ふるなぎ読書録

古凪ねお

トルストイ「クロイツェル・ソナタ」

 何から語ったものかよく分からないが、とりあえず言えるのは、タイトル回収のタイミングが秀逸であったことと、望月哲男氏の訳が驚くほど読みやすかったということ。光文社古典新訳文庫、2022年初版第6刷。

「音楽の作用はあくびや笑いと同じです──つまり眠くないときでもあくびをしている人を見るとあくびが出てくるように、また笑う理由もないのに笑い声を聞いているとつい笑ってしまうように、音楽も人をある状態に引き込むのですよ。」あたりのくだりが、音楽家としては否応なしに惹きつけられた。

 音楽に詳しい文筆家の書く音楽論ほど興味深いものはない。音楽に限らず絵画でも映画でも同じだが、ある程度信頼のおける情報源であり、個人的な観点がしっかりと盛り込まれており(ここが案外重要だ)、かつ文章のリズムに芯があって小気味良い──こういう文章は総じてずるい。個人的には正反対の意見だったとしても、文章が良ければつい読んでしまうし、納得してしまう。男女関係観や結婚観といった、人生観の根幹に関わるような問題でさえ、こうも滔々と、自分の体験まで交えて語られてしまうと、その内容に全く同意できなくても一応聞いてやろうという気になってしまう。

 そう長くはない小説なのに読み切るのに数日かかったのは、そうやってちょっとずつ読まないと彼(ポズヌィシェフ)の言語に完全に毒されてしまうのではないかという恐れがあったからである。いやはや、小説とは恐ろしい!(翻訳風感嘆)

 1889年に完成して、1890年には発禁処分を受けたらしい。それだけ聞くと草が生えるが、実際読んでみるとなんだか分からないでもない。ロシアの当時の倫理観と世情についてあまり詳しくは知らないが、小説の中身を参考にするなら今の日本人でも十分理解できそうなもののように思える。

 果たして本当に悪かったのはポズヌィシェフ(正しい発音が分からない)か、妻か、バイオリンの男か。これは読めば読むほど考察の余地がありそうに思えるが、正直なところこの小説をこれ以上深く読み解きたいとは今のところ思えない。覗きたい人生もあれば、そっ閉じしたい人生もある。


初出 https://twitter.com/j_neo_p/status/1562438754152812546?s=20&t=QPEOjMeComnH1tf40ICsoQ

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