03 蛍の光







 帝都は城下町のようなものなので、やはり住宅や商店が多い。

 建物には詳しくないが、中世か近代ヨーロッパのイメージの石造りの建物が多いようだった。

 しばらく歩くと、ひときわ大きく豪華な造りの建物と広場に辿り着いた。


「リイナ、あの建物はなに?」

「教会よ。皆、定期的にお祈りに行くの」


 いわゆるゴシック調のような建物で、教会と言われて納得した。

 人の出入りも比較的多く、広場では皆が思い思いに過ごしている。


「祈るのは…誰に対して祈るの?」

「ラティア神、それにシャマシュ様とイシュタル様。

 他にも古代の神々はたくさんいるから、その皆に対してかな。

 お祈りをたくさんするほど、強い魔力を得られると言われているの」


 お祈りの頻度は人それぞれのようで、ミサのように決まった曜日に集まるというわけではないようだ。

 しかしこの世界でも、神に対する宗教的な信仰心というのは存在するのだなと改めて感じる。




 

 ちょうど広場のベンチが空いていたので、2人並んで腰かけた。

 買い物帰りの人、教会を出入りする人、駆けまわって遊ぶ子供たち、それを見守る老夫婦。

 こういう風景は、元の世界となんら変わりはない。


 すると、2人の座るベンチの前を駆けていた男の子が派手に転んだ。

 持っていた荷物も吹っ飛び、がしゃん、という音がする。

 智希は慌てて立ち上がり、男の子に駆け寄った。


「おい、大丈夫か?」

「い、痛いー……」


 目に涙をうるうると溜めながらも、男の子は起き上がる。

 その後ろから数秒遅れて、男の子より年下の女の子が追いかけてきた。どうやら、兄妹のようだ。


「にいに、だいじょうぶ?」

「…うん。でも、プレゼントが……」


 リイナが男の子たちの荷物を拾い上げ、困ったような顔をしている。

 綺麗な紙袋の中に、プレゼントの品が入っているようだ。


「プレゼントなのか」

「ばあちゃんのお見舞いに…コップ、買ったんだ。

 でもきっと割れて……母ちゃんに怒られる…!…う、うえ~ん……っ……う、う」

「にいに、……、う、え~んっ……!」


 祖母のお見舞いのために買ったプレゼントが割れてしまったと、兄妹は泣いているようだ。

 智希は2人の頭を撫でながら、リイナから紙袋を受け取る。


「割れてないかもしれないから、確かめてみよう。な?」

「う、うん……」


 目に涙を浮かべたまま、男の子が頷く。

 智希はそっと包み紙を外し、中身を開いた。『修繕』の魔法を、かけながら。


「あれ?割れてないぞ。綺麗なままだ」

「え!!」


 買った時のままの姿のコップを目にして、男の子は目を輝かせた。

 妹も合わせるように、「え!」と叫ぶ。


「良かったー!

 ぜったい、割れちゃったと思ったのに!!」

「良かったな。包み直してやるよ」


 リイナは何か言いたげだったが、智希は唇に人差し指をあて、小さく笑った。

 リイナは困ったように笑いながら、頷いた。


「もう走らずにそっと持ち歩けよ」

「うん!ありがと、兄ちゃん」


 今度は大切に大切に抱えるように歩きながら、2人は手を繋いで歩いて行った。


「トモキは、優しいね」

「普通だよ、こんなの」


 人に優しくなれるのは、気持ちに余裕があるからだ。

 この世界に来て毎日忙しく動いてはいるけど、心は本当に平穏だった。






 その後もしばらく、とりとめのない会話をしながら2人は広場で過ごす。


「教会なのに、静かなんだな。

 元の世界だと、聖歌とかが聞こえるイメージ」

「セイカ?って、何?」

「あー…そうか、こっちは音楽がないのか」

「オンガク?」


 光莉が言っていた。

 この世界には、音楽や歌が存在しない、と。


「高さの違う音を組み合わせたもの、かな。

 それに言葉や詩、抑揚をのせて、歌を作ったり」

「ウタ…」

「そう。俺たちは小さい頃からその…歌を習う。

 みんなで一緒に歌ったりして」

「へぇ、なんだか楽しそう」


 音楽や歌の概念がない世界でその説明をするのは、非常に難しかった。

 笛などで単一の音を出したり打楽器のようなものはあるようだが、音階の組み合わせで旋律を奏でる、というようなことはしないようだ。


「なにかウタ、教えて」

「俺は歌下手くそだからなぁ」


 特に智希にとって苦手な分野だったが、興味津々で聞いてくるリイナを無下にはできなかった。


「きーらーきーらーひーかーるー、おーそーらーのーほーしーよ……とか」

「わぁ、すごい!」

「すごいか……?」

「それが、ウタ?」

「うーん……」


 これが歌、と言ってしまっていいのか自信がない。

 リイナにとって初めて聞く音楽が自分の歌であることに、申し訳なさを感じる。


「なんかでも、似たようなの…聞いたことある」

「え、似たようなの?」

「えーと……」


 リイナは記憶を辿るように、口ずさんだ。


「…ホータールノ、ヒーカーリ……だったかな」

「え」


 『蛍の光』。

 俺たちの故郷でも、歌われていた曲だ。


「まーどーの、ゆーきー……ってやつ?」

「あ、それ!それ!」

「え、どこで聞いたの?」


 まさかこの異世界で、故郷の卒業ソングを聞くことになるとは思わなかった。

 どこから伝わったのか想像もつかずリイナに尋ねると、リイナは少し気まずそうな様子で答える。


「……お母さんが、よく聞かせてくれた。職場で教えてもらったんだって」

「職場…?」

「お母さんは養老院で働いてたんだけど…異世界の詩だ、て。前回の召喚者様が、養老院の中で教えてたって」

「前回の召喚者も…日本人だったのか」


 まさか、間接的にとはいえリイナが前回の召喚者と繋がりがあるとは思いもしなかった。

 前回の召喚は約130年前。

 その召喚者がどの時代から来たのかは定かではないが、もしも智希たちのいた時代から130年遡った時代からの召喚者であれば、明治の頃となる。


 明治時代と言えば、鎖国が終わり文明開化を迎え、諸外国の文化が流入している頃だ。

 元々はスコットランド民謡である『蛍の光』が既に伝わり日本語訳されていても、おかしくはない。


「前回の召喚者と、養老院はどういう繋がりがあるの?」

「召喚者様が設立した養老院なの。

 管理者は代わってるけど…今もちゃんと残ってるわ」


 確か前回の召喚者は、男女で折り合いが付かず対を解消し、元の世界に戻ることなく晩年を孤独に暮らした、と聞いている。

 その中で、養老院を設立したのだろう。


「やっぱり…気になる?前回の召喚者様のこと」

「そうだね、まだ何も知らないから…」

「私たちも詳しく伝え聞いているわけではないの。

 なんとなく触れちゃいけないことみたいになっていて」


 確かに様々な事情があったとはいえ、β地球の人からすればせっかくの召喚が無駄に終わってしまったといっても過言ではない。

 130年前の皇帝や政権がどのようにあったのかは知らないが、都合の悪い真実をわざわざ臣民に広めることはしなかったということだろう。


「…じゃあ、いつか行ってみたいな…その養老院に。

 何かわかるかもしれないから」

「そうね。もしかしたら召喚者様を直接知る人がまだいるかも」

「そうか、確かに。

 今度詳しいこと、教えてくれる?」

「うん。どこにあるのかとか、調べておくね」


 『お母さんに聞いておく』じゃないんだな、とふと思った。

 普通ならそれが一番、手っ取り早いのに。


(もしかして、今朝落ち込んでたのはお母さんに関係があるのかな…)


 リオンやリイナから、家族についての話は聞いたことがなかった。

 いずれにしても、リイナが泣くほど落ち込むような悩みが早く解消されればいいなと、智希は思った。


「……ホタルノヒカリ、マドノユキって、どういう意味?」

「うーん……昔はたぶん灯りとかが十分じゃなくて、夜は蛍の光や窓の雪の明るさを利用してまで勉強した……ってことかなぁ?」


 曲自体はスコットランド民謡だが歌詞は『蛍雪の功』から来ていて、恐らく中国かどこかの昔話だったのではないかと思う。

 歌詞の説明については、以前音楽の授業で習った記憶があった。


「……ヒカリの名前って、『光』っていう意味?」

「あぁ、そうだな。意味は同じだ」

「……ヒカリに、よく似合ってる」

「ほんとにな。俺も思うよ」


 明るく朗らかで誰とでも仲良くなれて。

 そんな光莉によく似合った名前だと、改めて思う。


「ねぇ、さっきのウタ、続きを教えて」

「俺より光莉に聞いた方がいいよ。俺ほんと歌苦手なんだ」

「ダメ。トモキが教えて」


 苦手分野について聞かれるのが、もっとも困る。

 どう断ろうかと考えていると、ひとつ交換条件を思いつく。


「……じゃあ、教えるから…代わりにちょっと相談があるんだけど」

「え、なに?」


 それから智希はリイナにひと通り歌をレクチャーし、音楽が何たるものなのかを説明した。

 そしてリイナにいくつか店を紹介してもらいながら、帰路についた。








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る