第17話 生きている

 四月が来て私は大学三年になった。まだ震災の影響はあるが、少しずつ日常が戻ってきた。

 あの日、長野県北部でも地震があったが、実家は無事だった。翌日の午前中に母からメールが来て被害が無いことを知った。


 今回の震災の影響で拓海の会社は大忙しだ。被害を受けた通信設備の復旧工事に携わることになるらしい。新入社員の拓海は災害ボランティアとして東北に送り込まれることになり、六月に出発していった。


 専門課程のカリキュラムになり、私も忙しくなってきたので、伯母の家に顔を出す頻度は減っていた。そして『花音ちゃんが講義で面白かった話は聞かせてほしいな』と言った智行くんと会うこともなくなっていた。


 震災の日、智行くんからもメールが来ていた。遅れて届いたため気づかなかったが、送信時間は最初の地震がおこったすぐあとだった。「無事?」と一言書かれていた。


 智行くんはあの日家にいたそうだ。散乱した本を片付け、整備場の片付けをしたら、もう夜になっていた。そのあと拓海の家に行って、伯母から拓海と私が一緒に居ることを知ったらしい。


 智行くんは震災後、四月に入る前に私の家に来た。もうこっちになかなか来られないからと、今まで貸していた本を全部持ってきた。そして

「花音ちゃんも拓海を選ぶんだろ?」と聞いてきた。その意味が分からず首を傾げると、

「卒業式のあとだから、震災の前日か。拓海と会って話をしたんだ」と語り始めた。


 拓海は私と智行くんが付き合うのは、やっぱり嫌だとハッキリ告げたそうだ。

 ──イトコだからいろいろ無理なのは分かってる。トモに花音と付き合ってほしいなんて言ってトモを振り回したことも本当に悪いと思ってる。でもやっぱり花音を近くで見ていたい。

 そう言ったそうだ。


「もちろん花音ちゃんが他の男を選んだなら、それを見守るつもりだと言ったけど、花音ちゃんの心にも拓海がいるよね」

「私……ごめんなさい」

 智行くんは小さく笑った。

「オレは仕事に専念しないと。新米だからこき使われてね。趣味もしばらくお預け。花音ちゃんといろいろ話が出来て楽しかった。こういう話出来るのはマジで花音ちゃんだけだったから。またいつか余裕が出来たら、講義で聞いたこと聞かせてよ」

「──うん。分かった」


 そんな日が来ないことはお互い分かっている。少しの沈黙のあと智行くんは立ち上がると玄関に向かった。そして靴を履いて振り返ると、


「地震の日。拓海となんかあった?」と聞いてきた。私は一瞬息を呑む。

「なんかって? 別に、なにもないよ」

「──そう。じゃあ、元気で。また」

「トモくんもお仕事頑張ってね」

 精一杯の笑顔で智行くんを見送った。


 あの日、もしも地震がなければ──拓海は私に智行くんとのことを話すつもりだったのだろうと思い至った。前日電話で『花音にいろいろ話すことがあるよと』言っていた言葉を思い出した。


 智行くんは私にとっても大事な人だったことは間違いない。恋愛云々がなければ本当に今も楽しく交流が持てていたと思う。

 講義の内容が面白いとき、ふいに智行くんの顔が浮かんだ。この話をしたら喜ぶだろうなと思うが、もうそんな交流は訪れない。


 *


 私は大学とデザイン会社でのアルバイトという生活を送り、ひたすら拓海の帰りを待っている。

 たまに拓海から届くメールは、被災地の厳しい現実を突きつけるものばかりだった。報道されない隠れた悲しみが其処にはたくさんあった。


 拓海からそっちに戻ると連絡が来たのは七月下旬だった。

 金曜に戻るから花音の家に顔を出すとメールに書かれていたので、その日は講義のあとはまっすぐ家に帰り、食事を用意して待っていた。


 部屋に入ってきた拓海は日焼けして、パッと見は健康そうだが、少し痩せたようだ。いや、重労働で引き締まっているのだろうか。でも顔は明らかに疲れていて、やつれているように感じた。


「悪い、汗臭いから先にシャワー浴びさせて」

 そう言って大きな荷物を玄関先に置くと、浴室に向かった。

 うちにあった部屋着を着た拓海は、やっと人心地ついたようだ。

「大丈夫? どこが具合悪くない?」

「平気。疲れてるのは確かだけど。コンビニでビール買ってきたんだ。一緒に飲もうよ」


 夕食をとりながら久しぶりに拓海の顔を見て私も安堵した。少し酔いが回ると拓海は被災地での話をしてくれた。

「壊滅だよ。あそこに人が住んでいたとは思えない状態で、仕事していてもいたたまれない。取引先の営業所に至っては消失だよ。何もないんだ。あの光景は言葉では語れない。でもさ、被災してる人たちの方がずっと辛いはずなのに、オレたちを見て感謝して、励ましてくるんだよ。まじ泣けてくる。本当に泣きたいのはオレたちじゃないはずなのに」


 そう言って寝転んだ拓海の手をそっと撫でた。拓海は目を閉じたまま私の手を握る。きっと脳裏には東北の景色が浮かんでいるのだろう。

「──あたりまえの日常って、あっという間に壊れちゃうんだな。それを実感したよ」

 そう言うと拓海はゆっくり体を起こした。


「オレ、今日こっちに戻ってきたこと、家には言ってないんだよね」

「え?」

「今日は花音と一緒に居たい」


 拓海がまっすぐ私を見つめている。

 あの日、震災のあった日、拓海が居てくれたから私は安心出来た。今度は私が拓海を安心させる存在でありたい。


「うん。いいよ」

 そう答えると、拓海は嬉しそうに微笑んで私を抱きしめた。

「花音はあたたかいな。生きているって感じがする」

「拓海もあたたかいよ」

「そっか──オレも生きているんだ」


 見つめ合い、唇が触れあう。初めは優しく。次第に激しく。

 ベッドに寝かされた私の上に拓海がいる。

 体のこの痛みは、拓海が東北で感じた心の痛みでもあるように思えた。こうすることで拓海の心の傷が少しでも癒えるのなら、生きていると感じられるなら、私は受け入れよう。拓海が望むだけ、私はそれを受け入れよう。

 拓海の背中に手を回し、しがみつきながらそんなことを思っていた。


 その晩、拓海はぐっすり眠っていた。久しぶりに安眠出来ているのだとしたら嬉しい。胸元には私が贈ったネックレスが鈍い色を放っている。そっと触れて、拓海が傍に居る幸せを噛みしめた。


 明け方に目が覚めると拓海も目を覚まし、ぎゅっと私を抱きしめてきた。

「久々だよ。嫌な夢見ないで眠れた」

「ホント? 良かった」

 拓海の大きな目が暗がりで私を見つめている。

「後悔してる? こうなったこと」

 私は首を振った。後悔なんてするわけない。拓海は微笑むと、私のおでこにキスをしながら「良かった」と呟いた。


「花音とのこと、内定決まったときから考えてるんだ。でもそれ以上に世の中がこんなことになって、日々やらなきゃいけないことが多すぎる」

「大丈夫。今は自分のことを考えて。私は今のままでじゅうぶんだから」

 そう答えて、覆い被さってきた拓海に抱きついた。


 拓海が自宅に戻ったのは土曜日の夜だった。

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