第22話 桔梗22
電話を切る。
私から少し離れた場所に
永廻恭子の知り合いであるようだった。だが、和やかな雰囲気ではないし、冴島理玖は警戒心を露わにしている。
森咲トオルに「お待たせしました」と声をかけた。
「迷子だ」
聞き逃しそうなほど小さな声だった。
私は森咲トオルの顔を見てから、三人のほうを見る、そしてもう一度森咲トオルを見てから首を傾げた。
森咲トオルは「ああ」と答えた。
昨夜のパーティーの参加者か。
「そろそろ中に入ろう」
私がそう言うと、二人が振り返った。男性も私を見る。
ただの大学生に見えた。
「俺も一緒に良いですか?」
気軽なトーンで聞かれた。
なんの含みも感じない。
「良いですよ。でも私たち、人に会うために来たので、途中で別れることになりますが」
何かしら事情が聞ければ良いと思ってOKする。
「公主に会いに行くんですよね? 俺もちょっと会って話してみたいんです。良いでしょう?」
男性はそう言って笑った。
自分をあやしく思ってほしいかのような言動である。
でも、なんの事情も知らないような人物を、公主のところに連れて行くことはまずないから、公主の名前を出したほうが、会える可能性が上がるのではないか。そう考えたのかもしれない。
昨夜のパーティーでは、人間ではない者に憧れがある、もしくは、なりたいという願望を持っている人間が参加していたと永廻恭子が話していた。
それならば公主に会いたいというのは、自然な感情だ。
彼女の場合は知らないうちに迷子になっていたが、彼の場合は望んで迷子になったということだろう。
何の目的があるにせよ、ここに集まってくるサークルメンバーの一人を、今のうちに確保しておいたほうが良いかもしれない。
彼を連れていくことで起こる、一番最悪なことはなんだ?
まず思いつくのは冴島理玖や永廻恭子に危害が加えられることだろう。
こちらには森咲トオルもいるし、二人は今迷子の状態であるのだから、むしろ普通の人間である私が一番弱いと思われる。
私は森咲トオルに顔を向けた。どうする? と尋ねる意味で目を大きく開く。
森咲トオルは「お好きにどうぞ」と答えた。
森咲トオルが先導し、迷子の三人を挟み、私が最後を歩いた。
途中にある各教室にはそれぞれ十名ほどの人間が集まっていた。
無言で床に座っていたり、固まってこそこそと話し合ったりしている。ただ手元を確認しても武器のようなものは見えなかった。
緊張感が廃校中に漂っている。
この雰囲気から察するに、何も知らずに集まったとは思えなかった。これから起こることをみんな知っていて、それを目の前にして緊張しているように見えた。
校長室の前で森咲トオルが立ち止まる。
ちゃんとついてきているのか、それを確認しているかのようだった。
冴島理玖がこちらを振り返ったので頷き合う。
ノックをして、返事を待ち、扉を開ける。
まず森咲トオルが入った、続いて迷子の男性、そして永廻恭子に冴島理玖。
最後に入室する私は、それぞれの背中を見ていた。すると、そのうちの一人が傾く。迷子の男性だ。
倒れる。
何か固いものが床にぶつかり、転がる音。
森咲トオルが振り返り、男性の身体を支えようとする。永廻恭子も手を伸ばしている。
冴島理玖はしゃがんで転がっている何かを見ようとしていた。気になったので私もそちらに視線向ける。
何が転がったのかは分からなかった。でも床に液体が溢れたのは見えた。
ただの水ではない。
部屋の中を綺麗に映している。
鏡のように。
鏡が持ち込まれてしまった。
ということは、彼は誰なのだ?
私は男性のほうを見る。
男性は森咲トオルの手を避けて、床に転がると、その勢いで身体を起こした。彼も転がった物の行先を見ている。
液体に視線を戻す。
と同時に、水面から黒い影が飛び出してきた。
黒い影は真っ直ぐに公主の背後にまわる。
紺色のアサルトスーツにバイザー付きのヘルメット、タクティカルベスト。
SATの装備のように思える。
私は部屋に入り、公主に近い位置をとった。入れ替わりで男性が部屋を出て行く。
男性の衣服を掴もうとしたが躱された。咄嗟に止めようとしてしまったが、追わなくても問題はない。
鏡を持ち込んだということは、こちら側の人間だということだ。
おそらくサークルに潜入していた人物だ。
迷子にまでなるなんて、どうかしているとしか思えないけれど、潜入捜査官というのはそういうことが求められるのかもしれない。
給料は良いのだろうかと心配になる。
公主は両手を上げた。
そしておそらく背後から投げかけられた問いに答える。
「そうだよ。僕がきみらが言うところの三月うさぎ。こんな大袈裟なことをしなくても、普通に会いにきてくれて良かったんだよ。まったく、床が汚れてしまった」
公主が床の液体に視線を向ける。
それから嬉しそうに笑った。
「でも、きみにはずっと会いたかったんだ。バックドアくん」
バックドア。
裏口。
まさにそうだ。
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