サイダーのアイス

そら

サイダーのアイス

7月上旬の蒸し暑い朝、セミがうるさく鳴く緑道を抜けて、開店準備を始める商店街を抜けて、車が行き交う大通りを横切って、やっとの事で楽園にたどり着いた。

「はぁーー!クーラー最高〜!!」

私、山本 花はドアを開くや否や周りの視線も気にせず大きな声を出した。

頑張って歩いてきてから入る涼しい教室は、まるで楽園のようだった。

1番奥の1番後ろの席に座って一息付く。

「うわ…最悪、汗で脇透けてんだけど。」

呟きながらシャツをパタパタと動かす。

家を出た時からずっと右手に持っていたハンディファンを当てても乾きそうになかった。

諦めて教室の中を見回すと、黒板にいくつかの大学の名前が書いてあった。

「そう言えば今日進路の話されるためだけに学校来たんだった……」

ため息をついて下を向く。

心の中であの汗にまみれた苦労の徒歩20分を返してくれと思った。


私は特に進路は決めていない。

やりたいことも無いし、家が商売をやっている訳でも無い。

この辺は田舎で、東京に行かないと大きな大学はない。だから大体の高校生がそのまま近くで就職する。

私もそれでいいと思っていた。


ドアが開く音で教室が静まる。

担任は予想通りすぐに進路の話を始めた。

「やりたいことが無くても大学に行けば選択肢の幅が広がるんだぞ」

耳にタコができるほど聞いたセリフを右から左に聞き流して窓の外を見つめる。

外では進路なんてまだ気にしてもいない1年生が体育をやっていた。

こんな暑い日に可哀想と思いながらも、気楽でいいなとも思った。


「花!」

ぼーっと外を眺めていると聞き覚えのある声が聞こえた。

顔を上げると頬をふくらませて怒ったようなみっちゃんが居た。

授業はいつのまにか終わっていたようで、帰り始めている子もちらほらといた。

「ちょっとぼーっとしすぎ!進路の説明聞いてなかったんでしょ?」

母親のように叱ってくるみっちゃんは幼稚園からの幼なじみだ。

可愛いと言うより綺麗という言葉が似合うような子で、私が男だったら確実に惚れてるな、とよく思う。

「花はどこ行くとか考えてるの?」

「まぁ…普通に就職でいいかなって思ってる」

何気なく聞いてくるみっちゃんだったけれど、進路のことを考えるのなんてもうんざりだった。

学校でも家でもちゃんと将来について考えろと言われる。

「花も大学行こうよ〜」

呑気にそう言うみっちゃんは音楽学校に進学することをもう既に決めている。

やりたいことが無い私には、先のことなんて今から考えられないんだよ、そんな言葉を心の奥に閉じ込めた。

「私は…いいかな、勉強めんどくさいし。」

いつもの言い訳を使ってヘラっと笑った。

「でも大学行ったら就職だって楽になるし、やりたいことも見つかるかもしれないじゃん?」

いつもならこれで話は終わるのに、今日はにこにこしながら食い下がってきた。

普通の私は普通に就職するのがいいと思ってるのに、考えろって言われたから考えてそう決めたのに。

親が、先生が、友達が、この現代の社会がそれを許してくれない。

「みっちゃんはいいよね!もうやりたいことが決まってるんだもん。私の気持ちなんてわかんないよねっ!!」

気づいた時には言葉が出てしまっていた。

さっきまで目の前でなよなよと動いていたみっちゃんの動きが止まった。

恐る恐る顔を上げるとみっちゃんはショックを受けたような顔をしていた。

「ち、違うの、!そういうことが言いたかったんじゃなくて……その……」

誤魔化そうと一生懸命手を振る。

ごにょごにょと言い訳を並べていると、その言葉を遮ってみっちゃんが言った。

「今日は…先帰るね。」

みっちゃんは力なく笑ってそのまま鞄を持って教室を出て行ってしまった。


傷つけてしまったショックと後悔でしばらく立ち上がることが出来なかった。

帰ろうと荷物をまとめ始めた頃には教室はガランとしていて、授業終わりに6を指していたはずの時計の長い針は12のところで重なっていた。

食欲も湧かず、母親にLINEでご飯要らないとだけ送り、スマホをポケットに入れて教室を出た。


外は朝よりもさらに暑く、日差しが今の私の心をさらに痛めつける。

ボソボソと後悔を呟きながら歩いていると、ふと商店街のお店が目に入った。

吸い込まれるようにスライド式のドアを開けると、ガガガガっと錆び付いたような音がした。

「いらっしゃい」

生ぬるい店内に入ると、優しい表情をした懐かしいおばちゃんが座っていた。

「おばちゃん、サイダーのアイス1つちょうだい。」

昔は毎日のように食べていたサイダーのアイス。高校生になってから全く食べなくなってしまった。

「はい、150円ね」

お金と交換して受け取ったアイスは思ったより冷たくて手が驚く。

おばちゃんに会釈をして店の外に出て、古びたベンチに恐る恐る座った。

溶けないように急いで封を開け、アイスを取り出した。

変わらない偽物っぽい水色に少し笑ってしまった。

「花ちゃん?」

食べようと口を開けた時自分の名前が呼ばれて顔を上げた。

「やっぱり花ちゃんだ!」

そう言って近づいてきたのは見知らぬ金髪の男だった。

私の名前を知っているのだから知り合いなんだろうけど、こんな年上の男なんて……と、自分の記憶を辿りながら目の前の男を見つめる。

「アイス、溶けるよ?」

そう首を傾げる素振りが昔の記憶と重なった。

「……コウくん、?!」

驚いて立ち上がると汗と一緒に溶けたアイスが足に垂れた。

「待って、今食べるから!」

思いがけぬ再会に、焦ってアイスを3口で完食する。

「痛〜!キーンって来た…………」

ズキズキする頭を擦りながらコウくんの方を見る。

「あはは、やっぱ花ちゃんは変わらないな〜」

コウくんはケラケラと笑っているけれど、私は最後に見た時よりも奇抜になっているコウくんの姿に驚きを隠せなかった。

コウくんは私の隣の家に住んでいたいわゆる近所のお兄さんで、私の初恋の人でもあった。

昔、可愛い彼女を連れて歩くコウくんを見て、かっこいい人の隣には可愛い子が居るんだと幼いながらに悟り、初めての失恋を経験したのだった。

コウくんが高校生になってから会っていなかったから、こうやってちゃんと話すのは4年振りくらいだ。

「コウくん、今帰ってきてるの?」

「そう。お盆は帰れそうになかったから早めの夏休み。」

コウくんは東京で一人暮らし中の大学1年生。

コウくん家のおばちゃんに聞いた話だと、忙しくて全然帰ってきていないらしい。

「花ちゃんも高校2年生か〜進路とかは決めたの?」

あぁ、またこの話。気疲れしつつ頷く。

「就職でいいかな〜って思ってる。」

そう言うとコウくんはそっか、と言いながら私の隣に座った。

「大学に行くって選択肢は全く無いんだ」

「うん、勉強めんどくさいし。」

いつものように言い慣れた言葉で話を早く終わらせようとする。

「でもそれってさ、逃げてるだけじゃないの?」

優しい声で言われた言葉にどきんっと心臓が揺れて咄嗟に立ち上がった。

ギィッというベンチの音にはっとなり、また座り込んで下を向いた。

完全に図星だった。

静かに笑うコウくんを横目で見て少し恥ずかしくなる。

私は逃げていただけなんだと、心の中にあったわだかまりが解けたような、そんな気がした。


私は昔から新しいことに挑戦するのが苦手だった。

「せっかく高校生になったんだし、なんか新しい部活入りたいじゃん?」

そう言って吹奏楽部に入ったみっちゃんが私にはかっこよく見えた。

新しい世界になんの迷いもなく飛び込んでいけるみっちゃんが羨ましかった。

それに比べて辞めたり、諦めたりするのは簡単だった。

「バレーにはもう飽きたし、高校は部活入らないでいいや」

「どうせ私は勉強なんてできないし」

「私は普通だから」

いくつもの選択肢を何度も捨て、何度も楽な方を選んできた。

失敗するのが怖くて、普通じゃないことが嫌だった。


「俺もさ、高2の時は就職でいいと思ってたんだ。」

考え込んでいるとコウくんが昔を思い出すように話し始めた。

「自分のことなんの取り柄もないと思ってて、やりたいこともなくて。でもある日見たポスターで変わったんだ。そのポスターは今行ってる大学のポスターだったんだけどさ、人の心が読めるようになるって書いてあったんだよ。なんでか分かんないけどすごいそれに惹かれて、大学見に行ったんだ。そしたらもうみんなキラキラしててさ、かっこいい大人って感じだった。それで俺もこんな風になりたいって思っちゃったんだよね。それに今考えるとさ、俺小さい頃、人の心読むとか、超能力とか大好きで、よく本を読み漁ってたなって思い出したんだ。だから、花ちゃんも何か、見つけてみなよ。」

大学のことを話すコウくんはすごく楽しそうで、前に会った時より表情が輝いている気がした。

そんな些細なことからでいいんだ。

少し、心が軽くなったように感じた。

『…………私にも、やりたいこと見つかるかな?』

「まだ高校2年生だもん、時間は沢山あるじゃん!」

コウくんに言われたら、何だかできる気がしてきた。

『…やれるだけやってみることにする!コウくんありがとう、!』

私がそう言うと、コウくんは優しく頷いて、人を待たせてるからと行ってしまった。


帰ってお母さんにちゃんと話さないと。

それからみっちゃんにも謝らなきゃ。

そう考えながら、自然と上がる口角を抑え、カバンを持って軽やかに走り出した。

今ならこの強い日差しも自分の味方で居てくれる気がした。

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サイダーのアイス そら @Sora_387

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