15
泡がはじけるような音を聞いて、目が覚めた。
「おはよう、スズ君」
「ふぎゃっ!?」
夜をそのまま溶かし込んだような黒い目が間近にあって、祈は思わず悲鳴を上げた。
「こらこら、はしゃがない。ソファから落ちても知らないよ~?」
「……え?」
ソファと言われて、祈は目を瞬いた。
そう、自分が今身を置いているのは覚えのあるソファ――事務所のソファだ。
ぐるりと視線を上に上げて見回せば、確かにそこは探偵事務所だった。
(――いつ帰ってきた?)
店で笹ヶ峰と話していたはずなのに……。
祈が不思議に思えば、身を乗り出してこちらを見ていた獏間は、落ち着いたと判断したのか、そのままソファの端に腰掛けた。
「おはよう、スズ君」
「……俺、寝てました?」
「いいや、失神してたよ」
おずおずと尋ねた祈に、獏間は笑顔で言い放った。
「し、失神……? ま、またそんな大げさな言い方して」
「事実だよ」
どうせ人をからかっているだけ。
そう思って確かめたものの、獏間は揺るぎない笑顔で断言し半信半疑な祈へ事細かな説明を始めた。
「僕が電話終わって戻ってきたら、笹ヶ峰刑事が慌ててスズ君の肩を揺さぶっててね。起きたと思ったら急に気絶したって言ってたな。それから、車にきみを担いでもらって、目を覚まさないからそのまま事務所まで運んでもらって、とりあえずソファに寝かせておいたんだ。僕って優しいだろ? いやぁ~、お礼はいらないよ?」
「どこら辺が!? どう考えても、感謝する相手は笹ヶ峰さんだし!」
話を聞く限り、随所で優しさを発揮しているのは笹ヶ峰しかいない。
よくも図々しく手柄を横取りできるものだと祈が睨むと、獏間は悪びれた様子もなく笑っている。
「だって、連れて行かれそうなのを引き留めたのは、僕だよ?」
「え?」
「僕が起こさないと、きみは連れて行かれたよ」
「……連れて行かれた……? あ――そうだ、妹が……!」
祈がはっとして呟けば、獏間は呆れた表情にかわる。
「ほら、しっかり目を覚ます」
ぱちん。
額を指で弾かれた瞬間、祈は頭のもやが晴れたような感覚に「あれ?」と首を傾げる。
「妹って……なに言ってんだ、俺。妹なんていねーし……」
「笹ヶ峰刑事にも、そんなことを言っていたようだね。……困ったねぇ、スズ君」
にぃぃっこり。
満面の、だが、なんだか絡みつくような笑みを浮かべた獏間が、ソファに座る祈に視線を合わせる。
「きみは〝そういうモノ〟を惹き付ける体質だとは言ったけれど、こういう風な感じになるとは思ってなかった。予想外だ。困った」
「その顔、全然困ってるようには見えねーんすけど?」
「いや、困ってるよ? だってさぁ、きみ、好かれちゃってるもん」
「……はぁ?」
好かれている?
誰に?
首を傾げる祈に、獏間は「アレに」と答えると話を続けた。
「病院で一度、連れて行かれそうになってるんだよ。そこから、スズ君の言動はふわふわとおかしくなりはじめた。存在しないはずの妹を気にかけるとかね」
「…………」
「スズ君は今、曖昧になってるんだよ。……うーん、違うな。もともと、境界線が曖昧な子か。あちら側とこちら側、そこを隔てるために引かれた線の上をゆらゆらと危なっかしく歩いているようなもの。だから、そういうモノが見えるし分かる。そういうモノたちは存在を認識させようと、きみを求める。……でも、今回のコレは違う」
獏間は祈の顔を押さえると、じっと目を見つめてきた。
「呪われた人間は、自身が呪いを受けたと知った時、どういう感情を抱く?」
問われて祈は考えるように首を傾げる。
「ええと、怖い、とか?」
「そう――恐怖だね。恐怖心こそが呪いを生かし、力を与える。人は外れたものを恐れ忌避するから、生者の理からはずれた呪いは、人に本能的な恐怖心を抱かせてしかるべきだ。……だが、きみはどうだ」
「ば、獏間さん?」
「スズ君……一体、なにを見た? ――きみは、その眼でなにを見たんだ?」
「……? 俺は、別に……なにも、変な文字は――あ」
祈は、ふと思い出す。
文字は見ていない。
上っ面と反比例して虫のようにうぞうぞと蠢く、いかにも訳ありな不気味な文字は見ていない。
――ただ、今にして思えば不釣り合いなモノをあの場で見た。
「女の子……」
「うん?」
「小さい女の子がいたんです。……着物姿の、女の子――左右の目の色が違って、すごく印象に残る子だった……」
思えば、非常に珍しい格好をしていた。
病院で着物姿の幼い女の子なんて、誰もが注目しそうなのに、誰も注目しなかった。
いや、それどころか、あの場には自分たち以外、誰もいなかった。
「迷子かなって思って話しかけたんすけど、なんか見つけたって言って……かくれんぼの鬼役みたいに。なんか子どもらしくない顔で笑って。それに……あの子、文字が見えなかった」
「へぇ」
「鏑さんとか皆瀬先生が使えるって言ってた、見られない方法かもしれないけど……。でも、あの子はなんていうか、あの人達とは違う感じで……」
「ねぇねぇスズ君」
「なんっすか? 俺、今真面目に考えて話してる――」
「その女の子って、この子」
言われて、祈は獏間が指さす方向、事務所の出入り口を見た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます