第1話 再会を願う花─2

 10年の時が経った今でも、僕はおじさんとの約束を果たせていないままだ。


 あの頃から僕には2人の友達ができた。


 そのうちのひとりとは、友達だったという表現が正しいだろう。


 親しさで比べたのなら、間違いなく一番で、僕の18年間の人生における初めての親友だった。


 今どこでどうしているのかも知らないし、知りたいとも僕は思っていない。喧嘩別れというと語弊があるし、一言で片づけられるような話でもない。


 ただ、僕はこの人生で、その相手ともう二度と会いたくないと思っていることだけは、確かだ。


 そして、もう一人の友達というのが、今日僕がここで待っている相手だ。


 名前は春野桜花(はるの おうか)。


 年齢は僕と同じで、18歳だ。


 そんな彼女と僕は、10年前にこの場所で会い、必ずまたここで会おうと、別れ際に約束をした。


 いつになるかわからない、また会える確証もない約束を。


 あの時、彼女は遠くに引っ越しをするのだと言っていた。どこかは訊いていないけれど、彼女の様子から、県外ではあるのだろう。


 そうなったら、再会することは難しい。


 連絡を取れる手段はないものかと、子どもながらに考え、電話や手紙でのやり取りはどうかと提案をしたけれど、桜花の家は電話もなく、引っ越し先の家もまだ未定だからわからない、とのことだった。


 僕の家にも固定電話はなく、あるのは母親の携帯電話だけなので、電話での連絡は不可能だ。


 残る手段は僕の住所を桜花に教えて、手紙を送ってもらうしかない。


 しかし、その提案に彼女は弱々しく首を振って、大きな瞳に涙を目一杯溜め、震える唇で「約束をしよう?」と言った。


──必ずここに戻ってくるから。と。


 その言葉通りに桜花が戻って来た時、どうすれば僕らが再会を果たすことができるのか。


 学生なら春休みの期間がある。


 もしかしたら、学校が始まる日付それぞれに多少の前後はあるかもしないけれど、少なくとも3月25日〜3月29日の間は、まだ春休み中のはずだ。


 だが、僕らが社会人になったらどうだろうか?


 当時の僕らが社会人のことなど詳しいはずはないけれど、身近にいる大人たちの休みが、僕たち子どもと、同じではないことはなんとなく知っていた。


 たとえ、奇跡的に業種が一緒になったとしても、同じ日に休日が重なるとは限らない。


 そうなったら、お互いがここに来れたとしても、及ばぬ鯉の滝登りになりかねない。


 そこで、僕たちが会った3月27日ーーさくらの日を約束の日にすることにした。


 僕の名前は『はる』で、彼女の名前は『桜花』。


 出会った季節も名前すらも、偶然にも春が関係している僕たちにとって、さくらの日はとてもぴったりな日付だと思った。


 

 その約束をしてから10年。結局、今日まで僕と彼女が会うことは、1度もなかった。


 そもそも、子どもの頃にした約束なんて、時が経つにつれ、お互いに忘れていくものであることはわかっている。


 僕が今日まで様々な場所で色々な経験をしてきたように、彼女にも今日まで生きた経験と時間がある。


 もしかしたら、桜花の生活は僕とは対照的に、とても充実していて、多忙な日々を過ごしているのかもしれない。


 それならそれで、僕は構わないと思っている。


 唯一の友達の幸せを願わないわけがない。


 交わした約束を一方的に僕が守っているだけで、永遠に果たされることはなくてもいいんだ。


 また会えることを信じているのは事実だけれど、4割──いや、5割はもう諦めているのが正直なところだった。

 

 ここへ来る理由だって、約束の方が建前に成りつつあり、もはや、ここの魅了的で幻想的な景色を見に来ていると言っても過言ではない。


 だが、再会を願う、残りの5割を捨てきれないからこそ、過去の約束に囚われているのだろう。


 そんな自分に心底呆れるし、冷静に自分を客観視して見ると、気持ち悪い奴だと思われても仕方がないとすら、思う。


 いや、違うか。


 本当は、もう気づいていた。


 僕は、彼女と再会することを望んではいないのではないのか、ということに。


 彼女と過ごした過去があって、綺麗な思い出として残った約束がある。


 僕はその事実に救われていたのだ。


 自身の目に映る世知辛い日常に、唯一、希望を持つことができる時間だったから。 


 何が、おじさんとの約束を果たしたい、だよ。


 彼女と再会を果たす想像は今までに何度もしたけれど、それは夢で見るよりもおぼろげで、空に浮かぶ雲のように、形がはっきりしていないものだった。


 何だよ……


 とっくに諦めてたんじゃないか……


 そんな最低な自分に対して、自嘲のため息をこぼすと、いつもなら起こるはずのない違和感が、僕の右肩を襲う。


 決して強くない力。


 むしろ弱々しい。

 

 反射的に肩が上がったと同時に、瞬間的に肩をつつかれたのだと理解した。


 自動車なんかに轢かれる瞬間がスローモーションに感じるなんて言う話を聞くけれど、どうやらそれは本当らしい。轢かれてはいないけれど。


 高速で頭の中の情報が回っているのだろうか。


 きっと、調べれば専門的な人が研究した結果が出てくるのだろうけれど、今はそんなことはどうでもいい。


 そんなどうでもいいことを考えられるくらいには、時間の流れが遅く感じた。


 肩をつつかれるリズムなんて、人によって大きな違いがあるものでもない。


 けれど、根拠もないのに、僕は頭の中に浮かぶ人物が肩をつついたのだと、確信している。


 捨てることに慣れた期待と、薄れかけていた希望への願いを再び取り戻し、ベンチから立ち上がって、ゆっくりと振り返る。


 長い黒髪。


 その容姿からは、古い記憶の中で止まったまま、成長することのなかった少女を訪仏とさせる。


「あの、あんまりまじまじ見られると、恥ずかしい、です」


 そう言って、彼女は頬を桜色に染めながら、はにかむようにして笑った。

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