メイデー

七春そよよ

休日のルド

※流れ無いです。

途中から始まっていきなり終わります。


┄┄┄┄┄┄┄



 

 僕の女はもつ 未精白の大麦の頸

 僕の女はもつ 黄金の渓谷の咽喉

 奔流の河床のなかによこたわる逢引の咽喉 …

 僕の女は持つ ルビーの坩堝

 霧におおわれた薔薇の亡霊の乳房

 僕の女は持つ 扇状にひろがる日々のひろがる腹…

 

 廊下は長く続いている。壁は本棚がぎっしり敷き詰められており、分厚さや古臭いタイトルデザインから見たところ全てが古い魔導書のようだ。ところどころ、本を押さえる為に銀の林檎の形の置物や、壊れたランプが隙間に挟み込まれている。着古したローブ、小さな調理鍋、細かい宝石の屑なども床に散乱している。家主は相当片付けが出来ないらしい。

 

 巨大な猛禽の爪の腹

 僕の女は持つ 垂直に逃れ去る鳥の背中

 水銀柱の背中 光線の背中

 転がる石のまた湿った白墨の項

 飲んだばかりのコップの落下の項

 僕の女は持つ 小船の腰

 シャンデリアの また矢羽根の腰

 白孔雀の羽の幹

 

 詩を読む声はどんどん近付いている。長い長い本棚の廊下を歩いていると、やがて大きな扉の前に辿り着く。声はこの扉の前から聞こえてくる。心做しかお菓子のような甘い香りが漂ってくる。躊躇っている暇は無い。俺は兎の形を模した金の取っ手に手をかけた。

 大きな木製扉はギイと重い音を立てて開いた。眼前には先程の細い通路からは想像もつかない程の広さの規模の書店が広がっていた。天井は高く、ステンドガラスの窓からは月明かりが差し込んでいる。足元に小川が流れ、小さな煉瓦の橋がかかっている。魚は生き生きと泳ぎ、水面は月に照らされて光っている。中央に聳え立つ巨木は幹の一部がくり抜かれ、本棚になっている。枝には魔法瓶が吊り下げられ、そのいくつかはひび割れている。広さに圧倒され辺りを見渡していると、声の主は直ぐに見つかった。

 赤い絨毯の上に本が乱雑に積まれている。その真ん中の机に彼は座っていた。いかにも魔術師、というような真っ黒のローブを身にまとい、頭には大きな兎の顔を被っている。その異様な姿に一瞬戸惑ったが、彼の隣を見れば栗色の髪の少女が腰掛け、一緒に本を眺めている。彼は少女に詩集を読み聞かせているようだった。

 

 俺は海水にどっぷりとつかり 海の歌を聞く

  星空を映し出した海は群青色に輝き

  俺の青ざめた喫水線のあたりを

  溺れた男が夢見ながら流れていく

  すると突然 海を青く染めながら 

  けだるくスローなリズムが日の光を浴びて

  アルコールより強烈に 音楽より心広く

  褐色の辛い愛を醸成する


  俺は稲妻が空を引き裂き

  海が迸り上がるのを見る

  夕べに続いて夜明けがきて

  さまざまなことどもが次々と起こった


  低く垂れた太陽は紫の斑をまとい

  神秘的な恐怖に彩られている

  波は古代劇の役者のように

  はるか遠くで鎧戸のきしむ音を立てる

  俺は夢見る 緑の夜は雪のように輝き

  ゆっくりと海に向かって接吻するのを

  かつてない生気がみなぎりわたり

  金色やブルーに 燐が揺らめき歌うのを


  来る月もまた来る月も 波のうねりが帆を叩く

  ヒステリーの牝牛の群れのように

  かのマリア様の輝ける足が

  海の轡など蹴飛ばしあそばさるのも知らずに

 

 

 「やあ、エメラルドの君。ライラック古書店へようこそ。それとも宝石商、海洋雑貨店をご利用かな」

 

 兎頭が突然振り返りこちらを見たので、驚いた。ずっとこちらに気付いていたのか。動揺しそうになるのを抑えて俺は一呼吸置く。

 

 「…ここで、薬が買えると聞いたのですが」

 「ああ魔法薬だね。それなら僕が個人で売ってるよ。さあ、お客様。こちらへ腰掛けて待っておいで」

 言われるがまま、彼の指差した翠色の深めのソファに腰掛ける。傍のテーブルには見たこともない色とりどりの焼き菓子やスコーンが堆く積まれている。先程の甘い香りはこれだろうか。魔術師はティーセット一式を金色のトレイに乗せて俺の目の前の低いチェアに腰掛けた。

 「好きに食べてくれて構わないよ。さあ温かいお茶をどうぞ」

 「有難うございます」

 ティーカップは細かい装飾のあしらわれた美しいソーサーに乗せられている。紅茶は普通のものと変わりないが…相手は魔術師なのだから、警戒心を怠ってはいけない。カップを凝視していると、兎頭はくすくすと笑った。

 

 「毒なんかは入っていないから、大丈夫だよ。真面目なんだねえ、君は」

 「あ…いえ。すみません」

 「警戒するのも無理はない。ここは誰しも簡単に立ち入ることが出来ない場所だからね。君がここで僕に襲われ、危険な目に遭ったとしても警備員さん達は助けに入ってこられないだろう」

 「………」

 「しかし、安心したまえ。僕は君を傷つけたりはしない。もはや今の僕は、誰の敵でも味方でもないのだよ。この世のありとあらゆる全カテゴリから免れ、大きな道筋から外れ、あの少女と二人で気楽に生きている。戦争には、疲れてしまったんだ。教団だとか、連合軍だとか。全てはどうでもいい事なのさ。争いごとにはもううんざり」

 

 呆れたような手振りをして、彼は紅茶を啜る。しかし、よく喋る魔術師だ。姿を見せないとの噂だったから警戒していたが、こんなに気さくな人物だったとは。紅茶を飲む際、彼が兎の被り物を少しずらしたが、顔までは見えなかった。というか、やっぱり被り物だったのかよ、それ。

 

 「ところで君、どうやってこの店を見つけたんだい」

 「実家の書物に書いてあったので、手順通り辿って来ました」

 「ああ君、もしかしてシュマド家の血筋かい。どおりで鋭い目をしていると思ったんだ。彼等にはいつも贔屓にしてもらってるからね、いつでも来れるように道を一つ預けておいたのさ。まさか息子さんが一人で来てくれるとは思わなかったけど」

 「…ここには、他にどういう客が来るんですか」

 「色々だね。君みたいに普通に買い物をしに来るお客さんもいるけど、この場所は外界から遮断されているから、政府関係者が極秘で取引に使ったりもするね。あとは子供が隠れんぼしてる間に偶然迷い込んだり。昨日はね、可愛い女の子が一人で店に来たよ。好きな人におまじないを掛けたいから、すみれの香水を売ってくれって。気配からして、あの子多分そのうち魔女になるんじゃないかな」 

 

 赤いジャムの乗ったクッキーを齧りながら、魔術師は話し続ける。

 「さて、本題に入ろう。君の所望する薬はこちらかな」

 彼はすぐ側にあった木製の引き出しから、黒い瓶を取り出し、机に置いてみせた。確かにそれは俺が望んでいた、ラクシャサの秘薬だった。

 

 「俺はまだ何も話していない。何故分かったんですか」

 「なんでも分かるさ。君のような人はね。特に分かりやすい」

 何だか不服だが、確かにこの魔術師は只者ではないのだ。俺の考えなど全てお見通しなのだろう。一言礼を言って、薬を受け取る。

 

 「末恐ろしいねえ。君のような健康な青年が、そんな代物を欲しがるだなんて。一体何に使うつもりなんだい」

 「説明する義理はありません。対価は支払いますが」

 「はは、手厳しいね。流石シュマドの家系だね。対価は、そうだなあ。少し高いが、君の寿命を少しだけ頂けるかな?大丈夫、今直ぐに死んだりはしないから」

 「どのみち長生き出来るとは思ってないので、別に構わないですよ」

 「おやおや、最近の若者は生に執着が無さすぎるんじゃないか。そう簡単に命を差し出してはいけないよ。僕が言えたことではないけれどね」

 「………」

 「時間というのは何よりも大切なものだ。金でも買えない、他の何にも代えがたい。君の時間は、君だけの物なんだよ。命を有効に活用したまえ、ルド青年」

 「なんで名前まで知ってるんだよ…」

 「何でも知っていると先程言っただろう。それにしても君、どうやら悪魔と何か約束を結んでしまっているだろう。このままではどんどん深みに嵌って抜け出せなくなってしまうんじゃないのかい。これは老人のお節介だと思って聞き流してくれても構わないのだけど」

 「声質からして、貴方が老人だとは思えませんが…」

 「凄腕の魔術師なんて、皆そんなものさ。一生のうちに得られる知識なんて限られてる」

 「不老不死は禁忌では?」

 「目的達成のためには何かを犠牲にしなければいけないこともある。それは君が一番分かっているんじゃないのかい」

 そう言って彼は虚空を指差す。姿を消してはいるが、俺の近くに浮遊しているマヴェット達の気配に気がついているんだろう。

 

 「神が悪魔を許容するのは、悪魔が宇宙の推圧遮断機であって神々の清掃人だからだ。俺が思うに、破壊的な力が魔神ではなく神として分類されている理由はそれが宇宙の法則による反作用であり、無秩序で乱れた力ではないからなのだけれど」

 「…つまり何が言いたいんですか。昔話を聞くのは苦手なので単刀直入にお願いします」

 「はは。だからね、つまり君、このまま悪魔に頼りきりじゃ身が持たないよってこと」

 

 いつの間にか先程の少女が隣の椅子に座り、刺繍をしていた。フード付きの長いワンピースの裾に白い花の刺繍を施している。細かく縫い進める様子をじっと眺めていると、俺の視線に気がついたのか、こちらを見てにこりと微笑んだ。一見平凡な人間に見えるが、この不穏な魔術師と二人で暮らしているというのだから、恐らく何らかの事情を抱えている、もしくは只者ではないのだろう。

 

 「僕も昔は無茶をしたからね、君のような若者を見てるといたたまれなくなってくるんだよ。無謀や果敢な行動力は若者特権だと思っていたがね、しかし振り返ってみれば、やはり身を削るのはよろしくない。君にもいるだろう?大切な人が」

 

 魔術師は少女に一瞬目をやり、優しく目を細めた。いや、正確にはそんな気がした、というだけだ。被り物をしているというのに、不思議とこの男からは気配だけで感情がはっきりと伝わるのだ。

 「……まあ、はい、そうですね」

 「なら、自分のことも大切にしておかなくちゃいけないよ。魔法使いとは、肉体と魂が健康に揃っていてこそ魔力を最大限発揮出来るものなのだから、何一つ犠牲にしてはいけない。勿論、時間もね。禁忌に触れるつもりなら、自分の中でしっかりと線引きをしておくことだ」

 「…………」

 「君の場合は、嫉妬だね。これが危険なんだ。邪心は蛇身とも言うように、自ら取り憑かれて絞められてしまうからね。困ったことに、特にその薬とは非常に相性がいいだろう。喉を焼く覚悟があるなら口にするといいけどね」

 「……忠告どうも有難うございます」

 

 紅茶は少し甘く、良い香りがする。一口飲む事に血のように全身に巡る感覚がする。何かしらの魔法がかかっているとすぐに気づいたが、不思議と嫌な感じはしなかった。先程話していた通り、彼は危害を加える気は一切無いらしい。むしろ頼んでもいないのに助言まで与えようという気概ではないか。今朝、警戒して鞄に刃物を仕込ませてきたのが馬鹿馬鹿しくなってきた。

 

 「そういえば、この店の周りは植物だらけでしたね。外観が殆ど覆われている」

 「ああ、あの植物ね。キヅタで覆っているんだ。あれは魔女の脅威から守ってくれるから」

 「貴方、魔女に狙われているんですか」

 「まあ、色々因縁があってね。痴情の縺れというか」

 兎頭の彼は苦笑いを浮かべ、ばつが悪そうに目を逸らす。隣の少女はその様子を見てくすくすと笑う。

 「お客様、紅茶をもう一杯いかがですか」

 少女がティーポットを傾けてみせるが、「いや、もう大丈夫」と断って立ち上がる。長居するつもりではなかったのに、すっかり留まってしまった。兎頭の魔法使いは銀を杖を片手に立ち上がる。

 

 「出口まで送ろう。迷子になるといけないからね」

 「この部屋までは一本道のように見えましたが…」

 「いや、色々と複雑な結界が張ってあるんだよ。君は花達に案内されてここまで来ただろう?」

 そういえば、来る途中に壁の隙間に雑多に植えられた花がひそひそと話しかけていた気がする。

 「では、薬の使い方には呉々も気をつけて。また逢えることを願ってるよ」

 短い別れを告げて、魔法使いは杖を天高く翳した。涼しい風が吹き、草花がざわざわと揺れ始める。一瞬目を瞑り、はっと開いた時には古書店も彼らもすっかり消えて無くなっていた。辺りを見渡せば、俺は今朝の骨董品屋の前に立っていた。

 

 帰宅する。鞄をリビングの床に投げ捨てる。洗面台の上に並ぶ瓶に石鹸を補充する。ポットに茶葉を適当に入れてお湯を沸かす。そうして壁に掛けられた表彰状をぼんやり眺めていると、自分が学生である事をようやく思い出す。そういえばここ最近は魔術師との会合やら必要な薬の入手やらに追われて、今月分の課題にまだ一切手をつけていないのだった。…しかし今日はもう疲れてしまった。何もしたくない。買ってきた食材を雑に棚に仕舞い込み、カップを片手に自室へ向かう。

 

 未使用だった頭痛薬の封が切れている。アネモネが勝手に使ったんだろう。恐らくメイデーとの繋がりにまだ慣れず、身体が不調を引き起こしているんだろう。アイツは右の眼球を依代にしているから、契約時の痛みが頭に直結するんだ。可哀想に。けれど、自業自得だ。俺との約束を裏切って、訳の分からないサリディを守護者に選んだりするから、罰が当たったんだよ。怒りに任せ、俺は薬の瓶を全て回収する。魔導書のびっしり並ぶ本棚の奥に、薬と先程魔術師から受け取った黒い瓶を隠し、ガラス戸を締めて鍵を掛けた。アネモネは薬を買えるだけの金を持っていない。すぐ隠された事に気づき、焦るだろう。そのまま当分苦しめばいい。俺から離れようとしたんだから、罰として同じだけの苦しみを味わえばいい。何だか腹の奥から重苦しい黒い渦みたいなものが立ち上ってくるような感覚に呑まれる。喉が熱い。先程魔術師の店で飲んだ紅茶だろうか。

 

 なあ、アネモネ。俺はお前の為なら何だってやれるんだよ。黒魔術に手を染めることだって、人殺しさえ厭わない。既に四人殺しているし、他にも悪魔の儀式の際多くの生き物を生贄に捧げた。花を踏み躙り、河川を一つ消滅させ、山を燃やした。動物も人間も殺した。俺はもう、後戻り出来ないところまできてしまっている。孤独は覚悟の上だ。お前は何も分かっていない。知らなくて当然だ。俺がお前を好きだなんてことは、一度たりとも直接口にした事がないんだから。俺が学園で首席を維持していること、更に交友関係の拡大、連合軍や教団に歯向かう理由。シュマド家との血縁の維持。その何もかもが、最終的にお前の為に繋がっている。その事に、お前は微塵も気づいていないだろう。でも、それでいい。全ては水面下の出来事で、俺の努力が表に出ることは無くとも、それで構わない。

 

 幼い頃から役立たずの居候と罵られ、この世の何処にも居場所を感じられず、唯一優しかった過去の俺の姿に、今も縋り付いているだろう。そうだ、お前は一生そのままでいればよかったんだ。一人ぼっちで、何も知らされない。俺の家で、俺の傍で、常に目の届く範囲にいればよかった。永遠に可哀想な少女のままでいればよかった。それなのに、何故だ?今のこの現状はなんだ。邪魔者が介入する余地など、無かった筈なのに。何処で間違えた?俺は何処で隙を見せた。メイデー、あの忌々しいサリディのせいで俺の計画が何もかも滅茶苦茶だ。一刻も早くあいつを殺さないと、目的の為に犠牲になった全ての命と時間、俺の費やした労力が無駄になる。そんなのは死んでも御免だ。

 

 「邪心は蛇身ともいうように、自ら取り憑かれ、絞められてしまう」と、先程の魔術師の言葉が脳裏を過ぎる。そうだ。俺の身体は今も尚、蛇に巻かれているのだろう。彼にはそれが見えていたのだ。契約が成立している以上、マヴェットが俺を裏切る筈がない。そう思いたいが、言葉が通じるとはいえど所詮相手はサリディだ。常識や倫理の通用する相手ではない。いつ裏切られないとも限らない。何故俺がここまで身を粉にして、犠牲を払ってまで求めなければいけないのだろう。教会で出会った銀髪の彼の言うように、これはもはや宿命なのかもしれない。追いかければ追いかける程、なぜか彼女は遠ざかっていく。この家に閉じ込めても、世間から孤立させても尚、アネモネは強い意志を抱き続ける。強く傷つけて心を木っ端微塵に砕いたとしても、ふと目を離した隙にまた柵を抜けて一人で駆け出していってしまう。いつも俺を置いて、誰かの元へ行ってしまう。きっと、アニヤの血筋が流れているせいだ。強すぎる祈りが、彼女をどうしたって光の方へ導いてしまう。闇の中に置いていかれるのは、いつも俺一人だ。どうすれば、あの子の心を傍まで留めておける。どうすれば、どうすれば。

 

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