26.
「こいつは”レストレイド警部”じゃないぞ…ッ……誰なんだコイツは…っ…!?」
■26.八つの署名 -The Sign of Eight-
「そうっ、そうなんですよっ、わたしもそう思って…っ…すごく”謎”じゃないですかっ!?」
俺の言葉を聞いて、めぐみが興奮した様に賛同する。そしてそれを見ていたあいり先輩が、わくわくと興奮したように「おおっ」と驚嘆の声を上げる――そして次の瞬間。
「……ねえねえワトスン君、めぐみちゃん。ところでさぁ……”ブルドッグ”っていう表現、どこかで聞き覚えない?」
あいり先輩が何気なく言った”問い掛け”――それを聞いた瞬間、俺とめぐみはハッと視線を合わせる。
「そっか、そうですよっ、それっひょっとして――!?」
「なるほど。それって『赤毛連盟』に登場した――”ピーター・ジョーンズ警部”――のことですか?」
俺たちの”答え”を聞いて、あいり先輩が「ああーそうよそれそれ~!」と満足そうに笑っている。
いやノンキだな。あなた結構すごい発見したんですが……。
たしかに『赤毛連盟』事件において――、
名探偵ホームズは”ピーター・ジョーンズ警部”のことを「ひとつ長所があるとすれば、”ブルドッグ”のように勇敢で、もし誰かを捕らえたら、”ロブスター”のハサミみたいにしぶとく離さないことだ」と評している。
だが、それはあくまで”能力面”のことだ。外見的特徴ではない。
むしろ外見的特徴で”ブルドッグ”と言えば…――
「あいり先輩、思い出して下さい。その”ピーター・ジョーンズ警部”と”同一人物説”がささやかれている――”もう一人の警部”――がいませんでしたか?」
俺の言葉を受けて、あいり先輩がハッと瞳を見開かせる。
「そっか!『四つの署名』事件に登場した――”アセルニ・ジョーンズ警部”――の外見的特徴と一致するのね!?」
その通りだ。たしかにワトソン博士は『四つの署名』にて――”アセルニ・ジョーンズ警部”のことを「太った赤ら顔の男で、多血症のようだった。膨らんだ腫れぼったい瞼の間から見える鋭い目は、非常に小さくキラキラと輝いていた」と描写している。
”ピーター・ジョーンズ警部”に関する”ブルドッグ”発言は、彼の能力を評価するにあたっての比喩であるが…――”アセルニ・ジョーンズ警部”の外見的特徴に関しては、たしかな”現実の描写”だ。単語として直接使われてこそいないが、まさに”アセルニ・ジョーンズ警部”こそ――”屈強なブルドッグ顔の男”――であるのは間違いないだろう。
「――っていうことは、ワトスン君たちは『バスカヴィル家の犬』事件に登場する”レストレイド警部”が――実は”アセルニ・ジョーンズ警部”だった――って考えているわけ!?」
◇◆ ◇◆◇ ◆◇
あいり先輩が、驚いているような楽しんでいるような……そんな興奮した様子で聞いてくるので、俺はしっかりと頷き返す――とその時だった。
あいり先輩の隣席に座っていためぐみが――自分の持っているノートを握り締めて、興奮したように俺たちの方へ突き出してきた。
「すっごい大発見ですよっ。もしも『バスカヴィル家の犬』に登場する”レストレイド警部”の正体が――実は”アセルニ・ジョーンズ警部”だったとしたら。そう考えると”時系列的にもピッタリと符合する”んですよっ!!」
めぐみが説明した”考察”の内容は、要約すると以下のようなものだった…――。
まずは”アセルニ・ジョーンズ警部”が登場した『四つの署名』事件の発生年月について――。
これは作中の冒頭で”メアリー嬢”が「父が失踪したのは、一八七八年の十二月三日……今からおよそ十年前の事です」と供述しており、さらに続けて「約六年前――正確には一八八二年の五月四日に、わたくし”メアリー・モースタン”の所在を問い合わせる広告が新聞に載りました」と述べている点から、この事件は”一八八八年”に起きた出来事だと考えられる。
一方で、メアリー嬢は「わたしの住所を広告に載せた」ところ「わたし宛の郵便小包が届きました。その中には、見事な輝きの巨大な真珠が入ってました。<略>それからというもの、”毎年同じ日に”、同じ真珠が届くようになりました」と述べながら”六個の真珠”をホームズ達に見せている。真珠が毎年届く日付は”五月四日”以降だとして、真珠が届くようになった”約六年前の一八八二年”から数えて、現在メアリー嬢の手元に”六個の真珠”があるのであれば…――メアリー嬢がホームズ達のもとへ相談に訪れたのは、六個目の真珠が届いた一八八七年の五月四日以降で、一八八八年の”七個目の真珠が届く前”の出来事だと推測できる。そのため一部のシャーロキアンは”一八八七年の出来事だ”と主張する者もいるらしい。
今回、めぐみとしては「約六年前――正確には一八八二年の五月四日に~」という”メアリー嬢”の発言から、四捨五入の感覚的にも「約六年前」という微妙な年数でわざわざ表現した点を重視し、仮に”一八八七年の出来事”だとしても”一八八二年”を「約六年前」とは言わないだろう、と考えたとの事だ。
以上の考察から『四つの署名』事件は――”一八八八年”に起きた出来事である可能性が高い――と推測している。
なお、『四つの署名』事件が起きた”日付”に関しては諸説ある。作中冒頭の”メアリー嬢”は「今朝、こんな手紙を貰いました」と言って名探偵ホームズに手紙を渡すのだが、その手紙の消印は”七月七日”となっている。一方、この後ホームズ達が馬車で出かける際には、ワトソン博士が文中で「この時は九月の夜で~」と述懐しており、世界中のシャーロキアンたちを”七月と九月どっちなの?”と惑わせる結果になっている。
ただ、これらの情報からおそらく『四つの署名』事件は…――
”一八八八年の七月または九月”――に起きた出来事である可能性が高いと言えそうである。
次に”レストレイド警部らしき人物”が登場する『バスカヴィル家の犬』事件の発生年月について――。
この作中冒頭には、ホームズ達が不在の時にベーカー街にやって来た”依頼人の忘れ物”から、ホームズ達が”持ち主の正体”を推理する有名な場面がある。そしてその時、”依頼人の忘れ物”である”ステッキ”に刻まれた『一八八四』という年号を見た名探偵ホームズが「今から五年前」と発言している。
この事から『バスカヴィル家の犬』事件が起きたのは”一八八九年”だと考察する向きが強い。
だが一方で、上記の時期であれば、ワトソン博士はメアリー嬢と結婚してベーカー街を離れている時期のはずである。そのため、明らかに作中冒頭の朝食シーンで”ワトソン達がまだベーカー街で同居中である”と思われることから、この『バスカヴィル家の犬』事件の発生年月に関しては諸説紛糾しているらしい。
そんな諸説ある中で…――、
ホームズ達が『四つの署名』事件を解決した”一八八八年の七月または九月”以降で、ワトソン夫妻が結婚する前の時点…――つまりは『四つの署名』事件を解決した直後の”一八八八年の秋頃”に『バスカヴィル家の犬』事件が起きたとすれば、ホームズ達が同居中であり、且つ”ステッキ”に刻まれた『一八八四』を”約五年前”と発言しても辻褄が合うのではないか――という考察がある。
めぐみは今回の考察において――『バスカヴィル家の犬』事件は”一八八八年の秋頃”に起きた出来事――という仮説を採用する事にしたらしい。
この考察を補強するものとして――『バスカヴィル家の犬』事件の時系列を”九月から十月”と推測する傾向がある。
実際に調べたところ――『バスカヴィル家の犬』の物語中盤では、依頼主のヘンリー卿を護衛するために名探偵ホームズと別行動を取ることにしたワトソン博士は、事件の舞台となる”バスカヴィル館”に滞在した記録をホームズ宛に報告するべく記した手紙に「十月十三日」と日付を記載している。またこの手紙には「二週間前に脱獄した囚人」の話題に触れられており、ワトソン博士が”バスカヴィル館”を最初に訪れた時に「三日前に囚人が脱獄した」という話題を聞いていた点から、この時点で滞在初日から”およそ十一日”経過している事がわかる。つまりは、ワトソン博士の”バスカヴィル館”滞在初日は――”十月二日頃”という事になる。さらに『バスカヴィル家の犬』の物語冒頭では、依頼主のヘンリー卿が、英国南部ダートムアの湿原地帯にある”バスカヴィル館”へ「今週末」に帰郷する旨の発言をしているため、ワトソン博士の滞在初日”十月二日頃”から逆算すると――『バスカヴィル家の犬』事件は”九月末頃”に幕を開けたことになる。
これらの考察から『バスカヴィル家の犬』事件は…――
”一八八八年の九月末から十月”――に起きた出来事である可能性が、やはり非常に高いと言えそうである。
「――…という事は、ホームズ達が”一八八八年の七月または九月”に『四つの署名』事件を解決して、そのわずか一・二ヶ月後の”一八八八年の九月末から十月”にかけて『バスカヴィル家の犬』事件が起きた…――という時系列になるわけね?」
あいり先輩が情報整理して確認を取ると、めぐみが静かに首肯した。
「これを調べた時から、実はずっと疑問に思うことがありまして……。
ワトソン博士は、『バスカヴィル家の犬』事件終盤に応援で駆けつけた”レストレイド警部らしき人物”と鉄道駅で合流した際に、このように記述しているんです――”私たち三人は握手した。レストレイド警部がホームズに見せる態度は、極めて謙虚であり、初めて一緒に事件を捜査した”あの日”以来、彼は自分の立場を非常によく理解してきたことがすぐに分かった。私は、最初の頃のレストレイド警部がホームズの推論に苛立ち嘲笑していたのを思い出した”――と。
わたし、これにすっごく違和感があるんですよねぇ……。
先ほど”まとめノート”でもお見せした通り、ワトソン博士が”レストレイド警部”と一緒に事件捜査に立ち会ったのは『緋色の研究』事件が一番最初です。で、その時に”レストレイド警部”が――”ホームズの推論に苛立ち嘲笑していた”――のは、たしかに本当のこと思います。
でも、その日以来”自分の立場を非常によく理解してきた”とか、”極めて謙虚”な態度とか……なんだか”レストレイド警部”っぽくないと思いませんか?」
「たしかに言われてみれば、そう感じるわね!」
「なるほどそうだな……。どちらかと言えば”レストレイド警部”は、名探偵ホームズの推理力をだんだん認めて敬意を見せるようにはなれど”ライバル心”を持ち続けてるイメージだな。
それこそ一八八八年の『バスカヴィル家の犬』事件から七年後の一八九五年に起きた『ブルースパーティントン設計書』事件では、犯罪の証拠を押さえるために夜盗まがいの行動を取ったホームズ達に対して『あまりそんな事ばかりしていると、そのうちとんでもない目にあいますぞ』と苦言を呈するぐらいには”対等の関係”って印象がある。少なくとも”何か捜査で失敗した”わけでもない合流シーンで、いきなり謙虚な姿勢を見せる”レストレイド警部”は違和感しかないな……」
「あっ、やっぱりみなさんもそうですかっ」
あいり先輩と俺もその”違和感”に同意すると、めぐみが嬉しそうにガッツポーズする。
「そこで気づいたんですが……。
この名探偵ホームズに対して”最初に出会った日に心を入れ替えて謙虚な態度を見せるようになる”という展開…――どちらかと言えば『四つの署名』事件における”アセルニ・ジョーンズ警部”の方が、描写としてしっくり来ませんか?」
めぐみの”問い掛け”を受けて――なるほどな、と俺は感心する。
たしかに『四つの署名』事件における”アセルニ・ジョーンズ警部”は、最初こそ名探偵ホームズに対して挑発的だが、物語終盤で捜査に行き詰まると意気消沈した状態でベーカー街を訪れ、以降は名探偵ホームズの捜査に対して非常に協力的になっている。
『四つの署名』事件解決から数ヶ月後、名探偵ホームズと『バスカヴィル家の犬』事件にて再会したのが――”レストレイド警部”ではなく”アセルニ・ジョーンズ警部”の方だったとしたら――たしかにあの”謙虚な態度”もしっくり感じられるな。
「ここからは、わたしの個人的見解になりますけども…っ…――、
英国ロンドン南部で起きた『四つの署名』事件をきっかけに、名探偵ホームズは”アセルニ・ジョーンズ警部”と知り合いになっています。この事件の終盤には、あの”人づきあい”を避ける性格のホームズが、すっごく珍しいことにっ、警察官である”アセルニ・ジョーンズ警部”を夕食に招待しています。しかもこの時のホームズは『是非、食事を共にしましょう。なに三十分ほどで用意できますよ。牡蠣とライチョウが二羽、それにちょっとした白ワインも選んであるんだ。ワトソン、君はまだ僕の家政婦としての才能を知らないだろう』と述べて、なんと”アセルニ・ジョーンズ警部”たちに”自慢の手料理”まで振る舞ってるんです。ワトソン博士は、その時の夕食を『とても楽しい食事になった』『これほど陽気なホームズは見たことがなかった』と述懐していますっ。もちろん、事件解決前夜の高揚感もあってのことでしょうが……少なくとも他の警察官たちとは、一線を画する親密さが”アセルニ・ジョーンズ警部”にはあったと見て取れますっ。
そしてその一、二ヶ月後…――『バスカヴィル家の犬』事件が起きた、英国南部ダートムアの湿原地帯にある”バスカヴィル館”に向かい、魔犬伝説および真犯人との直接対決するにあたり”心強い味方”が欲しいと思った時…――最近知り合った、且つ気心の知れた”アセルニ・ジョーンズ警部”を応援で呼んだとしても、全然不思議はありませんっ」
「なるほどね……。たしかに名探偵ホームズ達の人間関係や時系列を考慮してみても、『バスカヴィル家の犬』事件に登場した”レストレイド警部らしき人物”の正体が…――実は”アセルニ・ジョーンズ警部”だった――と考えた方が、いろいろと符合する点もあるように思えるわね!」
めぐみの考察を聞いていたあいり先輩が、腕組みをしながら力強く頷きまくる。
うむ。たしかに興味深い”考察”ではある。
だが、もしそうだとしたら…――
「もしそうだとしたら、次に気になってくるのは…――
ワトソン博士は『バスカヴィル家の犬』事件の解決に協力した”アセルニ・ジョーンズ警部”のことを…――どうして”レストレイド警部”と記述したのか…――という事だな?」
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