17

 床に残った黒い玉。


「…………」


 獏間はそれを、無言で拾い上げるとため息を吐き、祈を見た。 


「視たのかい?」


 なにを、とは聞かれていない。

 だからこそ、祈は自分が目にしたものを、正直に答える。


「……文字は、全然。でも、あの子の後ろに、ちょっと年上の……あの子の兄ちゃんを視ました」


 それは一瞬。

 けれど泣きじゃくる妹を案じるように、志乃という文字とともに現れて、消えた。

 獏間は祈の説明を聞くと「そうか」と、素っ気ない返事をして閉じたドアを見ていたが……。

 やがて「なるほど」とひとり納得するかのように呟くと、祈の肩を叩いた。


「おめでとうスズ君、コレで呪いは解けたよ」

「……俺、夢見てたんです。巫女としていい暮らしさせるからって金で買って、自分たち以外立ち入れない村に閉じ込めて、こき使って、最後は生贄にして殺す……そういうところにいた妹と、妹を助け出そうとして代わりに殺された兄貴の夢」

「そうか……」


 ナニカを崇め、ナニカのためには特別な血が必要だと思っていた者たち。

 名前を奪われ巫女として生かされ続け、気まぐれで生贄として命を奪われた者たち。

 なにが悪かと考えれば――悪いモノは……呪いを生み出した原因は――あの身勝手な人間たちだ。

 それなのに……。


「夢だよ」


 祈の思考を止めたのは獏間だった。

 ハッと顔を上げた祈対して諭すような声で、繰り返す。

 

「夢だよスズ君。ただの夢だ……呪いに同調しすぎて視てしまった、幻さ」


 なんとなく祈は、自分の夢はあの兄妹の身に起きたことで、それがあの子たちにとっての生前最期の記憶なんだろうなと思った。

 今は妙に口数が少ない獏間は、あの子に触れた時、きっともっと多くの情報を知ったに違いない。


「呪いはなんで生まれるんっすかね? ……たとえば怖くて怖くてたまらない時も、呪いは生まれるんっすか?」

「前に言っただろう、強い思いは念になるって。恐怖心だって充分に強い思いだ。ひとつでは足りなくても、積み重なればそれはひとつの大きな存在になる。人を害するモノにだってなり得るのさ」

「……じゃあ、あの子は――」

「大樹では多くの血が流れた。死んでいく人間の最後の思いというのは、強い。そういうものが積み重なれば、当然悪いモノだって生まれるだろうね。……だけど、アレは違う。自然に生まれたモノではないな。本来なら、眠り続けて緩やかに消えるはずのモノだった――それなのに、暴かれて生まれてしまった……不幸な呪いさ」

「……不幸……」

「だってそうだろう? あの子が死んだのは、もうずいぶんも前のことだ。それなのに、なんで今さら?」


 言われてみれば、そうだ。

 志乃やその兄の服装は着物。かなり昔のものだ。

 呪いを生むほど強い思い――ならば、当時猛威を振るっていてもおかしくない。

 

「アレは今になって解き放たれた呪いだ。呪いは本来、対象が決まっている。不特定多数を標的なんて、普通は無理。だから、恐怖に縛られた子どもの魂を使ったんだろうな」


 獏間は苦々しげに呟く……いや、吐き捨てた。


「あの子、生前は本当に特別な力があったのかもしれない。だから、意志を持つ呪いになった。笑えないね。意志があるから、その都度で呪う対象を変えて存続し続けられる。――合い言葉で呪いが発動する、移動式呪いの完成だ」


 本来なら、即席の呪いはさしたる効力を持たないと獏間は言う。

 そこに念と呼べるほどの強いナニカが存在しないからだ。

 自然に消えてなくなるレベルのものに、逃げなければ殺されるという恐怖心に囚われていた幼子の魂が使われた。


 たりない部分を、それで補った。


「はた迷惑な代物だ」

「獏間さん……?」


 獏間は、黒い玉を食べなかった。

 苛立たしげにポケットに突っ込み、それからおもむろに別ポケットから羊羹を取り出してむしゃむしゃかじる。


「……なんか、機嫌悪いっすね」

「ああ、そうだね。きみは危うく呪いのせいで殺されそうになるし、かと思ったら連れて行かれそうなほど呪いの核である幼子に気に入られるし……それに――きみは、あの呪いを解いた」

「え……? あれは、獏間さんがなんかしてくれたんじゃ?」

「僕? まさか」

「だって、その黒い玉……」


 獏間が対象から悪いモノを吸い取ると出てくる、黒い玉がここにあるのだ。

 だから、志乃は自分自身も囚われていた「逃げなければいけない」という呪いから解放され、兄と帰ることが出来た――祈はそう考えていたのだが……。

 

「きみが、あの子どもの魂を解き放ったんだよ。きみは自力で呪いを解いたんだ。――呪いに堕ちた魂を救った。すごいね、よくやった」


 一応、褒められる。

 だったら、余計に気になるのだ。

 

「……で? 結局、機嫌が悪いのは、なんで?」


 羊羹を食べ終えた獏間は、ぽいっと空をゴミ箱に捨てた後言った。


「僕は子育てを楽しみたい」

「は?」

「それなのに、あんまり急いで一人前になられても、つまらないじゃないか」

「あー……真面目に聞いて損した」


 緊張して話を聞いていたのに、コレだ。

 祈はもういいや、と自分も冷蔵庫に飲み物を取りに行く。

 その後ろでは、獏間がまだやいのやいの騒いでいた。

 

「重大問題だよ! 僕は保護者面したい!」

「まともな保護者は、自分で保護者面とか言わねーっすよ!」

「僕は言うんだよ!! ああ、保護者面したい! 後方で腕組みして、保護者ムーブかましたい!」

「あんたの中の保護者像が、意味不明すぎる……!」


 祈は自称保護者を無視することにした。

 とりあえず、自分の命は助かったし万事解決だ。


 ――もう逃げなくてもいい。


 逃げ続けたあの子は、自分の身を守るために赤を、赤い血を吐く人間を用意した。

 身代わりにして、次から次へと対象を移しては、また逃げて。


(でも、あの笑い方は……)


 病院で会った時、着物の女の子は子どもらしくない……それこそ悪辣な笑みでもって「キキ」と耳障りな笑い声を上げていた。

 兄と会えて喜んだ志乃と、あの女の子……姿形は同じだが、とても中身も存在とは思えない。

 だが、伝染する呪いはもうないのだ。


(もう大丈夫……な、はず)


 ペットボトルのコーヒーを一口飲んで、祈は小さなため息を吐いた。

 それが終わった安堵感から出たものなのか、それとも釈然としないなにかを感じたせいで出た無意識のため息だったのか――この時の祈には、まだ判断がつかなかった。

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