カケツキノ

イトセ

第一章

第1話 炎のメレス皇国

赤く。

沸き立つ。


何もかもを呑むと錯覚する、その闇夜の空を侵し、紅色に塗り替える。

ちらちらと揺らぎ、全てを包み込み破壊するその炎は、狂気的に爆ぜていた。

雪山ノ剣城と人は呼ぶ。


母なる銀刀山脈の麓、並ぶ碁盤のような町に、ひとつ聳える大きな、雪色とはまた違う白。


だが。

その白亜の城壁も、真白の塔も、栄えある城下町も、全てが焔の中にあった。

雪と星の国、メレス皇国。その首都メレス・レス・マリスは今、戦禍によって危機に晒されていた。


雄叫びを上げ、雪崩が如く黒の甲冑の津波が進み、白雪色のタイルを踏む。

陥落まであと一歩と言ったところか、それ程に相対する灰白の鎧群は疲弊の色が見えていた。


ハイリオン帝国の魔の手が白き皇国街に今。

彼らの間で、紅蓮に照らされた刃が閃く。





オオオォォォ…。

敵軍の咆哮が、喊声が、離れたここまで伝う。


正しく、メレス皇国を脅かす悪魔の軍勢の怒号。

純白と星々の加護を誇ったこの国は、隣国の侵攻を受けて滅亡寸前。風前の灯火となっている。


この首都の象徴、雪山ノ剣城の月白は既に猛炎に呑まれつつある。

その剣城の1部。


銀刀山脈に面した城内の回廊に、足音が響いていた。


豪奢な銀朱の絨毯も、精細な窓硝子細工も、明媚な燭も、全てが戦時で無ければ誰もが息を飲む美しさだった。

が、元来皇族が、貴族が、優雅に御歩きなさるこの回廊も、今となっては物々しい騎士や緊張した面持ちの侍従達が足早に歩いている。


「御后様、雪隠ノ離宮はもう少しで御座います」


その集団の中心、喧騒とは無縁なドレスを着こなした女性が、切羽詰まった顔で歩いていた。


「えぇ…団長は何処へ行かれたのです?」


初雪が如く光を弾くその銀の長い髪が甲冑の灰白の中、異様に目立つ。

月のような黄金の目が不安そうに泳いでいた。

傍に控える騎士が話す。


「はっ、メイヴァ団長は敵軍霊術隊と城内の敵を攻撃に…すぐに警護に戻るかと。…さ、こちらです御后様」


皇后。すなわち元首の妻であるこの女性、エルメレス・エリーゼ・メレスは、胸に1人の赤子を抱いていた。

まだ艶やかで、未だ穢れひとつないその幼い、真綿のような皇女姫君を、何よりも想って。


鋳鉄の灯火を横目に、騒がしい彼らは角を曲がった。

時折聞こえてくる鯨波さながらの、魔軍の吠えに全員が顔を曇らせる。兜を被り表情の読めない警護の兵士からも、焦燥が見えた。


后エルメレスも、同じく愁いを帯びた。

当然だとも言えよう。

前触れなく隣国に戦争を強いられ、開戦から僅か2ヶ月足らず、霹靂の速さで喉元まで迫ってきた帝国の軍は、やはり恐ろしい。

皇国の国教、星霊教の祝詞が静かに囁かれる。


「星霊様、星霊様……どうか星々の導きを……」


傍付きのメイドが、静かに神へ奉ずる印を組んだ。

胸に両の手を当てて指を結ぶ、月と夜星の神に祈る姿。

エルメレスはまだ寝息を立てる小さな姫をぎゅっと抱き締めて、侍女と目を合わせた。


「大丈夫、大丈夫です…」


彼女らはただ願い、走る。

目指すは非常時の王族の隠れ家、雪隠ノ離宮。


気づけば、城内の仄暗い雰囲気が増し、しんと冷える夜の冷たさを感じる。

后エルメレス一行は廊下を曲がり、離宮を目指す。

せめて。

独りでに思考が回る。

この小さな、わたしのお姫様だけ。


「せめて、この子だけは」


小さく彼女はぼやく。

懇願であり、叫びであるそれを、護衛は聞かなかった事にした。


背後から、微かに敵軍の激昂がさざめく気配がする。

随分と前に城門へ向かった彼女の夫や息子、この国の皇族は、恐らく、もう。

胸に当てた姫君の、プラチナブロンドの柔らかさが、この夜には酷く痛い。

エルメレスは寝顔を見つめる。


これ以上喪わない。

腕の中の温かさを逃さない。

誰にも、奪わせやしない。

后エルメレスは前を向く。

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