32.

 


 ――”・モリアーティ教授”――

 地方大学の著名な数学教授でありながら”犯罪界のナポレオン”を称される天才犯罪者。

 ワトソン博士は『最後の事件』の冒頭にて、モリアーティ教授の兄弟が”天才的犯罪者”の名誉を回復させようと投書活動を始めた事を受けて、事件記録の執筆と公表を決意したと語られている。だが、この時の”モリアーティ教授”の兄弟の名前が――”ジェイムズ・モリアーティ大佐”――というで物議を醸すこととなった。一部の愛好家の中では――”彼は麻薬中毒によるホームズの幻覚であり、”――とする考察や、――”モリアーティ教授とは犯罪組織の首領が襲名する称号”――といった考察すら出ている。

 これらの”考察”については、すでに君たちは”この物語”を通じて知っているはずだね?



 もしも”ジョン・H・ワトソン博士”の正体が…――

 犯罪界の頭脳”モリアーティ教授”と名づけられた”天才的犯罪者”だったとしたら?



 そんなバカげた事を――!!

 この仮説を初めて聞いた者は、そう思われるかもしれない。

 しかし天才的犯罪者”モリアーティ教授”を知れば知るほど――その策略は的確にして巧妙だ。


 ”ホームズシリーズ”の登場人物にはモデルとなった”実在の人物”が当時の英国ロンドンにいたと考察する――”シェリングフォード実在説”――

 名探偵ホームズの傍らで事件捜査を同行取材し、その捜査記録を執筆して公表してきた”ワトソン博士”のモデルとなった人物とは何者なのか?



 ――”ジョン・H・ワトソン博士”――

 愛妻メアリー夫人から――””――と呼ばれた男。

 世界的”名探偵”ホームズと共に各地の事件現場を駆け巡った”相棒”――。

 遠方の宿命的戦地にて凶弾に倒れ、戦地病院にて”呪いのような病”に心身を犯され、数ヶ月間も生死を彷徨った元軍医――。

 戦地でジェザイル銃に撃たれたが――”弾丸は肩の骨を砕き鎖骨下動脈をかすめた”――と語りながらも――”ジェザイル弾で撃たれた足をいたわりながらゆっくりと座った”――と語りもする、負傷の部位が移動する元負傷兵――。

 一八八〇年代後半に起きた『恐怖の谷』の冒頭では、”大物犯罪者”の部下ポーロックが記した犯罪計画を告白する暗号文を解読して――”あの連中が『あの人』と言えばひとりしかいない”――”モリアーティ教授のことか”――と会話していたのに、一八九一年に起きた『最後の事件』では”モリアーティ教授のことを初めて聞いた”と虚偽の発言をした伝記作家――。



 もしもが――”モリアーティ教授”だったとしたら…――



 これほど悪辣で巧妙にして大胆不敵な”犯罪”はないだろう――。

 これほど痛烈痛快なる――”モリアーティ教授らしさ”――はないだろう。


 名探偵ホームズは語る――”彼自身はほとんど何もしない。彼は計画を練るだけだ。しかし彼の手下は無数にいて、見事に組織化されている。例えば、書類を盗む、強盗に入る、人を殺すといった犯罪を謀る時、教授にひとこと言えば、それは計画され、実行される。手下は捕まるかもしれない。そんな場合は保釈や弁護の費用が準備される。そしてその手下を使っている”組織の中心モリアーティ”は決して捕まらない。疑われることさえないのさ”――



 もしも”ワトソン博士”の正体が――”モリアーティ教授”だったとしたら…――



 それでもバカげた”仮説”だ――なるほどその通りだろうね。

 実際これは幼い子供が、パッと思いついたような妄想の類だよ。

 安心したまえ。この仮説は否定できる。私が否定した。


 だがこれを否定することは――”ひどく難しかった”と言わねばならない。


 なにせ世界に遺る記録は、すべて黒幕疑惑の容疑者”ワトソン博士”直筆の小説ばかりなのだ。

 これは言わば”叙述トリック”の類だね。執筆者自身が容疑者なのだから。

 そうなれば――その記述内容すらすべて疑ってかからねばならない。

 なにせ”天才的犯罪者”自身の記述だからね。

 自身に都合の悪い部分は、隠蔽したり歪曲させたりしているかもしれない。


 そして、だからこそ名探偵ホームズは…――

 ワトソン博士が”モリアーティ教授”だと気づけたのではないか?

 真実を歪曲させて出版する”ワトソン博士”の事件記録を読み、疑問を抱き、そして”犯罪界の頭脳”の存在に辿り着けたのではないか――と。


 この恐ろしい発想を否定したい。

 それが当時小学生だった”私”の動機であり――

 それが私の”シャーロキアン”になった原点なのだよ。


 私はこの考察を記録にまとめた。

 小学生の”夏休みの自由研究”としては異色も異色だろうね。

 だが、気づけばその研究が表彰されて、そして今の”私”があるわけだ。


 さて――どうだろう。君たちにこの謎は解けるかな?


 ヒントをあげよう。

 ”モリアーティ教授”は――英国都市ロンドンの”悪事”の半分と、未解決事件のほとんどに関わっているという。

 ならば、名探偵ホームズの解決した事件の中にも――”モリアーティ教授が黒幕の事件-Moriarty's Case-”――が含まれている可能性がある。

 まずはそれを探したまえ。

 そしてそれを年代学的に並び替えるのだ。

 そうすれば、真実が見えてくるはずだ。


 これは君たち――”シャーロキアン”――への挑戦状だよ。

 ぜひ、この謎を解き明かしてほしい。



  ◇◆ ◇◆◇ ◆◇



 その日はふわふわと雪が降っていた。

 研究室のガラス窓には、淡い白色の曇りと中庭の”ヒマラヤ大杉”に飾られた灯りがぼんやりと見えていた。


 そして手元にある”挑戦状”から顔を上げて、視線を横に流せば…――

 教授席にゆったり座り込む”車楽堂しゃらくどうほむら先生”が、俺を見ながらにやにやと微笑み掛けていた――。


 ああマジかよ……。

 俺が視線を正面に向けると――同じく”ほむら先生の挑戦状”を読んでいた灰原あいり先輩と門石かどいしめぐみが力強く微笑み返してくる。ああもう、しょうがねぇな……。


 まあいいか。まったりいつも通りに…――

 ”シャーロキアンの『知的遊戯-ユーモア-』”――の世界を楽しむとしますか。




■32.最後の挨拶 -Sherlockian’s Last Bow-



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る