第3話 天川咲良は大和撫子である

 自分のみじめさには呆れつつ、亮は誰にも見つけられない場所へと移動をする。      

 そこは静かで人気が少ない場所。その場所に、亮は足を踏み入った。

 気付けば図書室へと駆け込んでいたのだ。

 ここ最近のお気に入りの場所。先週から誰にも見られない、静かな場所。

 静謐な空間に古い紙の匂いが蔓延して落ち着ける所でもあったのだ。

 試験期間じゃなければ、人はあまり利用しない。

 人がいたとしても、カウンターで仕事をしている図書員だけしかなかった。

 亮はカウンターを通り越して、個室の方へとの方へと歩む。

 丁度、空いていた。亮はバックを下ろすと、椅子に腰を下ろした。バックの中からスケッチブックを取り出す。

 シャーペンをカチカチと鳴らしてスケッチブックを広げた。さっきまでデッサンしていたページを一枚めくり、白いページを見つめる。

 ……さて、何を描こう。

 堅苦しいデッサンはもう十分だ。今度は自分が描きたいものを描こう。深夜ア ニメで放送されていた『魔法少女アイラ』を描こう。

 フリフリのピンク色のドレスに白い羽の髪飾りの印象。ピンク色の髪をひらひらと揺らせて、水色の瞳と瑞々しい唇。二次元キャラクターを全面的に可愛らしい、萌えキャラだ。

 今回はシャーペンの芯を白い紙に置き、線を引く。まず顔の表情を描き出す。元気よくキャラクターなので、笑みを浮かばせた。

 次は髪の毛を描く。長い髪に風に揺れるように描く。自然のままに、風に靡くように描く。

 魔法少女の服装の線を入れる。皺や光の当て方を成るべく一つの方向から通るようにする。皺もメリハリをつけるように黒塗りをする。

 最後には彼女が持つ武器のステッキを手に取らせた。決めポーズ、こちらに向けるように描いた。

 可愛いポーズを決める『魔法少女アイラ』の完成だ。

 彼女がこちらに向けてステッキに向け、ひらひらと魔法少女ドレスを纏いながら笑顔を向けてくる。それはまるでテレビで見たワンシーンを再現する一枚の絵。

 デッサンの画風とは違った二次創作の完成であった。

 ここまで掛かる時間は約十五分。我ながら、早く描けたようにも感じた。

 亮は自分の描いた絵に感動しながら、次のページをめくる。真っ白なページを見ながら、次に描く対象を考える。


(……よし!次はあのキャラを描いてみよう!)


 脳裏に浮かび上がったのは、今期アニメの派遣アニメ、『あの日の約束を』。ジャンルはラブコメディー。涙頂戴な素晴らしい作品。そのアニメに登場するヒロインの『青井湊』だ。シャーペンを紙に置くが、滑り出すことはなかった。

 彼は迷い出したのだ。なぜならば、ここには標本がない。そのまま描くと構図のどこかがずれる気がした。


(……あの子って、どんなポーズを取っていたっけ?)


 亮は自分に質問を投げ込むと共に首を傾げた。

『魔法少女アイラ』を描けたのは毎日、そのキャラクターを描いていたからだ。毎晩毎晩描いていたから数分で描けるようになった。

 だが、今回は違った。

 昨夜放送したばかりのキャラクターを描くには少し難があった。

 記憶力と創造力を試される作業だ。このまま自分が思い出した表情や服装と自分が描きたいポーズの想像力が試された。

 そんな構図を考えていると、ふいと、図書室に踏み入ってくる学生がいた。

 亮はそれに釣られ、視線を学生の方に向ける。

 それは少女だ。長く黒い髪は腰まであり、真っ黒な双眸をしていた少女。鼻筋を整っていて、妖艶な魅力を持ち主。どこから見ても美少女であるには間違いない。大人っぽく、黒いストッキングを両足に着用している。

 凛々しく、一歩一歩図書室の中に踏み入る姿はどこかのモデルを連想させる姿だったのだ。

 大和撫子とはその少女の姿のことを指すのだろう。

 彼女の名前は『天川咲良』3年A組の一つ上先輩。

 この学校に在籍していれば、彼女のことを知らないものはいない程の有名人。学園の噂には疎い亮でさえも、彼女のことは何度か耳にしていた。

 天才美少女。学園一位を陣取る天才。この三年間、彼女が一位から落ちたことがない。そんな天才な彼女は特別扱いをされている。授業には出席しなくていい、と学園側から免除されている。

 だが、バラにも棘があるように、咲良先輩には悪い噂もある。それは彼女があまりにも毒舌であることだ。

 噂によれば、誰にも彼女と関係を持てないのは、人を見下す比喩と周囲をバカにする態度だった。

 一番ひどい噂は去年の文化祭のことだった。

 彼女は監督と脚本として演劇部を指導した。だが、その内容はひどかったものだ。稽古中にセリフを言い間違いたり、声の発音が微妙だったりすると彼女は容赦なく罵倒し、演劇の役を外すこともあった。

 そんな厳しい稽古に耐えられずに退部した部員は何人かもいた。だが、演劇は大成功に終わった。かつてのない演劇で観客が讃頌する。

 演劇部の伝説とも呼ばれる文化祭でもあったのだ。

 こうして彼女がここに寄ったのも放課後の勉強をしに来たのだろう。と、亮は天才美少女を横目で見ながらそう考えた。

 ふっと、彼女と目が合った。

 亮は慌てて、目を逸らした。白紙の方へ見つめる。あの先輩には関わらない方がいいと内心を落ち着かせる。

 彼女には関わらない方が身の安全を感じた。

 自分はキモオタだし、彼女とは正反対の世界にいる。彼女に自分のことを知られたら、嫌われるだろう。

 こんな密やかに図書館にやって来て隠れて二次創作している、自分に嫌悪感を覚える。

 だが、彼女と関わりたくない。あの悪い噂を聞けば、近寄りたくもない。

 触らぬ神に祟りなし、亮はなるべく彼女と関わらない様に俯き、白ページを見つめる。忙しいふりをした。

 彼女がここから去るのを待つことにした。

 だが、ことはうまく進まなかった。


「ねえ。そこのあなた」


 亮は自分の方に声をかけられたと思うと、ぴくっと身体を震わせてゆっくりと視線をあげる。

 すると、咲良はもう机の隣に立っていた。

 いつの間にかこちらへと来ていた。黒い双眸を向けて、どこか冷たい眼差しで向けてくる。そのどこか厳しい眼差しに亮は唾を飲む。

 亮は人違いではないかと、彼女の方に訪ねる。


「……え、えっと僕ですか?」

「ええ。この図書館にはあなたしかいないわ」


 ……あなた、バカなの?と言っているように彼女は軽く微笑を浮かべて、くすくすと笑った。

 ぱたりと、スケッチブックを閉じて一度深呼吸する。激しく打つ動悸を落ち着かせた。彼女はまだ何もしていない。

 恐れる必要はない。噂を信じすぎだ。

 彼女は普通に訪ねて来ただけだ。ここは穏便に対応しよう。

 と、自分に言い聞かせると、亮は見上げて咲良の方を見つめた。


「あの、僕に何の用でしょうか?」

「大した用じゃないわ。ただ、あなたのことが気になっただけよ」

「というのは?」


 くすりと笑みを浮かべたまま、彼女は人差し指でスケッチブックの方を指す。

さっきまで自分が描いていたスケッチブックだ。


「図書室に絵を描くなんて、めずらしいわね。普通は美術室で描くものなんじゃないの?」


 何という的確な指摘だ。本来、図書室は読書する場所。あるいは勉強するところでもあった。亮がここで絵を描くことはTPOに合わない。

 ここは彼女に謝罪して、この場から去ろうと、亮は帰宅準備をする。


「ごめんなさい。読書の邪魔でしたか」

「いいのよ。わたしは読書しに来たのではないわ。それに、ここには誰も来ないし。静かにしていれば何をやってもいい場所なのよ。オナニーとかね」

「ゲホ……」


 今、咲良先輩はなんて言った?

 お、な、何とか言っていたよな?

 亮は一瞬に集中力を散漫させた。さっきまで、いいムードの絵描きなのに、彼女の言葉を聞くと頭の中の思考が全部吹っ飛ぶ。ゲッシュタル崩壊が起きた。

咲良先輩は「あら、ごめんなさい」と言ってから次に口を開く。


「困惑しているようね。どうして。わたしがあなたに声をかけたのか?」

「えっと、はい。かなり混乱しています」

「ねえ。あなた、似顔は描ける?」

「似顔ですか?」

「デッサンみたいな絵は描ける?」

「それなら描けますが……」


 自慢ではないが、亮はデッサンが得意だ。

 良い芸術家になるには、デッサンをすること。デッサンは目で見たものを正確に描く練習でもある。すごく大事な練習法でもある。

 なぜならば、人は正確にものを見ていないからだ。

人は目で見えているようで、実は脳の想像で構図を取っているだけ。デッサンはその構図を形作り、現実に近い形へ描き上げられる。

 描けば描くほど、立体が理解できるようになり、絵の構造を上手く描くことができる。亮はデッサンを毎日欠かさずに描いていた。例え、芸術を止めても、絵描きをしていたのだ。


「そう。なら……」


 そう言うと、彼女はポケットの中から財布を取り出す。中から五千円札を取り出した。そして、亮の前に差し出す。

 彼女の行動に困惑する亮は五千円札を見つめながら、首をかしげる。

 すると、咲良先輩は五千円の意味を教える。


「わたしの似顔を描いてくれないかしら?この5千円はお代としてね」

 

 つまり、彼女が差し渡したお金は、似顔を描く料金だ。

芸術には価値が生まれるのは当たり前だ。それに対して費用も発生するのは当たり前。

 この世では芸術はただなものと考えている人が多く、無料や安値で芸術を創作依頼する人がたくさんいる。

 だが、彼女は違った。ちゃんと芸術の価値を理解している。

芸術に価値を見出すのは、嬉しいことだ。

 この世界には芸術をタダで提供するものはいない。有名じゃなかった頃のピカソでさえも彼は落書きでさえも金を取っていたのだ。

 亮は5千円札と咲良先輩の顔を交互に見る。


「僕は遊びで絵を描いています。あと、今日は気が乗らないので今日は描けません」


 そして、丁寧に断る。

 気が乗らないのは嘘。ささっと描いて渡すことも可能だが、亮はもう芸術家ではない。

 だから、彼が芸術で金を取ることはない。


「あら? さっきまで描けるとい言ってなかった?」

「はい。僕は嘘をつきました。似顔なんて描けません。すいません」

「嘘をつかないで頂戴。あなたは描けるはずよ?」

「本人がそう言っているのです。無理なものは無理です」

「いいや。あなたならできるわ。似顔の一つ」

「どうして、そう思うのですか?」

「あなたは『芸術家』だから」

「っつ!?」


 その言葉に亮は目を丸くし、歯を噛み締める。

 芸術家、それはかつての自分が目指したもの。だけど、自分には才能がないことで挫折して引退したもの。

 彼女がそう言い当てられると、なぜか恥ずかしく感じた。


「あなた、最近ここを利用したでしょ?いつもこの席で絵を描いているわよね?それも同じスケッチブックと同じシャーペンでね」

「そ、そうですけど。でも、僕はお遊びで描いているだけで……」

「へえ」


 怪しげにわざと怪訝な声を上げると共に咲良は腕を組む。


「お遊びには随分、手が凝っているわね。あなた、自分の手に気付いていない?鉛筆の跡で黒くなっているわ」

「……あ」


 彼女が指摘すると、亮は自分の手を見る。鉛筆の芯の黒さがしっかりと手についている。デッサンと黒塗りするときに付いたものだ。熱中し過ぎて、自分でも気づけないほどだった。


「真剣に描いているのに、お遊びと呼ばれるのかしら?」

「それでもダメです。僕の絵は上手くない!」

「それを決めるのは、わたしよ。あなたじゃないわ。芸術は鑑賞者が物申すものよ」

 ドヤァと顔を浮かばせて答える咲良に、亮は言葉を失う。

 一体なんなのだ?この女は?

 自分がこんなに嫌々しているのに、なぜこんなに踏み込むのか?彼女に付きまとう噂は本当だったのだろう。

 冷酷で残酷な先輩。人の心の奥まで踏み込む。

 こういう人は苦手だ。


「じゃあ、あなたが描いている作品の『お遊び』を見せてよ」

「いやです!」

「恥ずかしかることないじゃない。絵は他人に見せることで初めて価値を生み出すのよ?」

「……それでもいやです。僕は絵を描くことが好きで、他人に見せるために描いたのではありません」


 芸術には反していることは理解している。

 なぜならば、芸術とは文字の代行として物語を伝えること。文字が発展していなかった時代で唯一のコミュニケーションは芸術作品だった。

 亮はそう理解しながら、自分が描いた絵を見せなかった。単に恥ずかしかったからだ。自分がオタクであることは芸術の意味を反していること。誰にも伝えることもない絵。自分だけ自己満足する絵。描きたくて描いた絵。

 それは観賞者が何を思っているのかを考えないまま描いたのだ。これじゃまるで子供の落書きと変わらない。芸術ではない。


「あ、そう」


 亮の本気で咲良そっけなく身を引いた。

 そのまま来た道を帰っていくようにした。

 三歩進んだところ、咲良はもう一度亮の方へ向けて口を開く。


「あなたの名前は?」

「西園寺亮です」

「覚えておくわ」


 そう言い放ってから、彼女は再び歩きを再開した。

 やがて、彼女の姿は扉の向こう側まで消え去るのを見守ると、ふう、と吐息をした。


(……なんで、自分の名前を名乗っただろう?バカか、僕は)


 亮は自分の愚かさに嫌味を感じ、再びため息を吐いた。

 なるべく、彼女とかかわらないように、用心する。

 気づけば、最終下校時間の鈴が鳴り、亮は荷物を片付ける。図書室を後にする。廊下の人影はすくなかった。

 亮は安堵しながら、てくてくと下校する。

 今日は嫌な日だった。ミチルにコンクールに誘われるし、変な先輩に目を付けられる。災難な日だった。

 帰ったら、録画している深夜アニメを見よう。

 と、夕焼けを見ながら帰宅していった。

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