屍啜りのジュリエット

竹部 月子

第1話

 とびきりの悪夢から目覚めると、視界いっぱいの美女が俺をのぞきこんでいた。

「成功……したの?」

 潤んだ瞳で、あえぐように彼女は囁く。

 輝く金の髪と、翡翠の双眸。髪に編みこまれた深緑のリボンの端が、豊かな胸元に落ちている。

「SSRジュリエット!」とっさにそう叫んだ。叫んだ、つもりだった。


「ヴァアァァ!」

 響き渡ったおぞましい咆哮に、悲鳴をあげて彼女は背後にとびすさる。

「ダメよ、言うことを聞きなさいっ!」

 震えながら突き出した手のひらに、紫色に光る輪が現れた。


 待って、今のって俺から出た声?

 恐る恐る自分の喉元を確認すると、むき出しの鎖骨が直接手に触れた。それより下は、ズルリと滑る感触があったから、怖くて見ることができない。


 美しい白い頬には、乱暴にぬぐったような血の跡が伸びている。

 まだ唖然としている俺の首に、紫の輪を押し付けてジュリエットは声を張り上げた。

「我が名をその身に刻め、屍使いネクロマンサージュリエットはおまえをしもべとする!」




 剣と魔法の世界に、貧弱サラリーマンが丸腰で放り込まれたらどうなるか?

 自信を持ってこう答えよう。「5分でモンスターの餌になる」と。


 昼休みに自席でいつものコンビニのオニギリを食って、アプリゲームの失敗錬金に舌打ちした後で、いつものように昼寝した。

 でも目覚めても、いつもの気だるい午後業務は訪れず、やたらと湿気が多くて、原色の葉っぱがしげる森に座り込んでいた。

「ナニ、ここ」

 わんわんと頭の周りを飛び回る虫のうざったさと、尋常じゃない蒸し暑さは、俺の夢のクオリティじゃない。

 意味も無く「はは」と半笑いになって立ち上がり、あたりを見回すと、木の陰で黄色い塊が動いた。


「へ?」

 自分のマヌケな声が耳に届くより早く、脇腹に重い衝撃を感じて両足が浮き、何かに叩きつけられる。

 それで視界は暗転。多分しばらく気絶していただろうに、耐え難い寒気を感じて、再び目を覚ましてしまった。


 レモンイエローの双頭のオオカミは、凶悪な爪が光る前足を、がっつりと俺の肩にめりこませ、一心不乱に肉を食っている。

 何の肉かって? それ、俺に聞く?

 不思議と痛みは無く、上下にゆすられるのが気持ち悪いだけ。あとは、寒い。とにかく、寒くて寒くてたまらなかった。




「27、28! こんなに歯が残ってるなんてすごい!」

 そうして悲惨な最期を迎えたはずの俺は現在、金髪美女の膝枕で、歯の数を数えられている。

 親知らずを抜いた以外は、銀歯の一本も無い自慢の歯だ。数を褒められたことは無いが、美人に褒められるなら、この際何でもいい。


「歯肉が腐敗する前に、ロウカが成功したのね。全然グラグラしてない」

 細い指が遠慮なく口内をまさぐって、歯に触れる。前傾した彼女の豊かな乳房が額に押し付けられているのだが、当人は全く気にしていないらしい。何、ここは天国なの? 


「このゾンビを強化しながらなら、最深部まで行ける。「絶叫する骸」にだって勝てるわ!」

 ガッツポーズを取りながら彼女が勢いよく立ち上がったので、俺の頭はゴンと地面に落ちた。視界が揺れたので衝撃があったことは分かっても、痛みを感じないので実感が薄い。


 やっと覚悟を決めて、自分の腹に目をやると、人体模型から名前が分かるパーツを全部取られてしまったような有様だった。でも腰から下は手つかずで、使うアテがあるわけじゃないけど、ホッとする。

 ジュリエットが「ロウカが成功」したと言ったのは、「老化」じゃなくて「蝋化」だったらしい。ロウで固めたようにツルリとなった喰われ跡は、グロさを6割くらいカットしてくれていて助かる。


 上が紫で、下が緑の二層に別れた空の色。禍々しくねじれる樹木の枝には、鳥葬待ちの死体。

 そして見間違いようのない俺の推しキャラ、ジュリエット。

 手垢のついた展開で恐縮だが、ここはアプリゲーム「リグレットサーガ」の中で、開始早々に死んだ俺は、ネクロマンサージュリエットの下僕として使役されているらしい。

 

 社畜からゾンビに転職してしまった。これからどうしたら、と思い悩む間も無く、ジュリエットがずんずん進みはじめたので、あわてて追いかける。

 ご主人様から離れるのはヤバイし、ご主人様がお亡くなりになるのはもっとヤバイ。下僕の直感だ。

 腹のあたりがグラグラするせいでバランスがとりにくく、ゾンビの足は無茶苦茶に遅かった。




「えいっ!」

 ジュリエットは、へなちょこなメイスの一撃をポコンと当てて、せっかくこちらを向いていたワーウルフのヘイトを稼ぐ。吠えられた彼女は、慌てて木の後ろへ隠れた。


 残る敵はあと2匹。目の前のオークの頭上で赤色まで減ったHPバーを睨みながら、逃げたジュリエットを追うワーウルフをチラ見する。

 先にこの豚を仕留めても、移動力が低い彼女はワーウルフに追いつかれる。さらに足の遅い俺がたどり着くころには。

 ゾッとした想像を振り払って、やぶれかぶれの攻撃をしてくるオークのこんぼうを背中で受け、代わりに地面から石ころを拾い上げて、ワーウルフめがけて投げた。


「ウオォオ!」

 ふりむいたウルフから「威圧の雄たけび」でスタンさせられることは辛くも避け、もう一度殴りかかってきたオークのこんぼうをもぎとる。

 その勢いのままオークの頭蓋骨を叩き割り、猛烈なスピードで飛び掛かってくるワーウルフの一撃に備えた。

 爪を受けた粗末なこんぼうから木片が飛び、俺からどっかの肉片も飛ぶ。

「ウヴァアァ!」

「ワオーー!」

 あとはどっちかのHPが削り切れるまで殴り合うだけ。

 泥沼の怪獣大決戦を制したのは、生命力と腕力高めのこの俺、ゾンビ!


 元からひどい状態だけど、ボロ雑巾のような姿になった下僕の前に、輝く笑顔でジュリエットは駆け寄ってきた。

「よく頑張りましたね! ヨシッ!」

 ヨシっ、じゃねぇわ。……可愛いから、許すけど。

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