** 光莉 ーきみを見つけた日ー
空疎な日々を送っていた中学時代だが、合唱部以外の夏の楽しみがひとつだけあった。
中学総体の応援だ。
うちの中学では、大会に出場しない文化部や帰宅部の生徒が、大会に出る運動部の応援に行く日が数日設けられていた。
合唱部で仲良くなったヘルプ要員の男子が野球部だったのと、元々野球観戦が好きなこともあって(教団主催の野球大会もよく観戦に行っていた)私は毎年野球部の応援に行っていた。
授業の一環で堂々と野球観戦ができる日なんて、他にはなかった。
「B中のピッチャー、2年生なんだって」
「へー。よっぽど上手なんだね」
「1年からベンチ入りしてたから、相当上手いんじゃない?」
一緒に応援に来た合唱部の友人の目当ては、うちの中学の選手ではなく相手校の選手だった。
相手校は去年も優勝した強豪校で、1回戦で当たるなんてうちの中学は不運だな、と思っていた。
「あ、あの子だよ。2年なのに背高いね~」
マウンドに上がったのは、背番号1を付けた長身の男の子だった。
どこか影のあるような、表情のない表情が印象的だった。
試合開始の整列を終え、相手ピッチャーがイニング前の投球練習を行う。
(姿勢がいい子だな…背筋がぴんと伸びてる)
まっすぐな、美しい姿勢だった。
大きな瞳で、キャッチャーを見つめる。
グラブを構え投球フォームに入ると、ボールは大きな音をたててあっという間にキャッチャーミットに吸い込まれていった。
柔軟な、良くしなる身体だった。
(フォームがきれい…細いのに体幹しっかりしてる)
審判が試合開始のコールをする。
柔らかく丸い目が、すこし鋭くなる。
振りかぶって放たれたボールは、「ズバン!」と大きな音を鳴らしてキャッチャーのミットど真ん中に入った。
審判がストライクをコールする。
「すご……」
思わず声が漏れた。
相手側の応援席から拍手が起こる。
(球速130キロは超えてるでしょ……)
記録的な猛暑だった。
まだ1イニング目だったが、相手ピッチャーは帽子を外して袖で汗をぬぐった。
2球目は、ゆるやかな変化球。
タイミングを合わせられず、打者のバットが空を切る。
3球目は、1球目と同じく速球。
打者はバットを振ることすらできず、ボールはミットに吸い込まれてしまう。
3球で軽々と三振を奪ってしまった。
「すごいねー!あれは打てないでしょ」
「……ほんとにね」
友人は、興奮した様子で声をあげる。
キャッチャーから声をかけられ、ピッチャーの彼はボールを受け取りながら笑顔を浮かべた。
大きな瞳が、ゆらりと柔らかく揺れる。
なぜか胸が痛かった。
理由はわからないけれど。
(この人が、同じ中学だったらよかったのに)
直感的にそう思った。
どうしてかはわからないけれど、この人と自分は理解し合えるような、そんな奇妙な感覚を抱いた。
「天野くん、すごいわね~!ほんとに入部してくれてよかった」
「リトルリーグの頃から噂だったものね。
でもせっかくの晴れ舞台なのに親御さん見に来られないのね」
相手校の保護者と思われる女性2人が、段ボールを抱えて通路を歩きながら話している。
相手ピッチャーの名は、《天野くん》と言うらしい。
「父子家庭だもの。お仕事お忙しいみたいよ」
「え!そうなの~」
「お母さんが出ていっちゃったって。
大変よねぇ、男手ひとつで子ども育てるなんて」
「うちの旦那には絶対ムリ!」
聞きたくないことを聞いちゃったなぁ、と思いつつも、名前を知れたことに感謝する。
いつか話せたらいいな、なんて絶対叶いもしないことを考えながら、《天野くん》の活躍を目に焼き付けていた。
その後も《天野くん》の中学は順調に勝ち進み、全国大会にまで行ったと聞いた。
しかし翌年の中学総体には、《天野くん》の姿はなかった。
風の噂で《天野くん》のお兄さんが、去年世間を騒がせた『B中同級生刺傷・いじめ自殺事件』の、同級生刺傷の加害者でありいじめの被害者であることを知った。
そしてその影響で《天野くん》は転校し、野球を辞めてしまったことも。
高校に入り、クラス発表の掲示に『天野智希』という名前を見つけた。
それがあの《天野くん》かどうかはわからなかったが、胸がざわついた。
入学式は、出席番号の順番に男女混合で1列に並ぶ。
隣のクラスの『天野智希』とは出席番号が近いので、すぐ近くに来るはずだ。
体育館に入場して、その横顔を見て、すぐにわかった。
あの夏に見つけた、《天野くん》だ。
あの頃より、少し身長は伸びていた。痩せたようにも見えた。
髪は少し伸びたみたい。大きな瞳は変わらない。
表情のない、表情も。
なぜか涙が出そうだった。
この感情がなんなのか全くわからない。好きとか、恋愛だとか、そういう感情ではない。
だって私は《天野くん》のことを、まだなにも知らない。
ただ、話してみたかった。
なぜか私の心を預けられるような気がしたから。
クラスも違うので、天野くんと話すことは一度もなかった。
廊下ですれ違うたびに一方的にドキドキしていたが、相変わらず私は天野くんのことをなにも知らなかった。
噂話程度で、天野くんの話は伝わってきた。
お兄さんのこと、野球で全国に行ったのに野球は辞めてしまったこと、ちょっとカッコイイよね、という女子たちの会話。
天野くんは友達は少なく共通の友人もいなかったが、唯一、天野くんのバイト仲間という男子生徒と仲良くなった。
「朝倉ちゃん、新しいバイト探してるの?うちで働きなよ~!可愛い子大歓迎!」
「やる」
軽薄な口調で勧誘されたことなど全く気にも留めず、即答した。
天野くんは想像していた通り、優しくて穏やかで、笑っていてもどこか表情がみえないような、そんな人だった。
高校までは30分かけて自転車で通っていること。ファーストフードより、おにぎりが好きなこと。バナナが苦手なこと。塾には通ってないけど理系の成績はよくて、化学が得意なこと。文系科目は全然ダメなこと。歌うのは苦手なこと。字が綺麗なこと。
少しずつ、知っていくことが嬉しかった。
学校の球技大会では、野球に出場し大活躍だった。廊下ですれ違うと、目を合わせて頷くように挨拶をくれるようになった。バイト終わり、試験のわからない問題を一緒に解いてくれた。
本当に少しずつ、少しずつ、関わりが増えていった。
(これはもう、恋、なんだろうなぁ…)
失うことが怖いから、絶対に気持ちを伝えるつもりはない。
今のこの関係が、いつまでも、いつまでも、続いていけばいいのに。
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