第16話 桔梗16
_____さまには見つかってはいけないよ。
訛りの強い言葉が頭の隅に聞こえる。
祖母の声だ。
これはいったいいつの……。
「おや、知っている顔だな。ルカと同じ班の人間だろう?」
知的な落ち着いた声が祖母の記憶をかき消した。
私はそっと正面を伺う。
シャツにスラックス、そして革靴。
どれも品が良い。価値はわからないけれどそう思った。
顔は見ない。
「ルカがわからない? ああ、そうか、きみたちは本名では呼び合わないんだっけ? 不思議な習慣だよね。そんなことしたって相手が誰なのか、隠せないものなのに」
それから男性は「うーん」と悩むような声を発した。でもそれは、どうにも芝居がかっていて、本当に考えているようには聞こえなかった。
「そうそう、ボタンだ。彼女の呼び名は」
正直、ルカにもボタンにも聞き覚えはない。
けれど、男性が言った『同じ班』という言葉から推測はできる。
通常七課では、三人で構成された班で任務にあたっている。
警部補一人とその下に巡査もしくは巡査部長が二人。アザミ班は、この一年、アザミさんと私の二人だけだ。
特殊な課であるし、人員不足で補充されないのかと最初は思ったのだが、何の説明もないことを考えると、本当はもう一人いるけれど、何かしらの任務についていて当庁していない。その可能性があると考えていた。
公安部では捜査員が長期の潜入捜査をするために前触れもなく姿を消すことがある。他の捜査員たちはそのことを心得ているから、特段気にすることもない。七課で潜入捜査があるとは思えないが。
「私はまだお会いしたことはありません」
「そうなんだ。なんで僕はきみを知ってるんだっけ? 内緒だったかな。うーん、こんなに話しちゃって、ルカに怒られてしまうな」
良かった。
私の緊張には気づいていない。いや、気にしていないようだ。
「そうそう、きみ、九州に行くんだろう? 吸血鬼を捕まえに」
「はい……話を聞きに……」
それとなく訂正した。
間違いを指摘するのも、勘違いさせたままにしておくのもどちらも危険だと感じた。
周囲の者が生きているか死んでいるかなんて彼にとっては瑣末なことなのだと、そう思わせる何かがある。
ちらりと見ただけだが、見た目は普通の人間だ。話し方も言葉の選び方もおかしなところはない。
けれど。
こうして会話を続けてはいけない相手だ。
「ルカと一緒に行くんだと思ってた。それなら僕も行きたかったんだけど。きみだけなのかな?」
「おそらく」
「ふーん。ちなみに九州のどこ? こう見えて土地勘があるんだ」
私が森咲がいるであろう地域の名前を口にした。
情報を漏らすなんて本来なら許されないことだが、言わなければ、もしかしたら私はここで終わりかもしれない。
男性は「へえ」と呟いた。
そして、気づくと私は部屋に一人だった。
突如として消えてしまったのか、普通に扉から出ていったのか、それすらわからなかった。
_______神様に見つかってはいけないよ。
祖母の声が蘇ってくる。
小さい頃、田舎の祖母の家に毎年遊びにいっていた。
夏休みだった。
その年は二週間ほど泊まる予定だった。
なぜだか両親は一緒に来なかった。
すぐに帰りたくなってしまうかと思ったが、日中野山を駆け回っていたせいで、夜になると、ことんと眠ってしまい、寂しさを感じる暇がなかった。
友達もできた。
日焼けもして、ご飯もたくさん食べて、健康的で楽しい毎日だった。
それなのに、私は一週間で帰ることになった。
何かがあったのだ。
それで祖母の家や、隣近所が慌ただしくなった。それで帰された。
罰当たりだとかなんとか、そんな会話を聞いた。
バチが当たるとは何かと祖母に聞くと、悪いことをして神様に怒られることだと教えてくれた。
だから夜その言葉で目が覚めたのだ。
『バチが当たったんだよ』
私が布団に入ったあと、誰かが家に来て祖母と話をしていた。
私は目が冴えてしまって、そっと襖の隙間から祖母たちを覗き見た。
二人とも俯き加減で背中を丸めて座っていた。
『ほかの家族はどうなる?』
『わからない。縁を切らせたら助かるかもしれない』
『本人は?』
『本人はもうだめだ。諦めないと』
『……そうか』
それから祖母は起きている私に気づいた。
『神様に見つかるかもしれないから、早く寝なさい』
たしかそういう意味合いのことを言われて布団に寝かされた。
『神様に見つかっちゃだめなの?』
幼い私はそう尋ねたと思う。
『そうだよ。おまえは可愛いから、神様が連れて行っちゃうかもしれないからね』
そうしたら、もう戻ってこれないよ。
そうか、あれは、神様か。
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