第3話 満開の花ー5
その後も僕たちは下町内のお店を回り、時に食べて、時に食べて……時に……
「桜花、もうそれぐらいにしといた方が……」
「え? あ、あああの、ち、違うの! これは……その……」
桜花は右手に持った肉まんとあんまんを交互に視線を移しながら、わかりやすく狼狽する。
ぐぅぅぅ~
どうやら、桜花のお腹はまだ満足していないらしい。
お腹の音を人に聞かれたのが、恥ずかしかったのだろう。
耳まで顔を真っ赤にさせている。
桜花が両手に持っている中華まんから湯気が出ているからか、彼女の頭の上からも煙が出ているように見えた。
「やだぁ。これじゃあ、私、食いしん坊みたい……」
確かに食料の摂取量だけを見たのなら、そう表現するのは致し方ないだろう。
当時は気にもしなかったけれど、考えてみれば10年前に会った時も、彼女はよく食べていた気がする。
大広場自然公園にあった屋台でも、今日みたいに桜花はたくさんの食べ物を買っていた。
まあ、彼女の正体が鬼ならば、大きな胃袋にも頷ける。
「たくさん食べるのはいいことだよ!」
そう言って、ふくよかな女性の店員さんはかっかっかっかと、独特な笑い声で笑い、桜花はさらに顔を真っ赤にさせた。
僕たちは、お店の人にお礼と会釈をした後、少し先にある黒色のベンチに向かって進む。
恥ずかしさから、しおらしくなってしまった彼女に元気になって欲しくて、僕は口を開く。
「下町の食べ物はどれも美味しいからね」
すると、ゆっくりと笑顔に戻り、彼女は言う。
「そうなの! 美味しくて、今日食べとかないとって思うと、つい……」
そうだ。
桜花の言った通り、彼女がたくさん食べるのは、空腹を満たすという理由だけではない。
この後の僕たちに起こりうるであろう結末があるからこそ、桜花は悔いを残さないようにしているのだ。
熊が冬眠をするために、秋に栄養を蓄えているのとは違う。
桜花が、次にいつ人間界を訪れるのかわからないから。
桜花と僕が、次にいつ会えるのかわからないから。
そして、その時に下町のお店があるかもわからないから。
まあ、それは下町に限った話ではないけれど。
本当はこのまま食べ歩きを続けてもいいのだが、このままだと僕の胃が持ちそうにない。
喫茶店に着くころには、デザートすら食べられなくなっていることだろう。
お互いにベンチに腰を下ろす。
「じゃあ、それを食べたら、そろそろ喫茶店に向かおうか。ちょうどいい時間だし」
僕は下町にある物見櫓風の時計塔を指さし、言った。
時刻は、11時30分を指していた。
青空の下、時計塔から1羽の小鳥が羽ばたいていくのを目で追う。
鳥の種類はわからなかった。
お昼の時間帯に喫茶店に行ったことはないから、もしかしたら少し混むかもしれない。
けれど、下町は未だ僕らが来た時と変わらない静けさで、大広場自然公園やおじさんのたこ焼き屋ほどではないから、混む心配はなさそうだ。
「あ、本当だね。ごめん、急いで食べるね!」
「ううん、ゆっくり食べて。あそこの肉まんは1度だけ食べたことがあるけど、今でも味を思い出せるくらい記憶に残ってる。きっと、驚く」
1度しか食べたことがないのは、僕が毎回この下町に到着する頃にはお店が閉まっているからだ。
「おお、べた褒めだねぇ。では、お言葉に甘えて……」
嬉しそうに微笑んで、肉まんにかぶりつく桜花の姿は幼く見えた。
彼女が美味しそうに食べる姿に自然と笑みがこぼれ、まじまじと見てはいけないと思い、視線を空に向ける。
僕は彼女が食べ終えるまで、青空に浮かぶ白い雲がゆっくりと動いている様子を静かに眺めていた。
「ごちそうさまでした!」
桜花は手を合わせて、小さくお辞儀をする。
彼女は肉まんとあんまんを包んでいた紙を丁寧に折り、ベンチ横に設置してある木製のゴミ箱に入れた。
先ほどからそうだが、店員さんにお礼を言ったり、こういうこまかな行動から彼女の育ちの良さを感じる。
僕も普段から気を付けているつもりだが、桜花を見習ってより一層気を付けようと思った。
「すっごく美味しかった! 特に生地が甘くて、美味しかった」
「そうなんだよ、あの生地が美味しいんだよね」
もちろん、具も美味しいのだが、印象に残るのはやはり生地の方だ。
もちっとした食感なのにしっかりと程よい弾力も残されており、生地から伝わってくる甘い香りは鼻腔を
一口食べれば、生地の甘味と控えめな塩味が口の中に広がり、具の素材の美味さを引き立ててくれる。
生地にこだわっていると、のぼり旗やチラシでうたっているだけのことはある。
「今まで食べた中華まんの中で一番美味しかった!」
「それは店員さんも喜ぶね」
ふたりで微笑み、桜花がベンチから腰を上げる。
「お待たせしました! 喫茶店に行きましょう」
「了解。近くだから、すぐ着くよ」
僕も立ち上がり、彼女と肩を並べて歩き出す。
「どんな感じなんだろう? 楽しみだなぁ。おすすめのメニューとかあるの?」
「飲み物だと緑茶だね。食べ物はどれも美味しいけど、お店が推してるのはお団子と、アップルパイかな?」
「アップルパイ!?」
「う、うん……アップルパイ」
「私、アップルパイだいっすきなの! これは、要チェックだな~はぁ、ワクワクする」
「やっぱり、すごいな桜花は」
楽しそうに微笑む彼女を見て、自然に言葉が漏れていた。
「え?」
桜花はきょとんとした表情で立ち止まったので、僕も足を止める。
「ああ、いや、えっと、本当に全部を楽しめるっていうか」
彼女を称賛するつもりで言ったのだが、どうやらそうは捉えてもらえなかったようで、桜花は青ざめたような表情をする。
「それって……こ、子どもっぽいってこと……?」
やばい。
ミスった。
「い、いやいや、違う、違うよ! その、感心してるんだ。ごめん、良い意味で言ったつもりが……」
僕の背中からは嫌な汗が流れ、自分でもわかるくらい酷く動揺する。
きっと、顔も青ざめていたに違いない。
「なんだぁ……良かった~」
桜花が安心したように肩を下げたのを見て、僕も肩を下げる。
良かったぁ……。
僕は平静を取り戻し、歩きながら改めて思っていたことを口にする。
「横で見てて、すごいなって。桜花は場所だけじゃなくて、そこにあるものや人、そのすべてを楽しんでる感じがするんだ。それって、本当にすごいことだと僕は思う」
──見て! はる君! 歩くだけでも、こんなにも綺麗なものがたくさんあるんだよ!
かつての彼女が僕にそう言ったように、今もなお曲がることのないその思考に感服している。
それは、僕にはできなかったことだから。
「う~ん。それは少し違うよ」
彼女は後ろで手を組んで、言葉を続ける。
「えっと、楽しいのは本当だよ? 嬉しい気持ちも本物。でも、ね。それだけじゃないの」
桜花は少し頬を赤くして、下を向く。
「私ね、こういう時間が好きなの」
僕がその言葉の背景を考えるよりも先に、顔を上げた彼女と目が合い、言葉を待つことを選ぶ。
「美味しいものを食べたり、こうして素敵な景色を見たりすることが好き。た、大切な人と素敵なものを共有できる時間が、好き……なの」
紅潮した彼女を見て、僕は自分の顔が熱くなるのを感じるとともに、身体には鳥肌が立っていた。
──私にとって、はる君と過ごした時間は、とても大切な思い出だったから。
彼女は再会して、そう僕に言った。
今の僕を見ても大切だと言ってくれたことが嬉しかった。
けれど、僕の中にあるトラウマが後ろめたさを生み、それを拒む自分がいた。
決して彼女にばれるわけにはいかない、思い出したくもない出来事。
桜花が秘密を僕に打ち明けてくれる時が来たとしても、口を閉ざすのだ。
それが誠実ではないとしても……
誰にだって秘密はあって、すべてをさらけ出している人間がどこにいるというのだろうか。
それに、すべてさらけ出すことが常に正しいとは限らない。
知らない方が幸せなんてことは多くある。
そう言い聞かせ、正当化している自分に対して思う。
なんて最低なんだ……と。
「私が楽しそうに見えたのは、そういうことだから……」
照れた様子で笑顔を浮かべる彼女の頬は、冬に咲く寒緋桜のように赤くなっていた。
そんな花のように可愛らしい彼女を見て、僕は胸にとげが刺さったような痛みを覚えた。
心を打ち、胸を温かくする花もいずれは散っていく。
花々たちが吹雪となって美しい景色を見せてくれるのだとしても、寂しさの種を芽吹かせ、心の奥底にしまった女々しさが顔を出すのだ。
そんな醜い感情なんて、消し去ってしまいたいというのに。
その後は、なんて言葉を返すべきかわからなくて、喫茶店に到着するまで僕たちは無言だった。
去年まではなかった隣に彼女がいるという状況に、居心地の良さを感じながら、この静かな時間をただただ噛みしめていた。
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