第23話 桔梗23
こんなふうに自由に出入りできるなら、公主たちが警戒するのも無理はない。
彼らとのこれまでの会話の中では、鏡だけを気にしていたような気がする。それならば、鏡以外でも行き来できるという情報は知られていなかったということになるのだろうか。
鏡のようなものならどんな物でも出入りできるとなると、防ぎようがない。
兎にも角にも、こんな状況になるなら、事前に教えてほしい。
私はどちらの側につけば良いのだ。
今後の仕事のためにも公主側に立ちたいものだが、免職になったら元も子もない。
公主は片手を下ろして、机をノックする。
想像よりも音が響いた。
合図だろうか。誰がしかを呼んだように思える。
「そんなもので僕を殺せるのかな? あ、僕を殺すつもりで来たんだよね?」
バックドアは何かを公主に突きつけているらしい。
フィクションでは吸血鬼を倒すために、銀の弾丸や、白樺の杭が使われているが、本当に効くのかはあやしいと思っている。
そんなもので倒せるのなら、吸血鬼を殲滅する方向へ進んでいるはずだ。それができないから協定を結んでいるのだろうし。
「ふーん。違うの。こんなことまでしておいて」
バックドアが何事かを言い、公主がそう返した。危害を加えるつもりはないとでも言ったのかもしれない。
そこで公主は少し不機嫌な顔をしてみせた。
「ああ、その水溜まりの向こうに、どちらかが控えているんだね? 貴婦人あたりなら、手を貸しそうだ。鏡の中の世界に招待するなんて言えば面白がってね。たしかに、それなら僕を抑えられる」
アザミさんが貴婦人と伯爵に連絡を取りたかったのはこのためか。
本物の吸血鬼を仕留めなければならなくなった場合、協定を結んでいる誰かが手を貸してくれることになっている。仕留める相手が協定を結んでいる吸血鬼の場合でもそれは変わらない。
これは四人が結託して人間に反旗を翻した場合はどうなるのだろう。
もちろん何かしらの手はあるのだろうれど。
「いいや、うん。良いんだ。別に怒っているわけではない。きみにも会えたから……それは、まあ、賭けだったけれど」
公主は独り言のようにそう呟いてから、
「きみたちは用があってここに来たんじゃないのかな?」
永廻恭子は両手を胸の前で組んだ。
そして
自分を吸血鬼にした相手は見たらわかる。
そう言われても、本当にわかるのかどうか不安になるだろう。
しかも自分の発言次第で、この状況が変化する可能性がある。
「あの、自信はないけれど、違うと思います」
間を置いて、永廻恭子は答えた。
私は思わず安堵のため息をついてしまう。
公主は私をちらりと見て、器用に片眉を上げた。面白がっているようだ。
私は公主に頭を下げる。
「公主、いきなり大勢で押しかけて申し訳ありません」
「構わないよ」
「失礼ついでに一つだけ。この学校に公主以外で、本物の吸血鬼はいらっしゃいますか?」
これはもちろん森咲トオル以外ということだ。
「いないよ、今はね。いればわかる」
「では、今じゃないときはいるのですか?」
「日本語がおかしいよ……どうだろう。僕がいないときに誰がいるかなんて知らないよ。ここはもう僕の家ではないし」
「そうですか。それが確認できれば我々はここでお暇を」
突入前に廃校を出たかった。可能ならば。
「待ちたまえよ。こちらの用が済んでいない。きみもだよ」
最後の言葉は背後に向けられる。
今まで微動だにしなかったバックドアの身体が小さく揺れる。
撤退できないようだ。
公主が逃げないように捕まえているのかもしれない。
何もせずに撤退するなんて、少々拍子抜けだ。まあ、吸血鬼大戦争が今ここで始まっても困るのだが。
そもそもバックドアがここに来た理由がわからない。
永廻恭子を迷子にしたのが公主だったとすれば、ここに集まってきている迷子たちもまた、公主の眷属である可能性が高まる。
しかも武器を多数所持して立て篭もっているともなれば、人間に対して反意があると思われても仕方がない。その確認のためと思えば納得できなくもない。
ただ、ああいった特殊な能力を持つ人間が警察側にいると、知られるリスクのほうが高くはないだろうか。
現に鏡以外からでも出入りできることが知られてしまった。
そのとき、微かな靴音が耳に入ってきた。
音はこの部屋の前で立ち止まる。
ノックの音。
誰も返事をしなかった。けれど扉は開いた。
細身。長い黒髪。色白。唇の端にほくろ。
丈の長いワンピース。ハイヒール。
あのファイルで見た写真そのままだった。
「……
その写真はもちろん死亡時のものだ。
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