第3話 満開の花ー4

「確か小学5年生か、6年生の頃だった気がするんだけど、この辺を散策したことがあったんだけどさ。歩いてるうちに道に迷っちゃって。その時に偶然、下町を見つけたんだ。不幸中の幸いってやつだね」


 僕は桜花と再会したときに備えて、大広場自然公園近辺を散策したことがあった。


 季節は夏で茹だるような暑さの中、色々なお店や公共施設を見つけていたら、いつの間にか日は暮れ、僕は道に迷っていた。


 自分の足で歩いて見て回ろうと、大広場自然公園に自転車を駐輪場に置いてしまったのが、そもそもの始まりだった気がする。


 僕の幼い好奇心が裏目に出たのだ。


「ふふ、はる君らしい。でも、ちゃんとお家には帰れたの?」


 僕らしい、か。


 曇りそうになる思考を気取られないように、僕は笑顔を作る。


「うん、何とかね。夏だったから、喉が限界で喫茶店に寄ったんだけど」


「毎年行ってるって言ってたところ?」


「そう。そこの従業員の人が……」


 喫茶店の従業員の人の顔が頭に浮かび、言葉に詰まってしまった。


 僕の様子に対して、桜花が小首を傾げたので、急いで言葉をつなげる。


「あ……と、とても親切な人で! 出口を案内してくれたから、迷わずに帰れたんだ。しかも、その出口が公園の近くだったんだから、めちゃくちゃ驚いたよ」


 どこでどうやって下町に辿り着いたのかは、今でも覚えていない。


 下町の出入口はひとつではないし、直前まで見ていたであろう景色も記憶から抜け落ちている。


 見つけることができたのは、本当に奇跡だった。


 あの時、道に迷っていなかったら、おそらく一生かかっても見つけることはできなかっただろう。


 もちろん、そう思う理由はちゃんとある。


 下町までの道のりは複雑で、大広場自然公園からはまず目に入らないからだ。


 公園のすぐ傍にはショッピングモールがそびえ立ち、隣接するようにバッティングセンターがある。


 この周辺は、買い物の手段としてはもちろんのこと、アミューズメントとしても十分に満喫できるくらいに施設が充実している。


 そんな恵まれた街中で、幻のような下町へと辿り着ける人間は、ごくわずかだと僕は思う。


 バッティングセンターを出て、隣接するショッピングモールの前を通過し、駐車場を通って裏側へと回る。


 突き当りを左に奥まで進み、駐車場を抜けると、田んぼ道に出る。


 左右、正面に道があり、右に進んでいく。


 5分ほど歩くと、行き止まりのようにして緑のフェンスが設置されている。


 ほとんどの人がここで引き返すか、もしくはもっと手前で行き止まりと判断するだろう。


 それに、この周辺は田んぼしかないから、そうすることが自然だと言える。


 緑のフェンスを目を凝らして見てみると、1メートルほどの隙間が空いた箇所があり、そこには小さい石製の階段が下へと続いている。


「ここの階段を下れば、下町だよ。少し長いけど」


 もし桜花がヒールを履いていた場合、この場所を案内することはなかったけれど、幸いにもスニーカーだ。


 それに、彼女の体力は無尽蔵と言ってもいいぐらいだから、厳しくはないだろう。


「こんなところがあったなんて、知らなかった。なんだか、秘密の入り口みたい」


「ね。なんでも、知る人ぞ知る秘密の場所みたいだよ。喫茶店の人が言ってた」


 不安な僕の気を紛らわせるためか、従業員の人が途切れることなく、話をしてくれていたことを今でも覚えている。


 まあ、もともとその人が饒舌なだけだった、ということを後に知ったけれど、あの時はそれが僕にとっては救いだったのだ。


「そうなの? なんだかワクワクする」


 桜花は無邪気な笑顔を僕に向ける。


「踏み外さないように気を付けて」


「うん。ありがとう」


 階段を降りていくと、下町が見え始め、圧巻の景色が広がっている。


 見渡す限りでは少数の人しか見当たらず、博物館さながらの静けさだ。


 当時は別の出入り口からこの下町に迷い込んだため、感動する余裕はなかったけれど、翌年に改めて訪れた時には、言葉を失うほどの景観にしばらく立ち止まってしまった。


 何度かインターネットで下町を調べてみたことはあるが、なかなかヒットせず、見つかったのは敷地内にある喫茶店のホームページだけ。


 こんな美しい景色があるというのにもったいない。


 なんてことを勝手に思ってしまうものだ。


 そう言えば、あそこの桜の木もネットに載ってなかったっけ。


「わあ……知らなかったなあ。まさかこんなところに下町があったなんて」


「道もほぼ死角だし、階段もあんなところにあるから、まず見つからないよね」


「うん。小さい頃はよくこの辺に来ていたはずなのに、何だか悔しい。こんな素敵な場所を知ってるなんて、はる君すごい!」


「あ、ありがとう。喜んでもらえたみたいで、良かった」


 内心でガッツポーズをとる僕の顔は、自然と綻んでいた。


 下町には雑貨店や、飲食店、喫茶店などもあり、どれも和で飾られていて、江戸時代にタイムスリップしたような気持ちになる。


 あの桜の木がある場所もそうだが、本当に異世界のように感じてしまうほど、現実離れした空間に感じる。


 まあ、それもこれも絶景がそう感じさせているのだろう。


 僕はこの場所が好きだ。


 ここはゆっくりと時間が流れているような感じがして、普段から駆り立てられるような焦燥感を忘れることができる。


 もちろん、自分が抱えている問題から目を背けたいからじゃない。


 その抱えた問題と向き合うために。


 自身を俯瞰するために、こういう時間が大切なのだと僕は思う。


 桜花に視線を向けると、興味津々という様子で、辺りを見渡す彼女の瞳は銀河の星屑のように輝いていた。


 僕は普段、日が沈んだ時間帯にしかこの下町には来ないけれど、どんなものが売っているのかも、お店の詳しい外装もわかるくらいにこの場所を熟知していた。


 桜花に朧げだと言ったのは、彼女に一抹の不安を感じることなく、楽しんで欲しかったから──というのは建前で、本当は新鮮な気持ちを一緒に共有したかったからだ。


 何事も純粋に楽しめる彼女の気持ちを、少しでも多く知りたい。


 彼女の大きな瞳が映している景色を僕も見てみたい。


 僕と何が違うのか。


 この10年、ずっと見つからなかった答えを彼女は教えてくれる気がするのだ。


 それは何だか桜花を利用しているみたいで、罪悪感を抱かずにはいられない。


 そんなことを考えていると、桜花が口を開く。


「あ、マップがあるんだね!」


 マップ?


 桜花が歩み寄った先に僕も足を止める。


「本当だ。マップがある。それにパンフレットまで……」


 木製の看板で、横幅は2メートルぐらい。


 和のテイストを崩さないようにか、看板の上部には黒色の瓦屋根がついている。


 右側には下町内のマップが書かれており、お店には番号がそれぞれ振ってある。


 左側には、番号のお店の写真と簡単な説明が記されていた。


「去年来た時まではなかったのに」


「そうだったんだ? わかりやすく、みたいな感じで作られたのかな?」


「確かにそうかも。実際、あった方が便利だもんね」


 そう言って、僕はパンフレットをひとつ手に取る。


 何だかアミューズメントパークに来た気がして、毎年見ているはずの景色に新鮮さを加えた。


 パンフレットは下町の地図になっていて、店名や写真。


 簡易的にどのようなお店か書いてあり、看板とほとんど変わらないものだった。


 これを機に下町が人気になってくれたら嬉しい半面、この場所に静けさが失われてしまうのは、寂しいと感じる自分もいる。


 まあ、人を集めるということが目的で看板が設置されたのなら、宣伝活動とか、それ以前にやらなければならないことがある気がする。


 けれど、人に注目される理由なんて千差万別だから、見つけにくい場所だとしても、案外数年後には人で溢れているのかもしれない。


 桜花と肩を並べ、下町を歩く。


 隣接するような形で雑貨屋が並び、その向かい側には服屋や装飾屋がある。


 さらに奥に進んでいけば団子屋や肉まん屋、饅頭屋とたくさんの店が並び、とても充実した場所になっている。


「こんにちは!」


 桜花は、雑貨屋の年配の女性従業員に挨拶をする。


 和を意識しているからか、この下町のお店で働いている人の服装は和服だ。


 僕が和服を着たのは、七五三と幼稚園児の時の夏祭りぐらいだったと思う。


 どちらも小さい頃だし、着方も覚えていない。


 着物の着付け方法という本があるぐらいだから、僕が想像する難しさをはるかに超えてくるほどの高難易度なのだろう。


 それを始業前に済ませているのだから、本当にすごいことだと思う。


「はい、こんにちは~元気な挨拶ねぇ。ゆっくり見ていってねぇ」


 従業員の女性は、目じりを下げて笑顔で言った。


「ありがとうございます!」


 これは、桜花。


「あ、ありがとうございます」


 これは、僕。


 店内を見渡すと、和をモチーフとされた雑貨があり、湯呑や茶碗といった高級感を漂わせる陶芸品から、食器。


 他にもハンカチや小物なんかも並べられている。


「はる君、見て! こんなのがあるよ!」


 桜花は、可愛らしいウサギのキャラクターの顔をした、がま口財布を僕に見せる。


「がま口の財布」


「そう! かわいいよね。私、うさぎ好きなんだ」


「そうなの?」


「うん。幼稚園の時、うさぎの飼育小屋があって、よくエサあげをさせてもらったりしてたんだ! かわいかったな~。はる君は好きな動物とかいる?」


「好きな動物かぁ。好きな動物……う~ん。僕も、うさぎかな?」


 好きな動物は何かと言われて、すぐに回答できるほど、自分が好きな動物は何なのかを普段から考えることはなかった。


 思えば小学生の時にあった、自分の好きなものや特技を書いたりする自己紹介カードにも、好きな動物の欄を埋めるのに時間がかかった気がする。


 あの時はなんて書いたんだっけ。


 その場しのぎで、苦手意識のない動物の名前を言えば済む話なのに、真剣に考えてしまうのが昔からの僕の悪い癖だ。


 それに、深く考えても自分がどんな答えを出したかを覚えていないのは、本末転倒と言える。


「ほんと? やったぁ、一緒だ。かわいくていいよね!」


「うん。僕は小学校にうさぎの飼育小屋があってさ。ちっちゃい子どものうさぎを見た時は、この世のものとは思えない可愛さで、ずっと見てたのを覚えてる」


 いざ好きな動物になった理由を口に出してみると、何だかそれが真実のような気がしてくる。


 実際、うさぎを可愛いと思っているのは本当だから、嘘はついていない。


「わかるわかる! あの少し震えてるような感じがまた可愛いんだよねぇ。守りたくなるっていうか」


 動物のガマ口財布の隣には「見本」と書かれた万華鏡があり、桜花は手に取る。


「万華鏡! 久しぶりに見たな~」


 そう言って、彼女は右目で中を覗く。


 万華鏡の筒の先端付近をくるくると回して、控えめに驚きの声をあげている。


「うわぁ、すごい! うわ~」


 僕はその様子を真剣な表情で見ていた。


 桜花は万華鏡から目を離すと、僕に渡す。


「はい。はる君も覗いてみて! すごく綺麗だから」


 渡された万華鏡を見てみると、和で彩られた赤色の布がベースになっている円柱のものだ。


 持った感覚はなぜだか懐かしさを感じる手触りで、初めてという気はしなかった。


──万華鏡久しぶりにみたな~。

 

 彼女の言葉が頭の中で蘇り、ふと考える。


 万華鏡を見なくなったのはいつからだろうか、と。


 いや、きっとこれまでに見てきているのかもしれない。


 昨日か、1ヶ月前、1年前か。


 認識の問題なのだろう、きっと。


 万華鏡を手に取り、中を覗けば驚くことも、きっと感動することもわかってはいるのだが、わざわざ手に取ることはなくなった。


 覗いた先に映し出すものが、おおよそどんなものか想像ができてしまうからか。


 はたまた、子どもが見るものだからと、潜在的に思っているからなのか。


 たぶん、どれも正解なのだろうと思う。


 だが、僕の中で一番しっくりくる答えは、単純に買い物をする前に買いたいものを決めてから出かけるようになったから、だと思う。


 時間は有限で。


 そして、一番大事なのは自分の時間で。


 そうやって、自身を優先し続けるうちに効率を求めるようになる。


 そうしてできた浮いた時間を、代わり映えのない日常に溶かしていく。


 何を生み出すわけでもないというのに。


 この万華鏡もそうだ。

 

 今の僕の生活の中に、万華鏡を購入したいという思いなんてないけれど、触れる機会なんて腐るほどあったはずだというのに。


 自分中心で考えた効率化は独善的で、時に大切な創造性をも自ら欠乏させる。


 彼女のように、この時間にあるもの、事柄を純粋に楽しめたら……

 

 そう思って、僕も万華鏡の中を右目で覗いた。


 いくつものスパンコールやビーズたちが鏡が反射し合うことで、幻想的な世界を見せる。


 すごい……


 これは、桜か?


 ひとつ筒を回せば大きな桜の花になり、ひとつ回せば小さな花びらへと姿を変えて、異なる光を灯していく。

 

 そこに広がる美しい世界に、僕はあっという間に魅了されていた。


 個々が小さな欠片だったとしても、互いの長所を尊重し溶けあうことで、ひとつの景色を完成させた「万華鏡」という作品の良さを改めて知ることができた。


 次に僕たちは、髪飾りが置いてあるスペースに足を止めた。


 かんざしやヘアコーム、カチューシャ、シュシュなどもあり、何に使うのかよくわからないピアスのようなものまである。


「髪留めだ」


「本当だね。あ……」


 『重ね桜』と書かれたヘアピンのデザインに惹かれ、僕は目を留めた。


「綺麗~着物柄の生地なんだって!」


 と、桜花は僕が見ていたヘアピンを手に取った。


 何だか僕は嬉しくて、表情に出そうだったので、平静を装い、ヘアピンを観察する。


 ピンの部分は金色で、装飾は6枚の桜の花びらが2枚重なっており、前面は少し小さめの花びらだ。


 白桃色の花びらの中には、寒緋桜の花びらが小さく散りばめられている。


「本当だ。ああ、よく見ると生地の感じが。ざらざらした感じというか」


 ヘアピンの柄に夢中になってしまい、桜花の顔が近いことに気づかなかった。


 後ずさりしながら、謝る。


「ご、ごめん」


「ううん。ふふ」


「ん?」


「夢中になってるはる君を見たの久しぶりだな、と思って」


 いたずらな笑みを浮かべる彼女に、顔が熱くなる。


「珍しい柄だったし、綺麗だったからつい……」


 恥ずかしくて、目をそらしながら言った。


「そっかぁ……どうかな?」


 桜花はヘアピンを自身のきめ細かな髪に当てた。


 重ね桜と名付けられたヘアピンは、彼女の黒髪にとても似合っていて、桜花の優しい雰囲気にも、名前にもピッタリだと思った。


「……うん。とてもよく似合ってる、よ」


 ここで相手を正直に褒めないほど、僕はツンデレというやつではないし、人を褒めることに抵抗はない。


 ただ、正直に気持ちを伝えるというのは、恥ずかしさはあるし、勇気のいる行動でもある。


「良かった。はる君、お店の入り口の前で待っててくれるかな?」


「それはいいけど、どうしたの?」


「それは見てからのお楽しみということで。ね!」


「は、はあ……わかった。じゃあまた、入り口で」


 僕は桜花に背中を向け、店内を出る。


 お楽しみ、か。


 なんだろう。


 もしかして、僕の振る舞いが不快感を桜花に与えたのではないだろうか。


 やばい。


 だとしたらどうしよう……


 背中に嫌な汗が流れ始めた頃、桜花の声が後ろから聞こえてくる。


「お待たせ!」


 困惑した気持ちを悟られないように、振り返ると、桜花の頭に目線が行く。


「あ、さっきの……」


「えへへ。似合うって言ってくれたから、記念にと思って」


 桜花の前髪は、先ほど見ていたヘアピンで止められていた。


「なんだ、そういうことだったのか~」


 僕は思わず重くなっていた肩を下げ、気の抜けた声が出てしまった。


「ん?」


「ああ、ごめん。てっきり、桜花の気に障ることをしちゃったんじゃないかと思って」


「私はずっと楽しいよ? もしかして、はる君は楽しくなかった?」


「ううん、僕も楽しいよ。本当に」


 社交辞令なんかじゃない、心からの本心だった。


 本心?


 僕が?


 彼女と過ごした数時間で、再会するまで培ってきたはずの自分の心に、変化が生まれている気がする。


 これは悪いことじゃない。


 そのはずなのに、どうしてこんなにも違和感が絡みついて離れないのだろう。


「そっか。良かった!」


 桜花はにんまりと笑うと、手を後ろで組んで背中を向けながら、言葉を続ける。


「次のお店、行こっか」


 今一度、自分のあり方について考えたいが、時間が止まることはない。


──踏み出すことを諦めるんじゃねえぞ。


 たこ焼き屋のおじさんの声が頭の中で聞こえて、臆病な僕の背中を叩く。


「桜花。そのヘアピン、すごく似合ってる」


 普段の自分とは、違う道へと踏み出した僕の足は少し震えていたけれど、不思議と心に違和感はなかった。


 振り返った桜花の瞳は、驚いた様子を表している。


「ふふ。ありがとう!」


 そう言って、微笑んだ彼女の顔を見て、伝えて良かったと、心からそう思った。

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