第19話 スランプ

「……え?描けない!?」


 亮はペンタブの前に数時間の葛藤し、唸った。

 アナログからタブペンに変更するには時間がかかった。パソコンと接続、初期設定、様々な工程に2時間もかかり。

やっと本番でタブペンを使用するところで躓いた。

 亮の最大な困難として、何を描けばいいのかがわからないのだ。

 頭の中では何を描くのか、わかっているが、感性が働かない。

 タプペンの画面に魔法少女アイリを描こうとすると、何かしら「ずれ」が発生する。髪の毛がずれたり、目が合わなかったり、指を六本になったり、とにかくひどい絵になる。

 まるで自分が酔っ払っているようだ。酒でも飲んだのか、と自分でも疑うほどひどいものだった。

 ……魔法少女アイリが泣いているぞ。

 さっきはスケッチブックを開き、鉛筆で落書きして見る。

 いつもの調子で絵を描ける。ぬるぬると鉛筆が滑り、全く問題がなく立ち絵が完成する。

 もう一度、タブペンの前に立ち、思うままで描いてみる。

 今度は目の位置がずれる。足のバランスもできていない。全身のずれが酷すぎた。


「……くそ」


 もう一度チャレンジしてみる。

 今度は耳の位置がずれる。手のバランスが崩壊している。


「…………くそ」


 タブペンのペンを机に置き、椅子に背もたれする。

 一体、どう言うことだ?紙ベースでは問題なく描けるのに、タブペンだと、調子が狂う。まるで自分が赤子になった気分だ。

 これが、アナログ信者がデジタルへ物申すことなのか。

 亮は一旦画面から離れる。これ以上は、無駄だと考えたのだ。

 ピリリリーン、と亮が愕然しているときに、隣に置いてあるスマホが鳴り出す。表示画面を見ると、『咲良先輩』と表示されていた。

 なんだろう、と思いながらスマホの通信を取ると、受話の向こう側から声が聞こえてくる。


『こんばんは。童貞の西園寺亮くん。今話していいかしら?』

「茶化す通話でしたら、切りますよ?今、僕すごく忙しいのです」

『切っていいのかしら?今、あなたの絵はすごく下手になっているのでは?』

「なんで知っているのですか!?僕の服に盗聴器でも入れたのですか!?」

『やっぱり、下手になっているのね』


 そこで亮は気づいた。これは誘導尋問であると。

 ……ぐ、引っかかった。


『何が起きたの?教えなさい』

「実は……」


 亮は自分の状況を包み隠さずに話す。絵が下手になったこと、構図がぐちゃぐちゃで、正確の絵が描けなくなった事。


『なるほど。あなたは感情論で絵を描いていたのね』

「え?どう言う意味ですか?」

『絵を描くとき、あなたはすでに感情で絵の構図を描いている。キャンバスに描くとき、あなたは鉛筆を前に差し出さないタイプでしょ?頭の中で構図が沸いてくるタイプでしょ?』

「はい。僕は見たものはそのままキャンバスに描いています」

『その感情で描いているのがいけないのよ。今回タップペンに変わったことで、見ているもの位置や大きさが変動できるデジタルに、あなたは酔ってしまったのよ。ズームイン・アウトできるデジタルはものが同じ大きさ、距離があるとは限らないでしょ?紙ベースだと、あなたは一行の距離を保ち、物を描いている。感情で構図の位置をわかっている。だから、現実では酔う事なく描ける』

「なるほど」


 確かに一理ある。亮は、デジタルで描くときにはズームイン、アウトしてパーツを描いていた。各パーツを感情で書いていれば、全体的に見た時には、ずれが発生する。


「ど、どうすればいいのですか?これじゃあ、僕、描くことができない」

『落ち着きなさい。私のアドバイスは二つ。一つ目、ズーム機能を使わないこと。全体の絵を見て描く事。描いている際は絶対にサイズを固定すること』

「なるほど。そうすれば、全体の構図がずれないですね」

『ええ。細かいところは後で修正すればいいから、今は全体の絵という枠を完成させることを目標に立てなさい』


 亮は頷く。相手には見えないが、ノートにアドバイスをメモを取る。


『そして、もう一つのアドバイス。初心に戻って、大量の◯を描いてみなさい』

「ま、まるですか?」

『そう。別に◯じゃなくていいわ。ただ、簡単の絵を描きなさい。丸でも三角でも四角でもいいから、描いてみなさい。それも大量に描きなさい。初心に戻ったつもりで描きなさい。ペンを走らない限り、構図を感覚でとらえるのよ』

「……な、なるほど」


 咲良先輩のアドバイスを聞くとスマホを左手に持ち替えて、右手でタッチペンを握る。真っ白な画面に見つめ直す。そこに丸や三角を描くには彼女の言う通りに難しくはない。

 試しに〇を描いてみる。問題なく綺麗な〇が描けることができた。


(……あ、描けた。意外に簡単に描けた)


 だが、これは序章でしかない。大きさ、距離感の感覚を取り戻すには大量に描き出すしかない。この位置の丸どれくらい大きいのか、全体とどれほど関係あるのか、確認できるようにする。


「ありがとうございます!これで試してみます」

『まだ、浮かれないことね。いまのあなたはそれだけしか描けない。その丸を練習していきなさい。そうね。あと二時間それを描いたら、次にあなたが描いてる落書きをペンタブの上に描いて見なさい』

「了解です」

『それともう一つ忘れないこと。あなたに猶予された時間はあまりないことを忘れないでね。そうね、タイムリミットが木曜日だから、あと三日しかないわよ』

「て、手厳しいですね」

『締め切り直前じゃないことを有難いと思いなさい。もし、これが企業とのやり取りだったら、あなたは編集者に毎時間進捗報告の電話が来るわよ?』

「う……それを聞いているだけで頭が痛くなります」

『なら、早く復帰しなさい。今回はあなたが企画者。サークル『エターナル』の存亡はあなたに掛かっているわよ?』

「大げさでは?」

『残念だけど、真剣よ。忘れたのかしら?『トラ祭り』は同人誌ショップトラが開催されている。下手な絵で委託されるショップの気持ちを考えて見なさいな?笑われるよ』

「ひいいいいいい!頑張ります」


 咲良先輩の説得に亮は涙目で頭をぺこぺこと下げた。

 ……咲良先輩の体験談なのか?彼女は作家でライトノベルをデビューした超有名人だ。こうも生々しい実体験を聞かせると戦慄を覚える。

 ……1000万部の販売数を突破した作家が原稿を遅れる事件なんて、想像したくもない。

 そのようにならないに絵描き活動を頑張ろう、と亮は心の中で呟く。


『それで、あなたは写真を選んだの?』

「えっと、まだです。ちょっと見るのは気が引けて」

『……見なくていいわ』

「え?」

『見ないで、10枚の絵を描きなさい』

「そんな無茶な!僕の頭の中にある構図は3つしかないです!」

『見たら、恨むから……!』

「こ、これもサークルの存亡がかかっていますので、お願いします」


 亮はどうにか懇願する。

 今日撮影した写真は亮が描くための材料でもあった。その材料が使えないと、亮はフルカラーの絵を描けない。だから、使えないと亮は絵を描くことができないのだ。

どうにかそれを構図にして、絵を描かなければいけない。

数秒間の沈黙に、やっと咲良先輩の心が折れたのか、はあ、と息を吐いてからこう告げる。


『なら、絶対に描きあげなさい。10枚の絵……』

「はい。絶対に描きあげます。10枚の絵……」

『下手な絵を描いたら、怒るわよ?』

「ぜ、全力で描きます。だって、モデルがいいのですから」

『っつ!?冗談でもそれは言っていけないわ』

「本気で言っていますよ。デッサンでもモデルが良ければ、絵の出来も良くなります」

『このデッサン脳!』


 咲良先輩はどこか悔しさを言葉に秘めて怒鳴る。

 亮は見えない相手に苦笑いを浮かべて返す。

 今日は先輩の一面を見られるのは、楽しく思った。噂とかけ離れた、一人の女の子。照れることもあるし、優しい面もある。

 彼女はどこにでもいる、普通の女の子だ。


「先輩。今日はありがとうございます」


 今日、一日中、咲良先輩にお世話になったばかりだ。コスプレ写真もそうだし、絵描きのアドバイスもそうだし、自分の同人作業を手助けしてくれたのだ。

 そう思い、亮はお礼の一つ彼女に告げる。


『サークルのためだから、礼はいらないわ。結果を示しなさい』

「はい!」

『じゃあ、切るわよ』

「おやすみなさい」

『ええ。おやすみなさい』


 咲良先輩の声が終わると、通話を切る。

 今日は1日色々とありすぎた、日記の1ページだけでは収めることができない文字数。きっと、10枚ぐらい必要になるのだろう。

 クラウスさんと同人誌ショップ巡回といい、初めてタプペンの存在、咲良先輩のコスプレ衣装。そして、今に至って苦戦しているタブペンで描いている絵。

 全てが大切な思い出。自分の宝物だ。これから、頑張ろう。

 亮はそう考えながら、と肩を回す。コリコリと肩がこっている音が鳴り響いた。

目の前にあるタプペンを凝視すると共に気合を入れた。


「よし!今日は少なくても一枚は絶対に描くぞ!」


 そう宣言すると、咲良先輩のアドバイス通りに簡単な物を描く。

 カキカキと、夜遅くまで練習をする。丸を大量に描く。大きさを変更してみたり、小さく描いたり、均等に描いたりする。調整しながら描く。

 その大量の丸の所為で、大きさの感覚が身に付く。紙とペンの大きさが感覚で感じられる。


「なるほど。ここはこんなに大きいのか」


 感覚を掴むと、次は違う簡単な記号を描く。三角を大量に描いてみる。想定した大きさと距離感を描いてみる。


「これもクリアだな。あとは、落書きしてみるか」


 今度は全部消し、『魔法少女アイリ』をタブペンで描く。

 ズームイン、アウトをせずに、大きさ固定して、描く。まずは頭部。可愛らしい赤い目に、長いピンクの髪、ヒラヒラの魔法少女の衣装に、ステッキを持たせる。

 形はかけられた。だが、完成には程遠い。フルカラーであれば、背景も描かないといけない。この絵のテーマは街にしよう。

 そう決めたら、亮は背景を街にする。高速ビルの間にある道路に彼女が立っている。絵になる一枚を描き上げようとする。


「うーん。あと、もう一声だな」


 亮は一人で唸ると、絵の修正に入る。光の角度を調整し、魔法少女アイリが目立つようにする。そんな作業をしているうちに、日が変わった。一枚の絵を創作するのに、こんなに時間がかかるのか、と亮は残念に思う。


「明日、学校あるし。早めに寝るか。無理してたら、描ける絵も描けなくなる」


 と、本日の作業をここで句切らせる。画像を保存し、チャットグループでサークルのみんなに送る。未完成だが、一応共有しておく。

 立てた目標には届かなかったが、一歩近づけた気がする。

 この調子で残りの10枚を描こう!

 とはいえ、残り10枚の絵は程遠いが、今日は1日色々があって、疲れたため、無理せず休むことにする。

 と、亮が就寝の準備をすると、ピロリン、とスマホが音を上げる。

 スマホを手に取り確認すると、先ほど送ったチャットグループからサボテンは絶賛な反応をしてくれる。


『さすが、亮さん!うまいですね』


「こっちも、反応するか」


 など、考えて亮は感謝の気持ちを持って、返事する。


『ありがとう、サボテン』


 残りの二人はまだ既読していない。

 寝てしまったのか、あるいは忙しくてチャットを見る暇がないのか。

 どちらでもいい、この絵はまだ未完成だ。完成するのは明日以降になる。


「でも……今日は、もう疲れた」


 亮はパソコンの電源を落とし、ベッドの上に横になる。そして、最後には枕元にある電気スイッチを消した。

 出来ことがありすぎた一日。

 スケッチブック一冊から始まったコメディ。

 それはきっと、一冊のラブコメに描けるような人生。


 ……こんな楽しい人生が始まるとは思いも知らなかった。

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