セクサロイドと男と女

南沼

1 茜崎みはる

 茜崎あかねざきみはるは性風俗産業に従事している。デリバリーヘルスと呼ばれる形態の店舗に勤務する傍ら、合間の時間を見つけては出会い系アプリを使って個人売春を行っている。

 勤務態度は真面目そのもので接客の愛想も良し、交渉次第では本番行為にも躊躇いが無いと利用顧客からの評判も高く、リピーター率は高い。生理期間を除いて休みは週に1日あるかないかで、税金を引かれないアプリの方の収入を加えると月収は優に100万円を超す。

 見た目だって悪くない、10人並みどころか美形タレントに並ぶと誰もがほめそやす顔のパーツで美容外科の手の入っていない箇所は無く、お人形のように整った顔を得る代わりに彼女の顔は生来の個性を失った。足繁くエステサロンに通い脱毛は完璧で肌つやも良好。美白施術だって欠かさない。ヘアスタイルは常に最新のトレンドをチェックしては美容師に事細かに注文を付けるし、身に着けているものはどれもハイブランド品だ。収入からこれらに掛かる費用と生活費を除くすべてを、みはるはホストクラブにつぎ込んでいる。


 都心を少し離れたホテル街は、もう宵闇に包まれようとしている。黒々としたビルディングのシルエットの間をミニバンが走り抜けていく、車を追うように街灯が点る。

 ラブホテルから店舗までの送迎車の中に、会話は無い。みはるはコンパクトを開いてメイクのチェックに余念が無かったし、ドライバーもそもそもが無口な男だった。だが、それで彼女に不満はない。興味もない話題を延々と振られるよりは余程マシだった。

 詰めすぎた車間の為か、信号機が変わったタイミングでミニバンが急ブレーキを掛ける。

「ちょっと」

不満の声を上げるみはるに、ドライバーは「すんません」と素直に謝った。

 みはるは疲れていた。これでようやく連勤が終わる。明日は久しぶりの休みで、何より今日はハルヤの出勤日だ。だから、何としてもバルザックに行かなければ。

 都内有数の高級ホストクラブ『バルザック』のハルヤに、みはるはお熱だった。どこがいいのか、と問われれば彼女は迷うことなく全部と答える。ファッションモデル顔負けの、贅肉なんかどこを探してもない細身のスタイルに、信じられないくらいの小顔。ちょっとラインが厳ついけれど綺麗に髭を脱毛した顎がまたキュートだし、切れ長の眼で流し気味に視線を送られる度にマンコが濡れそうになる。長く骨張った指もいい。煙草を挟み、オイルライターを操る指にはいつだって見蕩れてしまう。何よりセクシーなのはあの声、低くて張りがあるのに喋り方のせいかどこか少年っぽさを残したあの声が堪らない。しゃぶってあげる時にみはるの頭を撫でながら漏らすあの吐息の深さと甘やかさといったらなかった。それを知っているのは自分だけだと信じたかったが、それは無理だと心の何処かで分かってもいた。セックスはホストという人種が日常的に行う営業上の一行為に過ぎない事は、みはるもよく知っている。

 そう、私みたいに。


 それにしても、とみはるは嘆息する。

 さっきの客のお蔭で、最低の気分だった。よくロングタイムで指名してくれる上客ではあるが、執拗に店外での関係を求めてくるのだからそろそろ出禁にしてもいいかもしれない。デートからのタダマンを狙っているのは見え見えだった。

いい歳をしたオッサンが親子程も歳の離れた若い娘を抱きたがるのはいい、そういう需要のもとで成り立つ商売だし、今まで見てきた男達は父親も含めて皆脳ミソの代わりに精子が詰まっているような手合いばかりだったからみはるもそういうものだと受け入れている。でもそれは出すものを出してこそだ。私は人よりチンチンを舐めたりしごいたりするのに抵抗が無いだけでお前の財布の中身にしか興味が無いと、どうすれば分かってもらえるだろうか? 顔が悪くて身体つきもだらしなくておまけに金払いも悪い、そんな男に何の価値があるのか、一度真顔で聞いてみたいものだ。

 大人しくチンチンだけ曝け出していればいい。そうすれば何本だって纏めて気持ち良くしてやるし、いくらか上乗せして、ゴムを着けている限りは本番だってさせてやるというのに。

 出会い系の方はといえば、こちらは仕事の形態として更にシンプルで店の取り分がないだけ稼ぎも良いのだが、悪い客もまた多い。身の危険を感じた事も一度や二度ではないものの、そこはこういう後ろ暗い商売をしている限りつきものなので、自己責任だと割り切っている。それ以上に頻繁に起こる事でより我慢がならないのは、ゴムを付けたがらないヤツと、値切るヤツだ。前者はまだ分かる、メスに種付けをしたがるのはオスの本能だから。でも残念、私の本命はハルヤだから、生でできるのは彼だけ。ゴムさえ着けていれば浮気にならないというのが、みはるが自分で引いたラインだった。それよりも、本当に最悪なのは値切り野郎だ。そういう奴に行き当たるたび、何を勘違いしているのだろうかとみはるは心底呆れ返った。お前らは私の提示する金額を揃えて初めて私と対等になれるんだよ。値切るのは値切った分の価値が自分とのセックスにあると考えているからだ。そんな訳ないだろ、いっぺん鏡見て出直して来い。自分がお客様だと思うな、選ぶ権利は私にあるんだ。嫌なら格安のピンサロでも探せ、そこで出てきたババアのババア具合がお前の身の丈だよ。

 他にも無理なのは、顔を舐めてくる奴だった。行為そのものがもう最高に気持ち悪いし、それにメイクが台無しになる。それは商売道具なのだから、そういった行いは敬意に欠けるとみはるは思う。こないだの変にオタクっぽい客も顔を舐めようとしてきたものだから、思わず突き飛ばして罵ってしまった。何か妙にオドオドしてて受け身な割にがっついてたし、もしかしたら童貞だったのかもしれない。まあ、あいつも出禁でいいかな。アプリのブロックリストに入れておこう。

 本当の本当に我慢がならなくなった時は、強面の友達にご登場願う。高校時代からの腐れ縁、元ヤンのタクマだ。今まで本人の登場に至ったことは数える程しかないが、効果は覿面だった。何をどうやったのか知らないけれど若い身なりで行政の生活保護を受けていて、朝っぱらからパチンコ屋に並ぶような手合いなものだから脅し付けたり暴力を振るう事に全く躊躇いが無い。ただ、恩を着せて身体を求めてくるのはちょっと勘弁してほしい。馴れ馴れしくセフレ面されるのもうんざり。それにあいつ、自分勝手なセックスしかしないから痛くて嫌なんだよね。

「ねえ、何か曲でも掛けてよ」

「何がいいっすか?」

「三代目」

「はぁい」

 ドライバーはハンドル片手に器用にスマホを操り、ブルートゥースで繋がったスピーカーから心地よく低音の効いたビートが流れる。

 せっかくの休みの前に嫌なことばかり考えてどうするんだ、とみはるは自身に発破を掛けた。

 今日はハルヤに会えるんだから、今から気持ちを切り替えていかなきゃ。

 店の外では、もうめっきり会ってくれなくなったハルヤ。ラインはマメに返してくれるのに、デートや食事のお誘いはさり気なく躱される事がここひと月ほど続いていた。これは自分の愛が試されているのだと思う。今、ハルヤはキャストの売り上げトップになるべく頑張って働いている。恋人である自分が、それを応援しなくてどうするのか。

 そうだ、今月は口座に余裕があるし、シャンパンも入れてあげよう、そう考えるとみはるの口角はにんまりと上がった。そうすれば記念にお泊まり旅行をしてくれるという言質をとったことを思い出したのだ。

「二人の記念にさ、スイートでも取って」とハルヤは言ってくれた。当然会計はみはる持ちになるのだが、そんなことは何の問題にもならない。凡百の男どもが束になっても足下にすら及ばない、この最高の男を独り占めにできるのなら、他のどんなものをも投げ捨てることが出来る、本気でそう信じていた。

 ああ、シャンパンを入れるのならマイクタイムがあるな。何を言ってやろうか……他の女を牽制してもいいのだけど、あまり店に、ハルヤに迷惑を掛けたり恥をかかせたりするようなことも言えない。それとなく自分と彼の関係を匂わせられるような何か……

 考えあぐねているうちに、ミニバンが減速を始めた。気が付けばもう店のすぐ傍だった。

「っす、到着」

 緩やかなブレーキングと共に車輪が止まり、エンジンが停止する。

「お疲れさんっした」

「ありがと、お疲れ様」

 ドアを開けて車を降りると、涼やかな風が頬を洗った。もう空は一面が黒々と底のない闇を露わにしていて、でも街の光りは煌々と明るい。

 あとはタイムカードを切って退勤するだけ、一度アパートに戻ってシャワーを軽く浴びて、下着はサルート、その上は……今日はピンキーアンドダイアンのサマーワンピにしよう。鮮やかなストライプの、襟ぐりがぐっと空いたやつ。盛った谷間を、これ見よがしに見せつけてやるのだ。

 それと、店に行く前にはドリンク剤も忘れてはならない。今日はとめどなく飲むのだから。


 みはるの足取りは軽い。

 ただ空が暗くなったとて、夜はまだ始まらない。これから、今から始まるのだ。

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