棚倉城落城(2)

 だが、少年たちの気を落とすような出来事はさらに続いた。

 二十九日、西軍は早暁の霧に乗じて逢隈川を渡り、川原田の二本松陣営を襲った。ここで、またしても二本松隊は大敗したと記録されている。(高根三右衛門、土屋甚右衛門、斎藤喜兵衛の諸隊)。丹羽右近、奥野彦兵衛、澤崎金右衛門の諸隊が関和久に滞陣していたため、ここで諸隊は合流し、須賀川まで退却。この戦いでは銃士南部権之丞、渡邊新助、軍医桐生玄貫が戦死した。次いで丹羽丹波(軍事総裁)の部下は須賀川に、土屋、高根、斎藤の諸隊は矢吹に、丹羽(右近)、奥野、澤崎の諸隊は小作田に退いたと記録されている。

 この日、さらに白河城の奪還を図るための軍議が開かれた。この席に出席するために、丹羽丹波や大谷鳴海などは小田川の陣営に赴いた。仙台の泉田志摩、増田歴治、会津の辰野源左衛門などを始め、各藩の参謀らが集っている。

「棚倉は既に落ち、白河から東海岸に至るまでの間は、西軍が充満している。かつ七曲の胸壁は白河からの距離はわずか二十丁。我が方の機密が漏れる恐れがあるだけでなく、守山や三春は阿武隈川を隔てており、あてにならない。いっそ、七曲・小田川・矢吹の三箇所を捨て、須賀川を本陣として時機を待って進撃しようではないか」

 そう言い出したのは、仙台の軍監、増田だった。

(信じられん)

 鳴海は思わず増田を睨みつけた。案の定、仙台藩からも反対の声が上がった。

「太田川は既に敵に焼かれた。そのため、小田川の人は毎夜篝火を炊き、或いは哨兵を出して我が軍のために尽くしてくれている。今これを捨てるのはよろしくない。かつ、兵は進むべきものであり、退くものではない」

 反論を述べたのは、同じ仙台藩の大松沢掃部之輔である。

「そういえば」

 増田が、二本松の面々にちらりと視線を投げかけた。

「二本松の奥方は、大垣の出でしたな」

 確かに、長国公の夫人、久子様は大垣の姫君である。その大垣は、譜代の家柄にも関わらず、西軍に与していた。だが、大垣から降伏勧告の使者が来たという話は、聞こえてこない。

「二本松は、密かに西軍と通じているのではあるまいか。二本松が敗北を重ねているのが、何より怪しまれるところであろう」

 とんでもない言いがかりである。刹那、二本松の面々は色めき立った。敗北を重ねているのは、仙台も同じではないか。

 増田の暴言を否定したのは、やはり仙台の氏家兵庫だった。涙を流して怒りを見せている。

「なるほど、数ヶ月の長きにわたって我が軍は白河で勝てないでいる。勢い振るわず、棚倉は陥落し、人心は沮喪させられている。今またこれを捨て、遠く須賀川に退けば、人心は同盟から離れ、同盟諸藩の危機につながるだろう。このまま兵を進めれば勢いを得て、退けば勢いを失う。一旦失ったものを回復することは、甚だ難しい。公がおっしゃっていたではないか。何が何でも白河を守れと」

 だが、増田は遂に撤退論を取り下げなかった。そして、その日の夜、諸将に何も告げずに、自分の兵らを引き揚げさせた。


 二本松にいる少年たちが一番衝撃を受けたのは、敬学館の教授である渡邊新助の死亡だった。三十代とまだまだ若く、時には家老首座である丹羽丹波にも直言を辞さない熱血漢であり、生徒の間では人気が高かったのだ。聞くところによると、先生は川を挟んで対峙していた西軍に備えて、僚友の南部権之丞と共に哨戒の任に当たっていたという。そこへ、突然松林の中から一斉に砲撃され、一部の仙台藩兵が慌てふためいて逃走した。それに釣られて二本松兵も浮足立って逃げようとした際に、医師の桐生玄貫も含めて三人が犠牲になったという。

 まるで、烏合の衆ではないか。漏れ伝えてくる所によると、仙台兵の一部は、一方的に白河からの引き揚げを宣言したという。

 少年たちは仙台兵の不甲斐なさに怒り、先生の死に涙を流した。

 

 二本松城下に先生の遺骸が運び込まれ、木村道場の一同は再び銃太郎に連れられて、弔問に向かった。

 厳粛な場であるから、誰も、いつものようにはしゃいだりしない。だが、どの少年もやり場のない怒りの炎を、胸中で燻ぶらせていた。

 銃太郎も、何か思うところがあったのだろう。

「先生、やはりお願いします。我々の出陣を、御家老方にお取次ぎください」

 懲りずに、少年一同を代表して、再び虎治が十太郎に懇願した。

「……分かった。私からもお願いしてみよう」

 重々しく銃太郎が頷いた。

「やったー!」

「先生、ありがとうございます!」 

 口々に少年たちが叫んで、銃太郎を囲んだ。

 だが、銃太郎はそう簡単には、出陣許可は下りないだろうと思っていた。恐らく、この子たちに出陣命令が降りるときは、藩の最後のときであろう。それまでは、我々大人の手で二本松を守らねばならぬ。

 先立つ十七日には、世嗣であった五郎君も病を得て薨去していた。城代の内藤四郎兵衛は、若君の枕辺に伏して慟哭したという。今、殿には跡継ぎもいらっしゃらない。考えるだけでも恐ろしいが、もしも殿が城を枕にして亡くなられ、この子たちを死なせるようなことがあっては、二本松が亡びてしまうだろう。


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