孤独の選択

「は……!?」


 向こう側で叫ばれ、私は反応が遅れてしまう。そして言われるがまま愛さんを見ると……彼女は既に、カメラを構えていた。

 駄目だ、間に合わない……と思っていると、何故か彼女は……カメラを構えるのをやめ、ゆっくりと下ろした。異能力を使うのではないのか。そう思って、動きを止めていると。


 彼女は私の方を振り返る。そして、にっと笑って。


「後のことは、頼んだぞ」

「……え」

「期待しているからな。……泉」

、駄目だ!!!!』


 愛さんの声が聞こえたのだろう。泉さんが悲痛な声を上げる。

 しかし愛さんは、視線を前に戻した。


 思わず私は手を伸ばす。彼女の肩を掴もうとする。だけど──間に合わない。



 ぱち、ん。


 愛さんの美しい横顔。彼女がをする音が……こんなにもはっきり、聞こえた。



 そして私は、違和感に気づく。音が、消えた。


 前を見ると、そこには……先程と変わらず、沢山の人がいる。だけど、違う。……その内の一部が、動きを止めていた。一切の動きも、していなかった。


「Shutter」……。愛さんの、異能力。


 流石に全員の動きを止めることは出来なかったらしい。でも、これだけ多くの人──300人程度が、動きを止めていた。これだけ止まれば、騒ぎも少しは落ち着くんじゃ……。


「ごほっ」


 そこで愛さんが、大きく咳き込む。両手で口を抑える、その瞳は、大きく見開かれており、顔色は悪く、表情は苦痛に歪んでいて……。


 ……両手では抑えきれなかったらしい。その手の隙間から……大量の血が、零れ落ちた。


 その血は、あっという間に愛さんの足元に血溜まりを作る。手の隙間から滴り落ちる血は、愛さんの真っ白なYシャツを汚していく。


 私が呆然とそれを見ていると、愛さんは更に咳き込んでいった。咳は止まらず、必死に呼吸をし、しかし血を吐き続け、苦しそうに、辛そうに、だがその瞳に宿る強い光から、目が離せず──。


 ようやく私が動き出せたのは、愛さんがステージ上に無抵抗に倒れてからのことだった。



「愛さん……!!!!」


 私はその肩を抱く。動かしては駄目なのだろうな、と思っていたが、こんなに血を吐いている人の前で何もしないなど、出来なかった。

 その体は、重い。でも全身から力が抜けていて、軽いような気も、する。それが私には、酷く恐ろしかった。


 どうしよう、どうしよう。という言葉が、頭の中を駆け巡る。焦りが募り、冷や汗が流れ、思考が同じところを行ったり来たりする。ああ、私は無力だ。何度も何度も、痛感したことだ。

 ……私の異能力は、こういう状況で、役に立たない。


『……せみ、伊勢美!!!!』


 そこで私の耳が、泉さんの声を拾う。どうやら何回も呼ばれていたが、気づかなかったらしい。私は血濡れた手で、通信機を抑えた。


「泉さん……」

『伊勢美っ、イチ先輩は……!?』

「……すみません。大量の血を吐いて……倒れて……」

『……くそっ』


 泉さんは悔しそうにそう吐き捨てる。私は申し訳なさがあり、何も返すことが出来なかった。


 だが泉さんは、すぐに切り替えたらしい。すぅ、はぁ、と、大きく深呼吸をする声が聞こえ。


『……伊勢美、その場はひとまず頼む。イチ先輩が気を失ったら、イチ先輩が止めた人は動き出してしまう。先輩には……酷だけど……そのまま意識を保ってもらってくれ』

「……分かりました」


 私は愛さんに視線を落とす。彼女は目を開いていた。苦しそうだが、呼吸もしていた。痛々しい光景だが、瞳の光の強さが、震えながらも私の服の裾を掴む、その手の力強さが、まだ彼女が生きているということを物語っていた。


 その手に、私の手を重ねる。まだ、温かい。


 その温もりに安堵しながら、私は想起される過去の出来事と、今を比べる。比べてしまう。もう二度と、あんな光景は見たくない。

 だから私は、叫ぶ。


「……愛さん、生きて……!!!!」


 私のその言葉に、愛さんは微笑み、ゆっくりと、だが力強く、頷いた。



 ──────────



 尊大智は、絶望感に苛まれていた。聞こえてきた報告たち。その全てが……自分以外の誰も、現場ここには来られないということを、示していたから。

 つまり、それは……。


『尊、悪い。……お前1人で一般客を守って、「味覚」を捕らえてくれ』

「えっ、えええええっ……!!!!」


 大智は思わず、小さな悲鳴を上げる。途端に、様々な思考が頭の中を駆け巡った。自分1人で、今世紀最大の異能犯罪者と言われる犯罪者たちの内の1人と渡り合うなど。自分には無理に決まっている。何も出来なくて殺されるのがオチだ。痛いのは嫌だ。1人は怖い。1人じゃ何も出来ない。1人じゃなかったとしても、どうせ自分には何も出来ない。


 ──いや、そもそも。


 尊大智は、こう思っていた。──あそこにいる一般客彼らを、守りたくはない、と。


 彼は心の中に燻ぶる、自身のどす黒い感情に、気が付いていた。だが認めたくなくて、目を逸らしていた。

 大智は、彼らのことを、知っている。



 ──彼らは高校時代、中心になって、自分たちのことをいじめていたやつらだ。



 どんな運命か、今、そんな彼らが……生命の危機に晒されながら、自分の前にいる。


 守りたくない。戦いたくない。痛いのは嫌だ。

 でも──変わりたいと願って、あの組織に身を置いている。自分も彼らのように、勇敢に立ち向かって、輝きたい。


 それに……悲鳴をあげている人たちの声を、聞いた。きっと今ここで踏み留まらなければ、他の客も危険に晒されるのだろう。


 誰もが、痛い思いはしたくない。怖い思いはしたくない。死にたくない。きっとそう思っている。

 自分が、逃げたら。その結果は、分かりきっている。

 でも、逃げなかったとして。その結果は──。





 大智は大きく息を呑む。今、選択を強いられていた。





【第37話 終 第38話に続く】





第37話あとがき

https://kakuyomu.jp/users/rin_kariN2/news/16818093079111193960

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