のリイナにはこれが最初で最後の恋のように感じてしまっていた。







 想いは、色褪せることなく。

 日々膨らむ気持ちに、リイナは困惑していた。


「リイナの気持ち次第でいいんだよ。

 話したくなったらいつでも聞くから。ね」


 訳もわからず泣くリイナの頭を、たどたどしく撫でる手も。


「あれ? 割れてないぞ。綺麗なままだ」


 見ず知らずの子どものために魔法を使い、優しい嘘をつく姿も。


「上着ある? 貸すよ、待って」


 当たり前のように向けられる優しさも。


「リイナ可愛いし、恋人いそうなのにね」


 トモキが無意識のうちに吐く甘い言葉にも。


 その全てにリイナは心がのぼせて、胸が傷んで、うれしくて、かなしくて。


 諦めよう、と決めたのに。

 トモキからかけられる言葉が、宝物のように胸に重なっていく。

 時々思い出してはにやけて、何度も同じ言葉を反芻はんすうして。


 好きになっちゃいけない。

 頭ではわかっているのに、リイナはいつもトモキを目で追ってしまう。


「『当たって砕けろ』、か」


 リイナは暗い部屋の中、ひとりぼんやりと窓の外を眺めて独りごちた。













 そして始まった、激しい戦闘。

 ようやく2人が《クイーン》を倒し終えると、トモキとトゥリオールから立て続けに連絡が入る。


 連絡を受け、リイナは医務室で横になるヒカリに付き添った。


 リイナ自身もボロボロだったが、ヒカリはもっとボロボロだった。

 汗と砂にまみれ、顔色は青白かった。

 『浄化』しても十分に汚れは取れなかった。

 せめて泥を落としてあげようと、リイナは医務室を出た。


 タオルやお湯を用意して戻ると、トモキがベッドの傍に立っていた。


「リイナ。光莉を見ててくれたみたいだな、ありがとう」


 疲れ果てた表情のまま、トモキは言う。

 トモキは医務室の壁にもたれかかって座った。


 リイナも隣に腰掛け、トモキにお茶を差し出す。

 トモキは「ありがとう」と受け取って、ひと口だけ口をつけた。


「リイナ、重い現場を任せて…ごめんな」

「当然のことよ。できることをやっただけ」


 リイナが戦闘で追ったひたいの傷に気付き、トモキはリイナの額に手を当て『治癒』してくれた。


「怪我人、他にもいるよな」

「…いるけど、大丈夫よ。応急処置は皇級魔導師がしてくれてるから」


 トモキはこれだけボロボロの状態になっても、この世界の人達を気遣う。

 自分にできることを、すべてやろうとしているみたいに。


「トモキも少し休んで」


 リイナは、トモキの頭を撫でた。

 もう、何も考えなくていい。とにかく何もせず、何も思わずに過ごして欲しかった。


「ありがと……」


 トモキはそう呟くと、崩れるようにリイナの肩に寄りかかった。

 驚いて肩を動かしてしまい、その反動でトモキの頭はリイナの膝元まで崩れ落ちる。


「と、トモキっ……!」

「…………」


 トモキはそのまま、意識を飛ばしてしまったようだ。

 リイナの膝に頭を預け、ちゃんと呼吸はしているのでほっとする。


「ほんと……大変だったね。

 この世界のために、ありがとう」


 リイナはひっそりと、語りかける。

 トモキはその身を縛るすべてのものから解放されたかのように、心地良さそうに寝ている。

 起こさないようにそっと指先で、膝の上のトモキの髪をすくった。


(こんなに近くでトモキを見るのは初めてだ……)


 柔らかな黒髪。

 潤んだ、大きな瞳。

 しゅっと伸びた背筋。

 少年みたいなあどけない笑顔に、大きな手、少し高い掠れた声。

 全てを包むような優しさも、憂いを含んだ表情も。


(ぜんぶ、好きだ)


 気付くとリイナは泣いていた。

 ぼろぼろと零れた涙がひとしずく、トモキの頬を濡らした。


 ヒカリのために持ってきていたタオルで、目元を隠す。

 忙しく駆け回る医師や看護師は、リイナが泣いていることには気付かない。


(ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ好きだ。好きなのに、好きなのに……)


 このままトモキが目を覚まさずに、時間が止まればいいのに。

 零れる涙を抑えるのは諦め、リイナは目を閉じた。

 頬を伝う雫の冷たさを感じながら、リイナは溶けるように夢に堕ちた。







 夢の中で、トモキは夜空を眺めている。

 リイナはその隣で、トモキの横顔を見つめていた。


 トモキの表情が、ふっと変わる。

 目を細め、ゆらりと笑顔を浮かべる。

 まるで、いとしいものを見るように。優しく穏やかな瞳が潤む。


 目線の先には、ヒカリがいた。

 ヒカリの笑顔はトモキに向けられ、それからリイナに向けられた。


 トモキはようやくリイナに気付き、リイナに笑顔を向け頭をそっと撫でる。




 かなしくて、でもあたたかくて。

 そして決して壊れることのない、たしかなもののようにも感じた。

 









「う、わ、ごめん!」


 トモキのその声で、リイナもゆったりと目を開けた。

 あのままリイナも一緒に寝てしまったようだ。


「……起き、た……?だいじょうぶよ」


 そう言ってリイナが立ち上がろうとすると、足の痺れでバランスを崩す。

 トモキが慌ててその身体を支える。


「足、痺れちゃった…」

「うわぁあ、ほんとごめん……」


 トモキは焦った様子で魔法をかけ、リイナの足の痺れをとってくれた。


「急に寝ちゃったからびっくりした」

「なんか、突然睡魔がきた…

 だからってあんな…ほんとごめん」


 珍しく動揺した様子で、トモキはリイナから目をそらす。


 その様子があまりにも可愛くて、いとしくて。

 リイナは思わず、トモキの手を取った。


「いいよ、トモキなら」


 自分の口から出てきた言葉に、リイナはどきりとする。

 トモキも驚いた様子で、ふっと顔を上げる。

 なぜか初めてちゃんと目が合ったような気がして、目を合わせてくれたことが嬉しくて。


「あなたが生きてて、ほんとによかった」


 祈るように、リイナはトモキの手を両手で握った。


「私ね……トモキが好きよ」

「え……」


 突然のリイナの言葉に、トモキは声を漏らした。


「返事はいらない。トモキが誰を好きなのかは、わかってるから」


 間髪入れず、リイナは言った。

 トモキは、表情を殺して唇を噛む。


「……ごめん、ありがとう」


 トモキの言葉を聞き、リイナは笑った。

 立ち上がりながら、できるだけいつもと変わらないトーンで話を続ける。


「もう少し休んでいく?」

「あ、いや…1回戻るよ」

「私も少しお師匠様の様子見てこようかな」

「エリアルさんもこっちにいるの?」


 リイナとトモキは再び普段通りの会話をしながら、部屋を出ていった。






 トモキが会議室に戻ると言うのでそれを見送り、リイナは再び医務室に戻ろうとした。

 けれど、足は動かなかった。


 少し外の空気を吸おうと、屋外に出た。

 中央監獄は普段とは様相が変わり、慌ただしく魔導師や軍人が行き交っている。


 外壁の柱にもたれた。

 膝ががくっと崩れ落ちる。うずくまって、膝を抱いた。


「っ…………!!」


 息もできないほどの、焼けるような胸の痛みがリイナを襲う。

 痛くて、痛くて、叫びだしたかった。

 喉がカラカラで、息がつまって咳こむ。


 触れてみたかった。

 大きな手に、その唇に。

 腕に抱かれて、その胸に顔をうずめてみたかった。


 だけどその手も、爪先も、額も、唇も、視線も。

 すべて、リイナのものにはならない。

 リイナにとってトモキと同じくらい大切な、ヒカリのものなんだ。

 ヒカリと触れ合い、見つめ合うためにあるんだ。


「わかってたのに……!! わかって、たのに……っ!!!」


 声に出して吐き出さないと、心が押し潰されそうだった。

 がくがくと震える膝を抱き、声を押し殺して泣いた。





「……リイナ?」


 名を呼ばれたが、顔は上げられなかった。

 声の主は、メイサだった。


 魔族の護送などの任務で中央監獄に来ていたのだろう。

 リイナは両手で顔を隠したまま頷く。


「大丈夫か? 何かあったのか?」

「何も……何も、ないの」


 鼻をすすりながら、リイナはなんとか声を絞り出した。

 状況を説明することは、到底無理だった。

 かぶりを振ったリイナに、メイサはそれ以上尋ねることはしなかった。


「……ここは目立つ。先に女性宿舎に行っておけ」

「でも……ヒカリのところへ、戻らなきゃ」

「私が代わる。エリアル様にも説明しておくから、気にするな」

「…………ありがとう」


 リイナが言うと、メイサはぽんぽんとリイナの頭を撫でた。






 


 数分、うずくまるうちに涙は落ち着き、しみるような胸の空虚感だけが残った。


 メイサが『遠隔交信』で、「ヒカリが起きた」連絡をくれた。

 「すぐに戻る」と伝え、ひとつ息を吐いた。


 しっかり泣いたおかげで、心は空虚ながらも頭は冴えていた。


(大切なものがなにか、忘れちゃいけない)


 リイナはぱち、と両手で軽く頬を叩き、立ち上がった。

 








 ヒカリを迎えに行き、魔導協会の女性宿舎へ連れていった。

 ヒカリは起きた途端に、人々の『治癒』にいこうとしていたようだ。


「一番の大役を果たしてくれたんだもの。あとのことは心配しないで、まずは自分の身体を優先して。ね?」


 2人部屋の宿舎で、リイナはヒカリが横になり閉眼するまで傍で見守った。それからまもなく、部屋の灯りを消した。


「リイナ……」

「ん?」


 暗がりの中、囁くような声でヒカリが言う。


「ありがとう」


 急にどうしたのかな、と思いながら、言葉を返す。


「……ゆっくりおやすみ」


 リイナも、疲れ果てていた。

 ほとんど意識を飛ばしながら、目を閉じる。


 暗い部屋の中、ヒカリが泣いているように感じた。

 リイナの何百倍、何千倍も大変な想いをして戦ったヒカリ。


 明日はゆっくりヒカリの話を聞こう。

 ヒカリが笑っていられるように、いつも通りに。

 いつかトモキがヒカリに告白した時、笑顔で背中を押せるように。






 ただ、今日のところはこのままゆっくり眠ってしまおう。

 今日だけは、勇気を出した自分を褒めてあげよう。











 夢の中、だれかが手を振り、笑いかける。


「勇気を振り絞った

 あなたの勇気は、決して無駄にはならないよ」


 あぁ、そうか。

 これは未来の自分だ、と何故かすぐに理解した。


「あなたは一歩踏み出せた!

 これからまた大切な人を見つけて、前に進むことができる」


 未来のリイナは、今のリイナよりもずっとずっと穏やかに笑っている。




「頑張ったね、リイナ」




 一番欲しかった言葉をくれた彼女に、リイナは笑顔で手を振り返した。








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