08 涙とオムライス








 日暮れ頃、リイナは宿舎に戻ってきた。


「ヒカリ、お疲れ。少し休めた?」

「うん、おかげさまで」


 荷物を置くや否や、リイナはくんくんと部屋の匂いを嗅いだ。


「わ、なに? ヒカリ、料理作ったの?」

「うん。なんてことないオムライスだけど」

「初めて聞く! わぁ、美味しそう~!!」


 復旧し営業を再開した商店街で、材料を買い揃えてきたのだ。

 α地球にあったようなチューブタイプのケチャップは見当たらなかったが、瓶詰された近い味の調味料を手に入れることができた。


 宿舎は基本的には食堂で食事ができるようになっているが、自炊を希望する者のために貸し出しの魔導コンロや調理器具も取り揃えられていた。


「待ってね。最後の仕上げをするから」

「なになに?」


 ケチャップ風の調味料の蓋を開け、スプーンで少量掬った。

 それを慎重に卵の上に垂らす。リイナのオムライスには、「リイナ」と日本語で名前を書いた。


「なに? なにを書いたの?」

「『リイナ』って、私たちの国の言葉で書いたの」

「え、すごい!!料理に文字を書くなんて、初めて!!」


 リイナは興奮した様子で、光莉が何をしても喜んでくれた。





 本当になんてことないオムライスだったが(味付けもかなり適当だった)、リイナは喜んでくれた。

 食後は紅茶を淹れて、商店街で購入したマドレーヌのようなお菓子をふたつずつ分け合う。


「…ヒカリ、なにかあったの?」

「え」

「最近ずっと、元気なかったから」


 リイナもヒカリの様子に気付いていたようだ。どこまでもわかりやすいようで、そんな自分がますます嫌になる。


「………リイナ、ごめんなさい」

「え?」


 光莉はリイナに向き直り、正座をして頭を下げた。


「私…その、聞いちゃったの。リイナが、智希に……」


 頭を下げたまま、光莉はたどたどしく言葉を並べる。


「んん?? ……………はっ!!」


 リイナはしばらく思案した後でようやく何のことか解ったようで、頬張ろうとしていたマドレーヌを落としてしまった。


「も……もしかしてそれで落ち込んでた?!」

「いや、あのっ」


 ぱっと顔を上げると、リイナが心底心配そうな様子で光莉を見つめている。


「落ち込むっていうか…意識朦朧としてたのに、なんかうっすら聞こえちゃって…

 でも結果的に盗み聞きみたいになっちゃったし、リイナは…聞かれたくなかっただろうし…」


 慌てて言葉を並べると、リイナは真剣な表情で首を横に振った。


「それは私の油断。あんなとこで言うべきじゃなかった。むしろ聞かせちゃって、ごめん」


 リイナの真っ直ぐな瞳と言葉に、光莉は言葉を失った。

 謝って欲しくてこんな話をしたんじゃないのに、リイナに謝らせてしまった。

 ますます申し訳なくなって、光莉は再び視線を落とす。


「………違うの。ほんとはもっと早く謝りたかったのに、どうしたらいいかわかんなくて…」

「ヒカリが謝る必要なんてないよ」

「でもっ…」


 リイナの立場からすれば、確かに謝られること自体意味がわからないのかもしれない。

 余りにも不器用な自分を晒してしまっていることに、光莉はだんだん恥ずかしくなってくる。


「ヒカリはトモキの気持ち、知ってるんでしょう?」


 はっ、と思わず顔を上げた。

 光莉は視線を泳がせながら、おずおずと頷く。


「なら、どうしてそんなに悲しそうなの?」


 自分が悲しいのかはわからないが、確かに、リイナの告白を聞いてからは一度も浮かれた気持ちにはなれなかった。


「……智希のことも、リイナのことも大切だから……」


 だから、何なんだろう。

 どっちも大事でどっちも手離したくないから、欲張って両方手に入れようとしているのだ。

 胸の痛みが増してきた。泣いちゃいけないと思うのに、涙が溢れてくる。


「2人が恋人同士になっても、私は大丈夫だよ。2人が両想いなのは、わかってたもの」


 リイナにこんなことを言わせるために、オムライスまで作ってリイナを出迎えたんだ。

 情けなくて、申し訳なくて、光莉は膝を抱えた。


「泣かないで、ヒカリ」


 なんとか声を出そうと思うのに、声は嗚咽に飲み込まれた。

 自分勝手な自分が嫌だった。

 やっぱり、私はダメな子かもしれない。

 どんなに智希に認めてもらっても、本当は汚くて、意地が悪くて。


 こんな時に限って、親や周囲から言われてきた罵倒が甦る。

 悪魔。気持ち悪い。醜い。私の子じゃない。出て行け。呪われて死んでしまえ。







「……リ。…ヒカリ、落ち着いて。ゆっくり呼吸して、ね?」


 気付けば光莉はリイナの腕に抱かれ、背中をさすられていた。

 リイナの暖かい体温のおかげで、ようやく身体に酸素が入ってきたような気がした。


「ヒカリはやっぱり、なにか…苦しんできたのね。

 でも言ったでしょ。この世界に居れば、大丈夫。私はあなたを見捨てたりしない」


 リイナの優しい言葉が、胸に沁みた。光莉の涙でリイナの肩は濡れていた。

 徐々に呼吸が落ち着くと、リイナは光莉の顔を覗き込む。

 そしてゆるりと、光莉の頭を撫でた。


「……ヒカリ。ちょっと待ってて」


 リイナはそう言うと、突然転移してしまった。

 なにがなんだかわからないまま動けずにいると、30秒もしないうちにリイナは戻ってきた。


「お師匠様のとこからぶんどってきた。気分だけでも、変えよう」


 そう言ってリイナは、テーブルにドンッと果実酒の瓶を置いた。






「すごい…!違う学校にいたのにまた再会できるなんて、奇跡だね!」

「そうなの! あのときはほんと、まさかって思ったよ~」


 2人ともお酒は初めてで、薄く薄くと言いながら注いでちびちび飲んでいたにも関わらず、だんだん良い気分になってきた。

 光莉はリイナに促されるがまま、智希との出会いやα地球で過ごした頃の思い出を語った。


「…で?トモキにはなんて告白されたの?」

「普通に…だよ。普通。…だめ、むり、思い出すとむり!」

「え~、教えてよ!」


 むりむり、と首を横に振りながらも、再び光莉は冷静になる。


「てか、ごめんね? こんな話やだよね?」

「もう、私が聞いてるんだからいいの! 次謝ったら腹筋させるよ?!」

「ご、ぁ、うっ……げほっ、げほっ!!」


 また「ごめん」と言いそうになりすんでのところでなんとか飲み込んだが、その拍子に光莉はむせてしまった。

 リイナは笑いながら背中をさすり、光莉の顔を覗き込む。


「ヒカリ。ほんとにね、申し訳ないなんて思わないで」


 ハンカチで口元を拭きながら、光莉は緊張しながらリイナを見た。


「私ね、ヒカリのこと、太陽みたいな女の子だなって思ってたの」


 リイナは光莉に向き合い、光莉の頭を優しく撫でた。


「明るくてキラキラしてて、優しくて、感情豊かで。

 私にないものを、ヒカリはたくさん持ってた。ヒカリみたいになりたいって思ってた」


 泣いたり、笑ったり、最初は忙しい人だと思っていたけど。

 その素直で豊かな感情が、周囲を暖かく笑顔にしていること。智希に負けないくらいの優しさで、人を想えること。本当は自分に自信がなくて、ひどく臆病なこと。

 光莉のことを知れば知るほど、リイナも光莉と一緒にいたい、傍で見守っていきたいと思うようになった。


「私はトモキのことが好きだけど、ヒカリのことはもっと大好き。

 大好きな2人に、幸せになってほしい」


 光莉のそういうところを、智希は傍で見てきたのだろう。

 だからこそ智希は光莉を好きになったのだと、リイナはちゃんと理解していた。


「泣かないで、ヒカリ」


 光莉は再び、ぽろぽろと涙を零していた。


「あり、ありがとう……!リイナ、ごめんね…!」


 両手で顔を覆い、光莉は必死に声を上げる。


「あ!」

「……あ!」


 光莉が「ごめん」と言ってしまったことに気が付いて、2人は声をあげた。

 リイナはくすくすと笑いながら、光莉の肩をポンと叩く。


「ハイ腹筋50回~!」

「ま、マジぃ?!」

「約束でしょ、ほら!」


 その晩2人は夜遅くまで、他愛もない話をした。

 リオンやエリアルの話、リイナの魔導学校の同期生の話。


 リイナの弟や母親の話も聞いた。今度は光莉が、リイナを慰める役目をした。

 お互い枯れるほど泣いて、その日は一緒のベッドに寄り添いあって寝た。お互いの体温が心地よくて、喋り続けているうちにほとんど同時に眠りについた。






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