第15話 酒乱

「じゃあなつめは表口から入って。俺は裏口から入るから」

 急いでラーメン屋まで来たのはいいものの、1時間は近くが確定しているため、入るのが少し億劫である。

 重い足取りのまま、裏口のほうへ向かおうとしたとき、なつめが浩太朗のもとへ走ってきた。

「私も裏からはいっていい?こうなったのは私のせいでもあるし」

「うーん……まあ、いいと思うよ。めぐさんなら許容してくれる」

(でも、許容してくれるのはなつめのことであって、俺は確実に怒られるけどな。……何か月ぶりだっけ、めぐさんがキレるのって。あの人めったにキレないから、起こった時が超怖いんだよな……)

 前にめぐが浩太朗に怒ったのは、お酒も弱いのにもかかわらず仕事中にお酒を飲もうとするめぐを見かねて、浩太朗が店にあるお酒をすべて、めぐが届かない場所に隠したのが原因だった。

 よっぽどお酒が飲みたかったのかは知らないが、お酒が飲めない苛立ちが浩太朗に向いてしまったのだ。

(あの時は大変だったなあ……胸ぐらは掴まれるわ、みぞおちに一発もらうわ。あれは死ぬかと思った。その日から店の酒に一切触らなくなったし、酒を止めるのもやめたっけ)

 過去の出来事を思い出す浩太朗。みぞおちに食らった一撃の痛みが一週間以上続いたのは忘れられない。

 裏口のドアを開けて中に入ると、厨房にかつてないくらい怒りのオーラを纏っているめぐがいた。

 エプロンの紐が、一人でどうやって縛ったんだ、と思わせるくらいにきつく絞められており、後ろ姿からでも怒っているのが感じ取れる。

「あの……め、めぐさん、遅れて、すいません」

 浩太朗が挨拶をするが、めぐは振り向くそぶりを見せず、料理をする手を止めずに言った。

「早く準備して、今日忙しいから。エプロンに着替えたらすぐに私と代われ」

「は、はい……わかりました」

 所定の場所にバッグを置き、急いでエプロンに着替える。

 手洗いを済ませ、めぐの隣に立つと、めぐは黙ったまま厨房を出て行った。

 浩太朗はめぐから料理を受け継ぎ、注文通りにラーメンを作っていく。

 めぐが出て行ったのを確認したなつめは、ステルスモードを解除し、浩太朗の隣にひょこっと現れた。

「店長さんって、いつもあんな感じなの?私が接客してもらった時は、もっと優しい雰囲気が漏れ出てたよ?」

「いや、そんなことはない。いつもは優しい。というか天使。だけど、怒ると大魔王に成り変わる。さっきみたいに」

 めぐの笑顔は世界を救うと言っても過言ではない。浩太朗も、その笑顔に何度か助けられている。

 困った時の相談相手はめぐしかいないため、浩太朗は、なにかあると真っ先にめぐに相談する。

 そこで、浩太朗が落ち込んでいたり、悩んでいたりすると、必ず笑顔でこういうのだ。「こうくんなら大丈夫!」と。

 しかし、そんな天使のようなめぐはここにはいない。ましてや、さっきのめぐを見て、天使だと思える人はいない。

「なにかやらかしちゃったの?只事じゃなさそうだけど」

「いや、何もしてない。強いていうなら、遅刻連絡をしてない上に、電話を何十件か無視したことくらい」

「そうなんだ……私にも何か手伝えることはない?こうなったのも、大体が私のせいだし」

「大丈夫、その気持ちだけ受け取っとくよ。第一、これは俺らの問題だ。なつめが入り込む必要はない。大体、連絡しなかっただけでああなるのがおかしいんだよ」

 なつめは、浩太朗との距離感を覚えた。近づいていたようで、実際にはあまり近づいてはいなかったことに、すこし悲しく感じた。

 客がたくさんきていることから、めぐからの無言のオーダー票が絶えず、時が経つごとに注文の数が増えていく。

 いつもならめぐがヘルプに入ってくれるが、今日は入ってくれそうにない。

 それに...

「字が汚ねえ……何これ?数字しか読めん」

 字が汚すぎて何を作ればいいかわからない。唯一わかるのは、席の番号と個数だけ。肝心の料理名がわからないので、作ることができない。

「まあいい、後回しだ」

 読めないからと言って、暗号解読にかけている時間はないので、とりあえず今あるオーダーを優先することにした。

 数十分後、大体のオーダーが片付いたので、調理台の上を少しだけ掃除して、安堵のため息をつくと、ちょんちょんと、誰かに右肩を突かれた。

 顔を向けると、エプロン姿のなつめがおり、両手を広げて見せびらかしてきた。

「どう、似合う?」

 長い後ろ髪を一つに縛っており、浩太朗はそんななつめに釘付けで、数秒間固まっていた。

「……ど、どうって、いいんじゃね?というか、なんでそのエプロン着てるんだよ。余ってたのか?」

 浩太朗は恥ずかしさを誤魔化すために頰を掻きながら答えた。

「このなかに入ってたわ。おにぃの格好見てたら私も着てみたくなった」

 自分でもエプロンが気に入っているのか、

「……まあいいけど、後でしっかり戻しておけよ、今のめぐさんに見られたらなんて言われるかわか-」

「誰に見られたら、だって?こうたろうくん?」

「ぴゃっ!?」

 急にめぐの声がしたと思ったら、首元に強い衝撃を受け、情けない声を漏らしてしまった。

 めぐはそのまま浩太朗に詰めようとしたが、視界の端にピンクの髪をした見知らぬ店員がいたので、そちらの方に意識が奪われた。

「あら、かわいい!こうくんの知り合い?にしては可愛い。……うーん、でもどこかで見たことあるような?……あっ!ちょっと前に店に来てくれてた、たしか……こうくんの、妹ちゃん?」

 自分の正体をズバリ言い当てたことに驚くなつめ。

 数少ない店員の妹の話など、忘れるわけもないため、物忘れの多いめぐでも覚えていた。

「あっ、そうです!神崎なつめと申します!以後お見知り置きを」

 そう言ってなつめは深々と頭を下げ、めぐに挨拶をした。なつめが頭を上げたところで、めぐは頭を掻きながら何かを思い出そうとしていた。

「こちらこそよろしくー!こうくんの妹ちゃんは大歓迎だよー!……あれ?私はここに何しに来たんだっけ?……あんまり思い出せないなあ」

 この言葉と口調から、浩太朗はめぐが酔っていることを感じ取った。

 先刻までガチギレしていたこともあり、めぐのことを様子見していた浩太朗だが、完全に出来上がっているのを見て、どうせ怒っていたことも忘れていただろうと思い、いつものように話しかけることにした。

「めぐさん、飲みましたよね。それも結構な量」

「えー、そんなことないよー?ちょこっとだけしか飲んでないってー!」

 ここでようやく、なぜオーダーが途絶えたかを理解した。まだ閉店時刻でもないのに、オーダーがなくなるわけがない。

「ごめんなつめ!少しだけめぐさんの相手してて!直ぐ戻ってくる!」

 嫌な予感がした浩太朗は、急いで厨房を抜け出し、表の方へ飛び出す。

 そして、浩太朗の姿を見た客は、歓喜に満ち溢れ、席を立って浩太朗を呼んだ。

「おっ!やっと浩太朗がきたぞ!おーい!早く注文をとりに来てくれ!」

「ごめんなさい!ただいま行きます!」

(やっぱりオーダー止まってやがった!あとでアルコール類全部没収してやる!)

 浩太朗がたくさんの客から注文を取りに行っていると、一つのテーブルが異様に汚いことに気がついた。

 机の上にはビール瓶が散乱しており、その周りの床にはビールと思われる液体がこぼされている。

 その惨状を見て言葉を失っていると、近くにいた客が説明をしてくれた。

「あっ、そこさっき、店長が暴れてたとこですよ。片付けは浩太朗くんにやらせるって言ってました」

「……一生酒飲ましてやらねえぞ」

 雑巾を持ってきて、床にこぼれたビールは拭き取り、一旦その場を後にする。今1番大事なのは注文なので、今とった注文を全て紙にメモして厨房の中に戻った。

「あっ!おにぃ!助けて!食われるー!」

 厨房の中に入ると、地面にうつ伏せているなつめと、その上に乗っかるめぐがいた。

「助けを求めても無駄だよー?ほら、抵抗なんてせずに諦めろー!」

 よく見ると、制服を剥がされそうになっており、非力ななつめは、めぐを引き剥がすことはできずにいた。

 酔っ払いの相手をしてくれるのはありがたいので、別に放置していても構わないのだが、万が一、仕事に影響が出ても困る。

「めぐさん!なつめから離れてください。このままだと犯罪者になってしまいますよ?」

「嫌だー!もっとなっちゃんで遊ぶのー!」

 駄々を捏ね始める立派な成人女性。今年で24になるとは思えない。

「くっ……!なんて力だ、離さねえ……ごめんなつめ、閉店するまで頑張って耐えててくれ。俺にはどうもできない」

「見離さないで!このままだと私、大変な姿に!」

「ほんとにすまん、そうなっためぐさんは俺じゃどうしようもできない」

「いやぁ!助けてぇ!」

 泣き叫ぶなつめを無視して、浩太朗は急いでオーダーを処理し始めた。

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