24.

 


「ちなみに――””――という考察があるんですよっ」




■24.八つの署名 -The Sign of Eight-




「えっ、なによそれ、どういう意味なの!」

「それは俺も初めて聞いたな……」

 俺とあいり先輩の驚きの声を聞いて――めぐみが得意げに説明を始める。


「まず”レストレイド警部”は、とされる『緋色の研究』事件において”第二の殺害現場”に遭遇し、血だまりを発見すると…――『二十年の経験があるにも関わらず―”in spite of my twenty years’ experience.”―』――気分が悪くなった、と述べていますっ」


「つまり”レストレイド警部”は、一八八一年の時点で”経歴二十年目”のベテラン警部だった――ってことかしら?」

「まあ”物心ついてから二十年”という意味だと考えれば、この時の”レストレイド警部”が――”二十歳代の青年警部”――だった可能性も、少なからずありますが……。『緋色の研究』事件の時に”レストレイド警部”と”グレグスン警部”の両名は、新聞各紙から『高名な両警部―”well-known officers”―』と評価されている事からも、この時すでに”レストレイド警部”は、”経歴二十年目”のベテラン警部だったと考えるほうが、妥当だと俺は思いますね」

 あいり先輩の疑問に俺が個人的見解を示すと、それを聞いていためぐみが「わたしも同意見です」と頷き返してくる。


「一方で、ワトソン博士が『六月に起きた』と明記している”ホームズシリーズ”後期の短編『三人のガリデブ-The Adventure of the Three Garridebs-』事件にも、”レストレイド警部”が登場しています。また、年代はハッキリしませんが――”の七月頃に起きたと考察されている『フランシス・カーファックス姫の失踪』事件こそ”レストレイド警部”が登場した”最後の事件”だ――と考察するシャーロキアンの方もいます。

 とにかく共通して言えるのは――”レストレイド警部”が頃まで現役で”警察官”をやっていたことですねっ」


 ちなみに”レストレイド警部”が登場した”最後の事件”は何なのか――それは”ホームズ年代学”の領域になる。

 ”ホームズシリーズ”後期の短編作品『フランシス・カーファックス姫の失踪』では、貴族令嬢フランシス姫の失踪事件の裏側に”詐欺犯ホーリー・ピーターズ”がいる事を名探偵ホームズが見抜く。そしてピーターズの変装を見破る際、名探偵ホームズは「ヤツはのアデレードで、酒場の喧嘩相手に(耳を)ひどく噛まれたのさ」と述べている。この事から、少なくとも『フランシス・カーファックス姫の失踪』事件が””以後の出来事であるのは確定的だ。

 一方、この『フランシス・カーファックス姫の失踪』の冒頭では、名探偵ホームズが「なぜ英国式ではなく、トルコ式の風呂に入るのだ」とワトソン博士に文句を垂れるシーンがある。このシーンから当時のホームズは”トルコ風呂”が好きではなかったと推察できる――。ところが、ワトソン博士が『九月に起きた』と明記している”ホームズシリーズ”後期の短編『高名な依頼人-The Adventure of the Illustrious Client-』の冒頭では、ワトソン博士が『ホームズと私はトルコ風呂に目がない』と語り、ホームズ達がトルコ風呂でのんびり横になっているシーンから物語が始まる。これはワトソン博士に連れられて”トルコ風呂”に通ううちに、名探偵ホームズも”トルコ風呂”が好きになったのでは――と解釈されている。


 これらの考察から『フランシス・カーファックス姫の失踪』事件は――”一八八九年から一九〇二年九月の間に起きた出来事”――と考察されている。

 まあ結論として、一九〇二年六月に起きた『三人のガリデブ』事件との”時系列の前後関係”に関しては――”諸説ある”って感じだな。以上、まるっと余談である。



 めぐみは「こほんっ」と一つ咳払いしながら説明を続ける。

「話を整理しますと――”レストレイド警部”は一八八一年の時点で”経歴二十年目”のベテラン警部であり、その二十一年後、一九〇二年の時点でも現役の警察官をやっている――という事になりますっ」


「そうすると”ホームズシリーズ”終盤の頃の”レストレイド警部”は……警察官歴”四十年”の超ベテラン警部ってことね!」

 あいり先輩の相づちを受けて、めぐみが「はいっ」と元気よく答える。


「その事に関して、シャーロキアンの中には――”新聞などで『高名な両警部―”well-known officers”―』と称される”スコットランドヤードの名物警部”が二十年以上も活躍する中、まったく昇進していないのは不自然ではないか?”――と考察する方もいらっしゃるんですっ」

 そこまで言うと、めぐみは再びノートをパラパラとめくり始める。



「そこで提唱されたのが――”レストレイド警部は二人いる説”――という考察になります。

 その内容ですが、一八九四年春に起きた『空き家の冒険』事件における”レストレイド警部”は、名探偵ホームズとの再会を喜び、丁寧に接しているのですが――その数ヶ月後に起きた『ノーウッドの建築家』事件では、名探偵ホームズに対して不遜な態度をとっています。まあ、これは”レストレイド警部”が逮捕しようとした容疑者をホームズが留めた事も影響してるとは思いますが。気になるのは、この時に”レストレイド警部”が『まあいいでしょう、ホームズさん。これまで一、二度警察に協力していただき、われわれロンドン警視庁スコットランドヤードとしても”借り”がありますからな』と述べている点です。これまで何度も名探偵ホームズから助言をもらい、『六つのナポレオン』では毎晩ホームズ達と談笑もしていたあの”レストレイド警部”の台詞とは、とても思えない――という見解ですねっ。

 ちなみに、この説を提唱したシャーロキアンの方は――”レストレイド親子説”――を推していますっ!」


「あらっその説も面白いわね!つまりシリーズ後半に登場する”レストレイド警部”は――”レストレイドJr.ジュニア警部”――だったかもしれないって考察よね?」


「なるほどな。”レストレイド警部”は作中でファーストネームが明記されていなかったから、途中から”レストレイド警部”の息子――”レストレイドJr.ジュニア警部”――に入れ替わっていても、俺たち読者は気づけなかったわけか……」


 めぐみの説明を聞いて、俺とあいり先輩が「なるほど」と感心する。



「――っていうことは『ノーウッドの建築家』で、”レストレイドJr.ジュニア警部”が、名探偵ホームズに対して『これまで一、二度警察に協力していただき~』と言ったのは、父親の”レストレイド警部”から名探偵ホームズのことを話半分に聞いていたからかしら?」

「ひょっとしたら、父親の”レストレイド警部”を尊敬するゆえに…――または”スコットランドヤードの警部”に成りたての青年警官ゆえに…――エリート警察官であるプライドや名探偵ホームズに対する”反抗心”から、とっさに出てしまった言葉なのかもしれませんね」

「なるほどっ、そういう解釈もいいですねっ」



 しばらくの間、みんなで”レストレイド親子説”について語り合う。

 すると、めぐみが思い出したようにノートに視線を落とす。



「ちなみにこの説を提唱したシャーロキアンの方は、”レストレイド親子”が入れ替わった時期を――『空き家の冒険』から『ノーウッドの建築家』までの数ヶ月間――だと考察していますねっ。

 ただ、実はわたしは別の考察をしてまして――”レストレイド警部”は『空き家の冒険』にて、名探偵ホームズと再会した際に『この事件は私自ら参加要請しました』と述べているんです。なので、わたしは”レストレイド親子”が入れ替わったのは――『最後の事件』で名探偵ホームズが失踪していた”大空白時代”の間で、この時点で”父親のレストレイド警部”は現場を退いていて、『空き家の冒険』の時だけ現場復帰していたんじゃないかとっ!」


「なるほどね! たしかに『空き家の冒険』に登場する”レストレイド警部”は――”明らかに本人”――だから、そっちの考察の方がしっくりくるわね! そして名探偵ホームズが失踪していた”大空白時代”以降の――”レストレイド警部の息子”が登場してるってわけね!」

 めぐみの自説を聞いて、あいり先輩が褒めるように賛同する。

 めぐみは「でへへ」と照れ笑いすると――言葉を続けた。



「これなら”レストレイド警部”が――――も解決ですよねっ」



  ◇◆ ◇◆◇ ◆◇



 その言葉を聞いて…――俺は”ある事”を思い出す。


「そういえば、邦訳本だと『レストレイド』ってよく記述されているけど……たしか原文中に『-Inspector Lestrade-』と記述されてる箇所って無いんじゃなかったっけ?」



「うええっ!?」

「そ、そうなんですかっ!?」

 俺の発言を聞いて、あいり先輩とめぐみが驚きの声を上げる。


 俺も記憶があやふやだったので、森谷教授室の書庫から数冊の英語版書籍を取り出すと――ぱらぱらと中身を確認してみる。


「ふむ。やっぱりそうだな。ほとんどの場合、原作ではただの『Lestrade』か『Mr.Lestrade』と書かれてる。

 肩書きに関する記述は…――”レストレイド警部”が初登場する『緋色の研究』にて、”グレグスン警部”と共に登場した際に――”the two detectives.”――と記述されているな。しかも『緋色の研究』の終盤には、容疑者の自供を調書にまとめるために――『色白の感情のうすい男―”The official was a white-faced, unemotional man”―』――が登場するんだけど、この捜査官と”レストレイド警部”と”グレグスン警部”の三人に関して、ワトソン博士は――『The inspector and the two detectives』――と記述している。つまり仮説ではあるけれども……少なくとも『緋色の研究』の時点では”レストレイド”たちを『-Inspector-』とは確実に分けて表現しているな」



「驚いたわね! 何だかすっかり『レストレイド警部-Inspector Lestrade-』だと思い込んでたわ!?」

「えっと、ちなみに『Detective』って何なんでしょう? 探偵……じゃないですよね、事件捜査の刑事って意味でしょうか?」

「そうねぇ、たしか米国警察の階級だと『警部-captain-/警部補-lieutenant-/巡査部長-sergeant-/刑事-detective-/巡査-patrol officer-…』っていう感じだったはずだから――”レストレイド”たちは『刑事-detective-』ってことになるのかしら?」

 俺の仮説を聞いて、あいり先輩とめぐみが考察を進める。



「さらに言うとだな……。英国警察『ロンドン警視庁-スコットランドヤード-』の階級制度だと『Inspector』は――『』――になる」


「ええぇっ!?」

「ちょっとウソでしょ!?『警部』ですらないわけっ!?」

 俺の発言を聞いて、あいり先輩とめぐみが再び驚きの声を上げる。



「実はそうなんですよ。たしか『ロンドン警視庁-スコットランドヤード-』の階級制度だと――『警部』は『-Chief inspector-』だな。だから『-Inspector Lestrade-』であれば、そもそも邦訳は『』という事になります」


「うっそ、それじゃあ”グレグスン警部”も”ブラッドストリート警部”も、本当はみんな『警部補』ってこと!?」

「なんか、すごくショックなんですけど……」

 俺の説明を聞いて――あいり先輩が頭を押さえて天井を見上げ、逆にめぐみは頭を抱えて机に突っ伏してしまう。



「ちなみにワトスン君、その『ロンドン警視庁-スコットランドヤード-』の階級制度”って現代の話よね? ホームズ達が活躍した当時も同じだったのかしら?」


「それを確認するのは少し難しいんですが……例えば、名探偵ホームズ達が活躍した同じ時代:十九世紀末の英国ロンドンで起きた怪奇事件”切り裂きジャック-Jack the Ripper-”――この事件捜査の指揮を執った『ロンドン警視庁-スコットランドヤード-』のフレデリック・アバーライン氏は『警部-Chief inspector-』だと記録されています。なので”レストレイド刑事”たちの階級考察に、大きな間違いはないと思いますよ?」


「なるほどですねっ」

「うわー何だか、めちゃめちゃショックだわよ!」

 俺の補足説明を聞いて、あいり先輩たちはショックを受けたり感心したりと忙しそうだ。


 いやいや、ここらで本題に戻った方がいいよな――?


「――でさ。わざわざ一番有名な”レストレイド警部”を最後に紹介したという事は、めぐみが言っていた――”ひとりだけが混じっている”――っていうのは……」


 そこまで俺が質問した時――めぐみは力強く頷き返しながら、机上のノートの最後のページをめくり広げた。



「はいっ。この”レストレイド警部”には――があるんですっ」



  ◇◆ ◇◆◇ ◆◇

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