第40話 綱

 獣人と言えばタニアの屈強な体をイメージしてしまうのだが、ヴェリーシアのお付きの三人にはそういう肉体派ではなかった。適度に体が鍛えられ、うっすらと筋肉が浮き上がる程度。しなやかで柔軟性の高そうな肢体だった。なお、兎、犬、猫の順番で大きい。何がとは言わないが。

 六人でしっぽりと湯船に浸かり、ふぃー、と気の抜けた顔をする。


「……ヤキチさん。癒されるー、みたいな顔してますけど、大したことしてないですよね?」


 ヴェリーシアの指摘に、俺は若干の気まずい思い。


「そういう突っ込みは無粋だぜ」

「これは失礼しました」

「ま、本当に俺は無力で、それは辛かったな。早く、外でも人型を維持できるようになりたいや」

「それも可能なんですか?」

「ああ、可能らしい」

「……らしい、ですか。誰に聞いたのかと気になりますが、ここで余計な詮索はやめましょう」

「そういうの、もう後にしよう。

 あ、そうだ。どーでもいい話、お付きのメイドさん、全員獣人だけど、何かこだわりでもあんの?」

「ええ……。人族の町において獣人は少し地位が低い、というのはご存じですか?」

「あ、そうなの?」


 なんとなくそういうイメージはあるけど、ここでもそうなのか。


「ええ、そうなんですよ。一般的な仕事に就くと、獣人であるというだけで給金を下げられる傾向があります」

「……そう。なんで?」

「今でこそ、人族は多種族ともそれなりに友好的な関係を築けています。しかし、ほんの三十年ほど前は、人族は主に獣人族を奴隷として酷使していました。獣の耳や尻尾が生えているなど汚らわしい、人族より劣る種族だから獣人は奴隷として使ってもいい……そんなことを、本気で考えていたようです」

「アホな話だな」


 双子は獣と同じ生まれ方だから不吉……なんてのと同じレベルに思うね。


「ええ。本当に。しかし、これは完全に過去の話ではありません。まだ名残はあって、人族がなんとなく獣人を見下している風潮があります」

「そうだったのか……」

「この町はましな方なので、気づきづらいかもしれません。しかし、とにかくそういうことなので、普通に働くと、獣人族はそれだけで搾取される立場になります。

 私は、それが気に入りません。

 一般の人に、獣人族を人族と対等に扱えと言っても、簡単に改善されるものでもありません。だから、わたしが積極的に、ふさわしい待遇で雇うことにしました。

 これで大局がすぐに変わるわけではありません。偽善と呼ばれるレベルのことなのかもしれません。しかし、それでも何もしないよりはいいでしょう。

 全てを一気に変えることはできずとも。小さな一歩の積み重ねで、時間をかけて、時代は変わっていくのだと信じます」

「……なるほどね。子爵令嬢かぁ……すっげー立派な人なんだな。俺とは全然ちげーや」

「立派……ではないです。生まれ持った役目を果たしているだけです」

「その役目を果たそうと思えるだけで、十分立派なんだよ。役目をきちんと背負って、その上、本当に意味があるのかもわからない一歩一歩を必死に歩いて……。すげー精神力。尊敬するよ」

「……ありがとうございます」

「従者さんたちだって、ヴェリーシアさんのこと、好きだろ?」


 尋ねると、三人の獣人メイドが頷いた。


「とても優しく、気高いお方です」

「ヴェリーシア様のために働けるのは幸せなことです」

「一生ついて行く所存です」

「ま、人の大事なものを奪いたくなるとか、変な癖もあるみたいだけど……総じて見れば善良な子爵令嬢様だろ」

「……そうでしょうかね」

「うん。きっと。

 そういえば、助けてほしいとか言ってたけど……あれって、自分と一緒に戦ってくれる仲間がもっと欲しいってことだったのかな?」

「……少し、違います。仲間が欲しいというより、身近に支えてくれる人がいてほしいんですよ。ふと不安で折れそうになったとき、私を支えてくれる人が……」

「従者さんたちじゃ、ダメか?」

「私は強がりなので、従者に弱いところを見せたくないんです」

「なるほど。んじゃ……俺とルビリアは、これから風呂屋をやる。なんか不安になったら、いつでも入りに来なよ。話し相手が欲しかったら付き合う。そんで、ゆっくり風呂に入って、体も温めていきな。それで、大抵の不安は取り除けるだろ」

「……できれば、いつでも気軽に入れる距離にあるといいんですけどね」

「うーん……それは、難しいかも」

「そうですか。仕方ありませんね。けど……そんなこと言われてしまうと、ますますヤキチさんのことが欲しくなってしまいますね。ルビリアさん、私、諦めるのはやめますので、また定期的に奪いにきますね?」

「え。何を言ってる? ヤキチは絶対渡さない」

「そうやって抵抗されると、燃えてきますね!」


 ヴェリーシアがすっと立ち上がり、場所を移動。俺の隣に来ようとするのを、ルビリアも立ち上がって阻止。

 ……おう。目の前にルビリアの可愛いお尻が。


「ヤキチに近づかないで」

「嫌です」

「変な真似したら追い出す」

「力付くでやってみてくださいな」


 睨み合う二人。


「お、おい。風呂で暴れるなよ」

「ヤキチは黙ってて」

「これは私たちの問題です」

「そう……。けどまぁ、ルビリア。俺の目の前でお尻を揺らすのは、やめような?」

「え? あっ」


 ルビリアがお湯の中に体を沈める。


「ヤキチの、バカ」

「ルビリアが見せてきたんだろー?」

「見せてない! ヤキチが目を逸らしてれば良かった!」

「あらあら、お尻を見られたらくらいで恥ずかしがるなんて、まだまだですね?」


 からかうヴェリーシアは、俺の前で堂々と仁王立ち。ふくよかな胸も、くびれた腰も、薄い茂みも、一切隠さない。むしろ、この姿を目に焼き付けよと言わんばかり。


「ヴェリーシアは恥じらいを覚えろよ」

「殿方に見せるわけじゃあるまいし、恥ずかしがることはありません」

「まぁなぁ……」


 ルビリアが体を隠している隙に、ヴェリーシアは俺の隣に来て腕を絡めてくる。


「ちょっと! ヤキチに触らないで!」

「嫌ですー。触りますー。いっそキスでも……」

「ダメー!」


 ルビリアが俺を引っ張り、ヴェリーシアから遠ざけようとする。しかし、同時にヴェリーシアも俺を引っ張る。

 何この大岡裁き。誰か助けて。


「ちょっとくらいいいじゃありませんか!」

「ダメなものはダメ!」

「キスだけでいいですから! 今日のところは!」

「絶対ダメ! ヤキチにキスしていいのはわたしだけ!」


 二人に引っ張られ続け、肩が外れそう。戦闘不可、本当に仕事してくれよ。

 二人の引っ張り合いはしばらく続き、俺は綱引きの綱に心の中で意味なく謝罪をした。

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