屋上での対話

 一昨日のように、そのまま海中要塞に泊まってしまった。一応明日も学校だけど……まあ、適当に行けばいいか。

 そして今日も今日とて、いつも通りの時間に目を覚ます。前と同じようにラジオ体操でもするかと、廃ビルの屋上に向かった。


 だが前回と同様、そこには先客がいて。


「ああ、伊勢美」

「……なんで上裸なんですか」

「水零してな……」


 そこにいたのは、眼鏡を掛けていない春松くんだった。そして上半身裸である。傍らにはペットボトルがあって、3分の2ほどがなくなっていた。あの中身が、水なのだろう。

 春松くんはYシャツとかブレザーとか、着ていたであろう服をバッサバッサと振っていた。それで乾くのだろうか。というか、どれだけ盛大に零したのだろう、この人。


「伊勢美は? 何しに来たんだ?」

「……ラジオ体操に」

「ら……え? ラジオ体操????」

「……はい、朝の習慣なんです」


 素直に答えると、健康体だな、なんて苦笑いを浮かべられる。まあ、朝の習慣にラジオ体操が入ってる女子高生なんて、珍しいと思うけど……。


「だったら俺、邪魔か?」

「いえ、別にいてもいいですけど……」


 恥ずかしがるようなものでもないし、と思いつつ答えると、じゃあ俺もやる、と予想外の答えが返って来た。


「え、やるんですか……」

「中学生ぶりだな、と思って」

「去年って割と直近だと思いますけど……」

「……あー、まあでも俺、高校生になってからもう、体感的には4、5年くらい経ってるような気がするから……」

「……?」


 魔法の習得とかに、ちょっとな、なんて、春松くんは笑う。はあ、と私は返事をし、それ以上の言及はしなかった。

 スマホを取り出し、音源を流す。これも前の時と同じだな、と思いつつ私は彼の方を見ないまま言った。


「……せめて一枚着てくれませんか? 目のやり場に困ります」

「……はい」


 私の固い声に、彼は素直にそう返事をした。





 体操を終えると、春松くんは水を飲んでいた。服はまだ乾いていないらしい。


「マジで盛大に零したからな……」

「……逆に少し、見てみたかったです」

「悪趣味だな~。……そろそろタイムリミットだな、自力で乾かすか」


 春松くんはスマホを見ながらそう呟く。タイムリミット? なんて首を傾げていると、彼は立ち上がった。スマホをしまい、代わりに魔法の杖を取り出す。


 彼は杖の先を、目の前に昇る朝日に向けた。そしてその瞳に、温かな光が灯る。


「……〝朝日の熱よ、この杖に宿り、温もりで包め〟」


 静かな声が、私にだけ聞こえる。……すると目の前にある朝日から、一筋の光が伸びた。それは杖の先に到達し、微かな、でも確かな灯りとなる。

 幻想的な、光景だった。


 彼は光りを得た杖で、軽く濡れている服を叩いていく。すると服はあっという間に乾いてしまった。


「よし、一丁あがり」

「軽いですね……」


 今まさに幻想的な景色を生み出した人とは思えない台詞である。まあそれは、主観なのだが。

 彼が服を着ているのをぼんやり眺めつつ、私は口を開いていた。


「……春松くんのその魔法があれば、『五感』なんて簡単に捕まえられそうですね」

「……まあ、そうだろうな」


 彼はブレザーを羽織り、手で襟を整える。最後にせっかくピシッと絞められたネクタイを解き、第1ボタンを開けてから言った。


「でも俺は任務には全く手を出す気はないし、手助けするつもりもない。俺は昨日みたいに、レベルアップの手伝いをする……関わるとしたら、それが限界だ」

「……春松くん、いつもそう言いますよね。関わりすぎると話がこじれるとか、そういう」


 それ、どういうことなんですか。と聞いてみる。責めているわけではない。ただの単純な疑問だ。

 彼は私を見つめてから、再びスマホを見る。まあいいか、と呟くと、彼は私の隣に座った。


「魔法っていうのはさ、文字通り〝何でもできる〟んだよ。例え俺のへっぽこ魔法でも」

「……そうですね」


 へっぽこだとか思ったことは、一度も無い。私には彼の扱う魔法は、全て凄く恐ろしい力に見える。


「どんな事象にも、どんな苦難にも、簡単に解決の扉の鍵になる。いわばマスターキーだ。壁を乗り越える必要なんてない。壁の向こう側に行くための扉が目の前にあって、鍵はここにあるんだから」

「……はい」

「でもそれは、俺がいるからだ。つまり俺がいなくなったら、自力で壁を超えないといけない。……でも、もし『このまま待っていたら、いつか春松夢が魔法で助けてくれる』っていう考えがあれば? そいつは、あらゆる物事から背を向けるだろうな。俺が居れば、壁を乗り越えるなんて無駄な労力を使う必要なんてないんだから」


 ……なんとなく、言わんとすることが分かってきたかもしれない。つまり……。


「……人間は楽な方に流されやすいと」

「そういうことだ」


 だから俺は、魔法であまり人を助けないようにしてるんだよ。と彼は肩をすくめる。


「……その割には、私たちのことすごく助けてくれてる感じがしますが」

「泉さんの頼みだからな……それに、あの人たちは説明しなくても分かってくれてる。だから俺も、魔法で任務を達成させたり……なんて感じに手助けはしない。あくまで補助程度だ」

「へぇ……」

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