第7話 桔梗7

 入った部署が特殊な上に、ろくに説明もないまま放り出され、吸血鬼に会ってこいと言われて、戸惑わない人間は少ないだろう。


 これで初っ端からイメージ通りの、黒いマントを翻すような人物に出てこられても、うまく話せる自信はない。


 最初に会った吸血鬼が伊織くんで良かった。

 少し喋っただけでも、人が良いのがわかる。


 吸血鬼は穏やかなほうが長生きできると聞いたけれど、これがスタンダードだとは思えないから、もとからこんな性格なのかもしれない。


 施設の入り口を入ってすぐに受付、その奥が事務室のようだった。

 エントランスは広々としていて、ソファや椅子もある。ここで入居者と面会できるのだろう。


 もう一つ扉を抜けた先が居住スペースだった。

 中央の廊下を挟んで左右にキッチンとリビング・ダイニング、その先に居室らしき扉が並んでいる。

 車椅子での移動もあるため、どこも広さに余裕があった。


 夕食を終えたばかりで、ほとんどの入居者が部屋には戻らずに、テレビを見たりとリビングで思い思いに過ごしている。


 伊織くんは声をかけてくるお年寄りやスタッフに挨拶を返しながら奥へと進んでいった。私もそれに続く。


 彼と一緒だからか、まったくあやしまれなかった。警察官なのだから、あやしくもないのだが。


 居室スペースを通り過ぎ、リネン庫や浴室のさらに奥にその部屋はあった。


 伊織くんは扉の前に立つと、一度私の顔を見る。

 入らないという選択肢も、心の準備をする時間もないので、私は頷いた。

 軽くノックをして、返事を待たずに扉を開ける。


 部屋の中は、おそらく他の居室と変わらない間取りであるだろう。


 ベッドにタンス、一人掛けのソファ。ただ、窓はない。


「師匠、来ましたよ」


 伊織くんはそう言い、僕を促して中に入った。

 師匠と呼ばれた人物はソファに座っている。


 返事はない。

 緩慢な動作で伊織くんを見て、それから私を見た。


 完全な老人だった。

 顔も姿勢も、着ている服も。


 ここは認知症高齢者用のグループホームだから、不自然ではない。不自然ではないけれど。


 伊織くんはホテルに設置されているような小さな冷蔵庫を開けて、リュックの中身を移すと、「ご飯入れておきましたよ」と老人に声をかける。


 老人はここでよくやく「うん」と、返事のようなため息のような声を出した。


 ご飯の形状は、こちらからは確認できなかった。


 他に椅子はないからと勧められるまま私はベッドに座る。伊織くんは立ったままだ。


 そこから、しばらく沈黙が続いた。

 何がしかの反応が向こうからあると思っていたが、老人はそのまま目を閉じてしまった。


 私が何者であるか、気にならないのだろうか。


 助けを求めて伊織くんを見る。伊織くんはその視線を受けて「あ! 俺邪魔でした?」と部屋を出ようとしたので、必死でとめる。


「あの、これは、本当に?」


 小声でそう問えば、彼はその質問の意味を一瞬考えたようだった。


 本当に吸血鬼なのか、でも、本当に耄碌しているのか、でも、どちらにとられても構わない質問だった。


「ああ、ちゃんと聞いてると思いますよ」


 彼はそう答えた。


 つまりは、これは演技ということになるのだろう。

 どう見ても、ぼんやりとした老人ではあるが。


 私はもらったばかりの新しい名刺を二枚一緒に伊織くんに渡して、自分の自己紹介をした。


 部屋を出るまで、老人のふりをした吸血鬼は、喋ることはなかった。


 施設の外へは伊織くんと一緒に出た。


 私は今後、頻繁にここに来るかもしれないと伊織くんに話すと、彼はここのスタッフに話しておくと言ってくれた。


「あのかたは、なんとお呼びすれば良いんでしょう?」


 いかれ帽子屋とは呼びにくい。


「俺は師匠って呼んでますけど、他の人はたいてい伯爵と呼んでますよ」


 そういえば、ドラキュラも伯爵ではなかったか。


「じゃあ、次からはそのように」

「ええ、コミュニケーションとれるときもあるので、そのときは」


 伊織くんとはそこで、連絡先を交換して別れた。


 私が座ったベッドは、ベッドメイキングされたばかりのように綺麗なままだった。

 きっとあれは置いてあるだけなのだろう。

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