第3話 満開の花─2
左手から彼女の体温を感じながら、人にぶつからないように、縦列を意識して歩く。
「うわ~、ここのアスレチック、懐かしい! 一緒に遊んだの覚えてる?」
手を繋いでいることに慣れてはいないけれど、僕の心に少しの余裕が生まれ、桜花の顔を見れるようにはなった。
彼女は目の中に星々を作りながら、僕を見ている。
アスレチックエリアに視線を向けると、多くの子どもたちが笑顔を浮かべながら、遊具で遊んでいる。
その姿が微笑ましく、そして、懐かしくて、僕は口角を少し上げていた。
「もちろん。どっちが先に頂上まで行けるかって、対決したよね。桜花の圧勝だったけど」
大広場自然公園のアスレチックは、ロープウェイを滑走するターザンロープや、ブランコ、ジグザクの平均台など、個々でも楽しめる遊具がたくさんある。
だが、大目玉は何といっても、頂上を目指すようにして、様々な遊具が設置されてできた、アスレチックの砦だ。
ネット登りやリングネット、落ちないように緑のネットがつけられた、つり橋渡りもある。
他にも小さなクライミングや、縦長の円柱形のドーム内に鉄はしごがあり、上に登ったりする名称のわからないものもあったりする。
充実した複数の遊具を楽しみながら、頂上まで目指すと、ローラーパイプの長距離滑り台が待ち受けている。
激しい音ともに、かなりの速さで風を切って滑走する瞬間は、爽快感があるし、ちょっとしたスリルも感じることができる。
おそらく、ほとんどの子どもたちが、この滑り台を滑るために、ついでで道中のアスレチックを遊んでいることだろう。
「ふふっ。私、運動神経はいいからね」
そう言って、彼女は綺麗な白い歯を見せて笑った。
いや、運動神経がいいという次元を越えてたよ。
と、心の中でツッコミを入れながら、当時のことを思い出す。
10年前、このアスレチックで遊んだ時も、彼女の運動神経には驚いたし、その凄さに圧倒されたが、それがどれほど人間の域を超えていたのかを、当時の僕はわかっていなかった。
運動を頑張れば、あるいは、成長して大人になれば、自分にもできるかもしれないとすら、思っていた。
10年の時が経った今、改めて彼女の身体能力を目にして、それは、この世界の人間が、頑張ったら辿り着ける領域ではないことを──桜花がこの世界の人間ではないことを、理解した。
「桜花は部活動とか、なんかスポーツやってたりしたの?」
僕はあくまで自然な流れで、先ほどから疑問だったことを質問した。
桜花は菖武の父親に学校を聞かれた時、県外の高校を口にしていた。
もし、桜花の言葉通りだったとしたら、小学校はもちろん、中学、高校と、学校に通っていたことになる。
僕は、かつて出会った赤い瞳の女性に、鬼が普段どこで生活をしているのかを聞いたことがあった。
その時、彼女は、鬼は普段地獄で生活をしていると、言った。
彼女たちが、僕たちの住む世界──人間界と呼ぶのであろう、場所に行き来することは可能なのかもしれないが、僕と桜花が再会するのに、10年かかったように、おじさんが今もなお待ち続けているように、再び人間界を訪れるには、長い期間が必要になるのだろう。
なら、高校に通っていたのは嘘なのか?
でも、魔法で通ってたことにすることもできるかもしれないが、魔法が使える時点で、そんなことをする必要性は感じられない。
だって、そうだろう。
短期的どころか、1日しか滞在できないというのに、学歴もキャリアも魔法が使える者にとっては、意味があるとは思えない。
僕の思考が、深くまで掘り進む前に、彼女が言葉で遮断してくれた。
「あ~、ううん。特には……何もやってこなかったかなぁ。あはは……はる君は?」
「僕も同じだけど、桜花の運動神経なら、運動部とか、スポーツクラブとかで絶対活躍できそうなのに」
「ムリムリ! 無理だよ、私には。それに私は……見てる側の方が似合ってるから……」
彼女の何かを諦めたような笑みが、かつて同じ表情をした、赤色の瞳をした女性と重なって見えて、僕は何も言えなかった。
──わたし、も、会いたい人、が、いるけれど、難しい、から……。
見ている側……か。
赤色の瞳をした女性の言葉を脳内で再生しながら、桜花の言葉を咀嚼する。
「はる君は、どうして部活動やらなかったの?」
「う~ん。特に入りたい部活もなかったのもあるけど、元々決めてたんだ。高校入ったら、部活は入らずにアルバイトするって」
「そうなの?」
「大学に入ったら、1人暮らししたかったからさ。そのために貯金をしようと思ってて」
本当のことは話さない方がいいだろうと迷ったけれど、菖武の父親に僕の家庭事情を話してしまったから、今更隠す方が不自然だろう。
子どもたちで賑わっていたアスレチックエリアを抜け、緑の芝でできた大広場を横目に、僕は言葉を続ける。
「学費のこともその時は視野にあったから、余計にね。変だよね、将来何をやりたいかなんて決まってもいないのに、進学を想定してるなんて」
「変なんかじゃないよ! むしろすごいと思う。みんな進学して一息ついてるところを、はる君は先のことを考えてたってことでしょう?」
「いやいや、そんな褒められたものじゃないよ。僕が考えてたのは、進学のことよりも、あの家を出ることだけだったから。他の人よりも酷いくらい視野が狭かったと思うよ」
「そんなこと──」
突然、僕たちの前に黄色のカラーボールが転がってきて、僕の足にぶつかり止まった。
「あ! すみません!」
声が聞こえてきたのは、大広場からで、30代くらいの男性が息を切らしながら、駆け足でこちらに向かってくる。
男性の後ろ側には、子どもと奥さんらしき人が立っていて、彼が父親であることを理解する。
男性は茶色のグローブを左手に付けているし、奥にいる子どもと奥さんもグローブらしきものを付けている様子だ。
ということは、3人でキャッチボールをしていて、お子さんか、奥さんが暴投をしたのだろう。
大広場前は、アスレチックエリアほど人はいない。
周囲にぶつからないかどうかを確認してから、僕は言う。
「だ、大丈夫です! 投げますね!」
普段、アルバイトでも滅多に出すことはない大声で、返答する。
久しぶりに出した自分の大声が、どんな声をしていたのかを思い出した。
立ち止まった男性の姿を確認して、僕は返球するためにボールを右手で拾う。
「ごめん、桜花。僕、左利きで……」
「え? あ、ああ! ごめんなさい。はい」
桜花の手が離れ、僕はボールを左手に持ち替える。
離れた僕の左手は自分の想像ほどではなかったけれど、やはり手汗をかいていた。
心の中で桜花に謝罪をしたのと同時に、気持ち悪がられたのではないかという恥ずかしい気持ちを消すように、お父さんの方へと投げる。
何度も1人で軟球で壁あてはしてきたから、割と投球には自信はあったのだが、思いのほか飛ぶことはなかった。
ノーバウンドで届かせるつもりで投げたボールは、大きな放物線を描き、僕と男性の真ん中ぐらいで、1バウンド、少し奥で2バウンド。
彼の元に届く頃には勢いは完全に死んで、ゴロというよりもコロと呼ぶ方がしっくりくるくらいだった。
軟球とカラーボールの細かな重量の違いはわからないけれど、その差は明瞭だった。
まあ、彼らにボールを無事に渡すことができたのだから、良しとしよう。
と、自分を納得させた。
「ありがとうございまーす!」
お父さんの感謝の言葉に僕たち2人はお辞儀で返し、また歩き出した。
「はる君、投げるフォームがすごい綺麗だったね!」
「あ、ありがとう」
彼女の温かいフォローに、心からの感謝を伝えた。
「私のお父さんとお母さん、野球好きでね、キャッチボールとかよくやってたんだけど、私、投げるフォームが全然だめだったんだよね。何回も教えてもらったのに。だから、すごいなって」
そんなことはない。
人間の身体は物を投げるように作られているわけではないから、何も知らない状態で投げれば、投球フォームが変になってしまうのは、詮無いことだ。
それに、野球のフォームだって、人体の構造上は理にかなっている無駄のないものだとしても、すべての投げる動作において、それが正解とは限らないのだから。
「野球の本に投げ方が描いてあって、それを真似して、何度も練習してできるようになったから、桜花もできるようになるよ。桜花、僕よりも運動神経めちゃくちゃ良いから」
自分ができたから、他の人にもできるなんて傲慢な考えだと思うけれど、こと投球フォームに関してはそう思う。
というのも、それを裏付けるだけの運動神経が、彼女にはあるのだから。
「そうかなぁ。ふふ、そうだといいな。ありがとう」
彼女は、上品に笑って言うと、今度は嬉しそうに微笑んだ。
「なんか、キャッチボールやりたくなっちゃうね」
「そうだね……あ。キャッチボールじゃないけど、バッティングセンターならすぐ近くにあるよ」
「え! 行きたい!」
彼女が乗り気で、僕は安心する。
「おっけー。公園出て、少し歩けば着くから、行こう」
「やったー! でも、バッティングセンターなんて、近くにあったんだね? 私、知らなかった」
「うん。2年前ぐらいだったかな? 新しくできたんだ。1回だけ行ったことあるけど、投げる映像があって感動した」
「え? 今、そんなのがあるの?」
「バッティングセンターによっては、プロ野球選手が投げる映像もあるみたいだよ」
と、僕たちはようやく雑談らしい会話をしながら、近くにあるバッティングセンターへと向かった。
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