邂逅 (2)

 近江屋に着くと、磐根は自分より遥かに年上だという見栄もあってか、気前良くもてなしてくれた。剛介が席に着くや否や、給仕を呼んで幾つか料理を注文した。四年前までは、磐根自身も若松に役人として住んでいたのだという。官職を辞して今は二本松に戻っているが、今日はたまたま、会津にいた頃の朋輩を訪ねてきたのだということだった。

 旅館の女中に酒と肴を運ばせ、剛介の前に置く。

「それにしても、お主も酒が飲めるような年になったか」

 自分で酒を勧めているくせに、磐根はそう言って笑った。

「あれから八年も経ちます」

 剛介は、神妙に盃を受けながら言った。

「そうだな。壮蔵より一つ下だったな」

 剛介と壮蔵はほぼ同じ年であるから、当然酒も飲める。しかも義父に鍛えられて、剛介も時折義父の晩酌に付き合うこともある。

 酒を酌み交わして知ったのだが、果たして、磐根は父の同僚であった安部井又之丞の惣領息子だった。数えてみれば、剛介を会津に導いてくれた大谷鳴海よりも一つ上の四十五だという。剛介の兄の達は、あの時は二十三歳だった。達はようやく登城を許されるようになったばかりだったが、父親同士が親しかった関係で、磐根は自分より年下である達も見知っていたとのことだった。

 あの戊辰の役の時、磐根自身は仙台や白石の地にあって丹羽一学や新十郎の補佐役を務め、他の諸藩との折衝に当っていた。だが、藩の危急を聞いて一足先に帰国した一学や新十郎は、連絡役として磐根を白石に残した。そして七月二十九日の二本松落城の知らせが白石に届くと、そのまま仙台藩に身柄を拘束された。二本松が裏切ったという誤報が仙台に伝わり、間諜を疑われて幽閉され、帰藩出来なかったというのである。

 結局幽閉が解かれたのは、会津が降伏してからだった。

 話は、自ずとあの忌まわしい日のことになった。

「では、又之丞様は……」

 恐る恐る訊ねた剛介の問いに、磐根は辛そうに頷いた。

「父は本丸にて、弘道様(丹羽和左衛門)と共に自刃なされた」

「……」

 剛介は、掛ける言葉が見つからなかった。又之丞もまた、家族を失っていたのか。

「だが、お主はなぜ二本松に帰らぬ」

 やや、咎めるように磐根が言った。

「ですが……」

 自分を待つ人など、いるものか。

 そんな剛介の思いを見透かしたように、磐根が思いがけぬ言葉を吐いた。

「お父上も、達殿も息災だというのに」

 口に運ぼうとした盃が、手から滑り落ちた。

(まさか)

「まことでございますか?」

「嘘をついてどうする」

 磐根は笑いながら言った。

「私も詳細は知らぬが、確か下長折の知行地に住まわれているはずだ。二本松の役場の者に訊けば、どこに住んでいるかも分かるだろう」

 剛介の体が震えた。戦死したと思い込んでいた父や兄が生きている。もしかしたら、母も一緒かもしれない。

 出来ることならば、会いたい。だが……。

「二本松には、帰れません」

「なぜだ」

 磐根が目を見開いた。

「とうに死んだものと思い、八年もの間、行方を探そうとしなかったのです。今更、どうして合わせる顔がありましょう」

 剛介の膝の上の拳が震えた。

 そんな剛介を、磐根が静かに見つめた。すっと沈黙が流れる。

 気まずそうに、磐根が酒を啜った。

「……ま、分からんでもないがな」

 剛介も、それ以上つなぐ言葉が見つからない。今の自分は、会津の人間だ。二本松の死霊が蘇って良いものやら、迷いがある、

「だがな、剛介。お主の家の者は皆、無事に生き延びたのだ。会えるものなら会っておいた方が良いのではないか?どこにあっても、我が子はかわゆいものだぞ」

 磐根の言葉は、剛介の心を抉った。先年生まれたばかりの貞信に、思いを馳せてみる。貞信が生きているのに何らかの事情で自分に会おうとしなかったのならば、身を引き裂かれるような心地がするのではないか。

「ですが……」

 なおも言を重ねようとする剛介を、磐根が制した。

「私の父は、城が落ちる前の日に、法輪寺ほうりんじへ詣でたそうだ」

 話の行方が分からずに、剛介は戸惑った。磐根は構わずに、話を続ける。

「父は、早くから二本松に西軍がやってくることを予感していた。二十八日は既に覚悟を決められていて、祖廟に今生の暇を告げに法輪寺を訪われたのだろうな。

 その時に、何をされたと思う?

 ただ祖廟に別れを告げただけでなく、和尚に頼み事をしていったのだ。私が四年かけて書き写した古事記伝四十六巻を文箱に入れて、寺の宝物庫に預けていった。息子の苦作を灰燼に帰してはならぬと申してな」

 いつしか、磐根の目には涙が浮かんでいた。

「親心とは、そのようなものであろうよ」

「その古事記伝は、どうなったのですか?」

 たまらずに、剛介は磐根に訊ねた。

「翌日には薩摩兵が来て宝物庫を封印していったが、さらにその翌日隊長らしき男が封印を解いたそうな。だが、父の思いを汲み取った隊長は、和尚に他人の手に渡さぬように然と言いつけて、そのまま私の手許に帰ってきた」

 今や、磐根の目は真っ赤である。

「できるものならば、その隊長を探し出して礼を言いたいのだがな」

 鬼のようだと思っていた薩摩にも、人の情を解する者がいたのか。

「すまぬ。お主の話だったな」

 鼻をすすりながら、磐根は笑顔を取り戻した。

「親の心とはそのようなものだろう。悪いことは言わぬ。この先会津に留まるかどうかはさておき、一度、半左衛門様たちのところに顔を出せ。半左衛門様や達殿は、今のお主であっても、きっと分かってくださる」


 名残惜しかったが、剛介は暇を告げて磐根の元を辞し、家へ戻った。

 月明かりが煌々と照らす家までの道中、一つの事実が頭の中を支配していた。

 家族は、全員無事だった。父の半左衛門も、兄の達も。きっと、母も。

 小浜組の下長折に武谷家の知行地があったのは、うっすらと知っていた。だが、ずっと城下住まいだったために、知行地に避難している可能性を失念していたのである。あれから八年。二本松町に問い合わせれば、詳しいことがわかるだろう。

「悩みごとかな?」

 不意に、義父が声をかけてくれた。実父とは違うタイプだが、この義父も敏い人である。帰宅した剛介の様子が、いつもと異なるのに、すぐに気がついたに違いない。

「実は……」

 剛介は、故郷の者との邂逅の内容を打ち明けた。そして、どうやら実親や兄が健在であるらしいと伝えると、清尚の表情が動いた。

「そうか」

 清尚は、深く頷いた。


 いつかは、この日がやってくる気がしていた。二本松の若木を返すときが。戊辰の役の折に二本松から預かった種は立派に芽吹き、何処へ出しても恥じぬ若木に成長してくれたと思う。

「磐根殿が申される通りだ」

 清尚がきっぱりと言った。

 若松県の役人の中に、隣県の福島県から出向してきている辣腕の二本松藩士がいるのは、知己の者から聞いたことがあった。まさか、義理の息子と縁があるとは思わなかったが、これも運命かもしれない。

「一度、二本松のご実家に顔を見せられよ。きっと喜ばれよう」  

 そう言うと、清尚はにっこり微笑んだ。

「良いのでしょうか」

 剛介自身は、嬉しい反面、まだ戸惑いも大きい。あの激戦で、きっとお互いに討死しただろうと思い込み、会津で生きていることすら伝えずにいたから、どのような顔をして会えばいいのか、分からないのだ。

 それに、ここまで親身になってくれた遠藤家に、申し訳ないような気もする。

「構いません。ぜひ、立派に成長された姿を見て頂きなさい」

 清尚の言葉は、屈託がなかった。

 週巡した末、剛介はついに頷いた。 

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