Ⅱ.第1話 あたしのイメージで

<CAST>

マスター:

桜木 優:

水城蓮華みずき れんか

ナレーション:


<台本>


   *バー『Something』


マスター:

「優、悪いけど、ボサノバ1曲やってもらえないか? ピアニストが来られなくなって、他の曲はギターだけでもなんとかなるらしいが、この曲だけはピアノも入ったアレンジになってるんだと。はい、譜面」


(*優、コピー用紙1枚の楽譜を受け取る)


優:(にこやかに)

「わかりました。大丈夫です」


ナレーション:

 春から夏に移ろうという時、日差しの強い日々が続き、新宿にあるバー『Something』では、生ビールとジントニックの注文が増える。


蓮華れんか:(明るく、バンドメンバーに向かって)

「それじゃ、皆さん、よろしくお願いしまーす」


ナレーション:

 明るい茶色の髪が肩で揺れる。

 ラフなシャツと短めのフレアスカートの、いかにも学生らしい女子がマイクを持って中央に立ち、にっこり笑って挨拶あいさつをした。


 中年のバンドマンたちに混ざって、優がピアノの前に座っている。常に用意していた演奏用の黒いシャツに着替えていて、店の仕事着である黒いエプロンは外している。


 イントロが始まった。


(*BGM:アップテンポにアレンジされた軽快なボサノバ『おいしい水』。

なければ軽快なボサノバの曲。ボーカル入りがなければインストだけでもいい)


ナレーション:(*BGMに『おいしい水』がなければカットする↓)

 アップテンポにアレンジされた軽快なボサノヴァ、アントニオ・カルロス・ジョビン作曲『おいしい水』。


ナレーション:

 店内が一瞬でブラジル・カラーに染まった。


 明るく弾む音楽——


 彼女の高く澄んだ声は、このバーでのライブに慣れていた優には、ジャズを歌うにはまだ若々しく新鮮だった。


 この子も、今後、様々な経験によって、つやのある声で歌うようになっていくのだろう。ここで歌う大人の歌姫たちのように。


 そう考えてしまった自分が、すごくおじさんに思えた優は、ピアノを弾きながら、自嘲気味じちょうぎみな笑顔になった。


(ステージが終わり、休憩)

(*ボーカルの蓮華がカウンターに腰掛ける)


蓮華:

「ジントニックもらっていい?」


優:

「かしこまりました」

(※グラスに氷、ジン、トニックウォーターを入れ、軽く混ぜてライムを飾る)


蓮華:(人懐こい笑顔)

「ねえ、優ちゃんていうの?」


優:

「桜木優。きみは? メンバーの人たちはれんちゃんって呼んでたけど?」


蓮華:

水城蓮華みずき れんか。ミズキは水の城って書いて、お花のはすに華やかって書くの。普通はレンゲって読むけど、レンカなの。よろしくね!」


優:

「よろしく。蓮ちゃんは、ボーカルもピアノも上手だね。さっきのボサノバのボーカル、原曲通げんきょくどおりポルトガル語で歌ってたよね? すごいよね!」


蓮華:

「ふふ、ありがと! ポルトガル語は意味はわかんないけど、耳コピーして、それっぽく歌ってみたんだ」


優:

「え、すごいね!」


蓮華:

(*ジントニックをガブッと飲む)


「あ、このジントニック、美味しい!」


優:(にっこり笑う)

「ありがとう」


蓮華:

(感心したように蓮華が優を見上げてから、もう一口豪快に飲む)

「マスターが言ってたけど、優ちゃんもたちばなさんに習ってるの?」


優:

「うん。二十一の時からだから、二年前から習ってるよ」


蓮華:

「二つ上かぁ。あたし今二十一で、今年から学校の個人レッスンに、ジャズピアニストで知られてる橘さんが来てくれるようになったから、今年から習ってるんだー。

優ちゃんは先生の新大久保のスタジオの方で習ってるの?」


優:

「うん」


蓮華:

「そっか。今二十三ってことは、学校はもう卒業してるんだね。どこに通ってたの?」


ナレーション:

 優のこれまでのいきさつを聞いた蓮華は、目を丸くして彼を見た。

 そんな思い切ったことをしそうにないと思っていたようだ。


蓮華:

「音大途中で辞めてバーテンダーの道に……そんなこともあるんだね。

(心配そうに)お家の人は大丈夫だった? すっごく反対されたんじゃない?」


優:(笑う)

「そうだね、すごくびっくりされたね。最初は反対されたけど、初めて自分からやりたいって言ったことだから、そのうち理解してもらえたよ。


今は賃貸で独り暮らしだから電子ピアノだけど、グランドピアノはここで弾かせてもらえるから」


蓮華:

「そうなんだね」


(*ジントニックを飲む)


蓮華:(少し考えてから)

「うちの音楽学校は音大みたいに入るのは難しくないから、その辺の音楽教室通ってる延長で来る子もいてね。上手い子はズバ抜けて上手いけど、ピンキリなんだよね。


周りに飲まれたらおしまいなの。だから、自分との戦いでもあるの」


優:(感心する)

「それで、ポルトガル語で歌ったり、色々挑戦してるんだね」


蓮華:

「うん」

(唐突に)

「ねえ、優ちゃんて、モテるでしょう?」


優:(急に話が変わったのがおかしくて、思わず笑う)

「そうでもないよ。なかなか続かなくてね」


蓮華:(意外そうな顔になる)

「え、そうなの?」


優:

「僕が夜の仕事だと、なかなか会えなくてね。ここに飲みに来てくれても、二人で会ってるのとは違うから」


蓮華:

「……そっか……難しいよね」


(グラスを回して、残りのジントニックを大事に飲みながら)


蓮華:

「あたしもね、つい最近、別れたんだ〜。ライブって土日が多いじゃない? 勉強になると思って、橘さんについて行ったり、好きなアーティストのライブとかコンサートなんか行ったり、自分もライブに出たりすると、なかなか彼とは会えなくてね。別れてあげたの」


優:

「別れて?」


蓮華:

「そ。彼、結婚するんだって」


優:

「……え……そうなんだ」


蓮華:

「あたしから別れてあげたら、彼、安心した顔してさ。自分の結婚に、あたしがショック受けてるんじゃないかって心配してた……とか。

聞いてたらだんだんムカムカしてきちゃって。


それでね、

(男の口真似で)『お前を忘れるために結婚するんだ』

……っていうのよ? なにそれ!」


優:(ちょっと笑う)

「嬉しくなかったんだね」


蓮華:

「嬉しくなんかならないわよ。

『なんなの? そんな気持ちで結婚したら、相手の女の人に失礼じゃない? それとも、あたしに気をつかってるつもりだとしたら、余計なお世話だからね』って言っといたわ。


だいたいね、ドラマとか映画みたいなセリフ言う男って、あたし信用してないから」


優:(感心したように)

「うん。確かに、信用しない方がいいだろうね」


蓮華:

「でしょう? そんなセリフ言う人に限って、実際は誠実味せいじつみけるものよ。

その彼だって、あたしとあんまり会えないからって、言い寄って来た女の人とこっそり付き合って、結局結婚してんだから」


(溶けた氷だけになってしまったジントニックの名残なごりを飲み干す)


優:(バーテンダーの口調に代わり、微笑む)

「二杯目は、何かお作りしましょうか?」


蓮華:

「そうねぇ……。ライムが好きだからギムレットとか興味あって、バーに行くと必ず頼むんだけど、今は違うのが飲みたいなぁ。


……あ、今、小娘だから『』って思ったでしょ?」


ナレーション:

 それは、ある推理小説のハードボイルドな探偵の名ゼリフだった。


優:(くすくす笑う)

「思ってませんよ。何を飲もうと自由ですから。お酒強いんですね?」


蓮華:

「うん、まあ、あんまり顔には出ないかな。

メニューにないものでもいい?」


優:

「どうぞ」


蓮華:(不敵ふてきな笑みを浮かべて)

「じゃあ、あたしのイメージで」


(*キラキラ〜とかシャラシャラ〜とか、効果音)


優(心の声):

「女性連れの男性が『彼女に似合うカクテルを』っていう注文なら受けたことはあるけど……。


 シャンプーのCMにはちょっと足りないセミロングの髪を、さらっといて、いたずらっぽく瞳を輝かせる。


 小悪魔風な女性というより、単なる若い学生。

 でも、学生の彼女は堂々としていて、既に何かの雰囲気をまとっているような……?」


優:(思わず笑う)

「かしこまりました」


ナレーション:

 別のバンドのライブが始まる。

 ミュージシャンの年齢が高く、大人向けのしっとりしたバラードが多い。そういうものも、優は好きだった。


 その年齢だからこその演奏は、若年の自分には出せない魅力があった。


(グラスに氷、リキュールとオレンジジュースを注ぐ)


優:

「こちらになります」


蓮華:

「わあ……!」


(丸いグラスに氷とオレンジ色のカクテル)


蓮華:

「美味しい! オレンジかと思ったら、桃も入ってるの?」


優:

「はい」


蓮華:

「オレンジと桃のバランスが良くて、めちゃめちゃ美味しい!」


優:(笑う)

「良かったです」


蓮華:

「実はね、バーに行くたびに、あたしのイメージでカクテル作ってもらってたんだ〜」


優:

「そんなことしてたの?」


(優がおかしそうに蓮華を見るが、蓮華の方は真面目)


蓮華:

「でもね、優ちゃんが作ってくれた、これを超えるようなのはなかったの」


優:(意外そうに)

「えっ、そうなの?」


マスター:

「お前、どんなすごいの作ったんだよ?」


優:

「別にすごくないですよ。単に、ピーチリキュールとオレンジジュースを使って」


マスター:

「ああ、ファジー・ネーブル?」


マスター:(優に小声で)

「水曜日によくいらっしゃるあのお客さんが、よく注文されてたな」


優:(マスターに)

「はい。あの時、ファジー・ネーブルを男性でも飲みやすくするために考えていたものが元になってる、とは……」


マスター:(苦笑する)

「ああ、蓮華れんかちゃんが気を悪くするかも知れないから、言わなくていいだろう」


優:

「ですね」


(蓮華に向き直る)


優:

「ファジー・ネーブルに、炭酸と少しだけアプリコット・ブランデーを足してみただけです。あ、レモンジュースもちょっとだけ入れて、さわやかにしました」


マスター:

「蓮華ちゃんが普段飲むものよりもアルコールは弱いけど、それで満足したの?」


蓮華:

「はい!」


蓮華:(ちょっと恥ずかしそうに、になる)

「他のお店で作ってもらったものは、あたしが大人っぽい格好して行ったせいか、大人の女ぶってる自分の見た目には合っていたのかも知れないけど。


優ちゃんが作ってくれたものは、一見女の子らしくても中身はサッパリしてる女の子って感じで、大人ぶってるあたしじゃなくて、の自分を言い当てられた気がして。


自分からは絶対頼まないカクテルだったけど、気に入ったの」


ナレーション:

 優にとっては、蓮華に可愛らしいカクテルを出すのはけに近かった。

 本人は強いカクテルを望んでいたかも知れないが、身近みぢかに大人の女性を見て来た優には、蓮華に対しては、まだ可愛らしい印象の方が強かった。


 だが、ただ可愛らしいカクテルでは、きっと怒られる。

 話を聞いていると、かなり辛口な反撃はんげきが来ることも予想出来た。

 だから、賭けだった。


蓮華:(威張いばって)

「だからね、あたしには、優ちゃんのこのカクテルが、『あたしのイメージカクテル・ベストバーテンダー賞』なわけ!」


優:

「なにそれ?」(笑う)


マスター:(微笑ましくて笑う)


優:

「では。

(手を胸に当て、紳士風に丁寧に礼をする)


たまたまお客様との相性あいしょうが良かった、という幸運のもと、バーテンダーとして最高の栄誉えいよをいただけて、まこと光栄こうえいに思います」


蓮華:(嬉しそうにきゃっきゃ笑う)

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