5

 ノックの後、一拍の間を置いてドアが開く。


「あの、先日お電話した大路ですけど……」


 姿を見せたのは、今の今まで話題に出していた再会したばかりの幼馴染み。

 だが、その表情はコンビニ前でぶつかった時よりも不安そうに曇っている。


「けーちゃん?」


 なぜ彼女がここにと思い、祈が思わず名前を呼ぶと、大路 蛍も祈の姿を認め、僅かに目を大きくする。


「え、嘘、なんで?」

「大路さんですね、お待ちしていました。中へどうぞ」


 あっという間の再会に祈が驚いている間、獏間は椅子から立ち上がり蛍を中へとうながした。

 失礼しますと足を踏み入れる蛍は、チラチラと祈に視線を送ってくる。

 きっと、ここにいるのが不思議なのだろう。


「彼はウチの助手ですが……どうかしましたか?」

「い、いえ、あの」


 獏間が微笑みながら尋ねると、蛍は頬を染め口ごもる。

 彼女が応えられないと分かると、獏間の視線が祈に向いた。


「知り合いかい、スズ君」

「……今話してた、幼馴染みっす」

「なるほど、なるほど」


 納得し、含み笑い。


(うわ、この顔……)


 悪い予感しかしないが、顔に文字が浮かばない獏間の心境は、祈には分からない。


「なんすか、その企み顔」

「失礼だなぁ、スズ君。僕はただ……君の幼馴染みなら、手厚くもてなすべきだと思っただけだよ。あ、友人割引しようか?」

「で? その割り引いた分の金額はどこから補填するんっすか?」


 人のよさそうな素振りの獏間だが、平素を知っていると胡散臭いことこの上ない。

 騙されまいと祈が低い声で尋ねると、さっぱりとした笑顔がむけられる。


「もちろん、スズ君のバイト代から天引きさ!」

「最低っすよ、あんた!」


 馬鹿な問答を繰り広げていると、クスクスと軽やかな笑い声が聞こえた。

 バツが悪くなった祈がちらりと声の方を見ると、蛍が口元に手を当て笑っていた。


「冗談だよ、スズ君。見なさい、君が真面目すぎるから、大路さんに笑われた」

「あ、ごめんなさい。馬鹿にしたわけじゃないんだけど……なんか、ふたりのやり取りがおかしくて」


 肩の力が抜けた様子の蛍。

 もしかしてこれが目的かと獏間を見れば、彼は祈に向かってニッと笑って見せた。

 ――それとなく、相手の緊張を解きほぐす。分からせないようにしている、獏間の気遣いを垣間見た気がして、祈はそれ以上文句を言うのをやめた。


 探偵事務所に来た客だ。自分もバイトとして、きちんと仕事をしなければいけないと気合いを入れる。


「俺、お茶入れてきます」

「ああ、頼むよ。――どうぞ、向こうのソファにかけてください、大路さん」

「はい、失礼します」


 蛍と獏間がソファに座る。

 祈は、自分が入った後で購入した粉末のお茶を運んでいく。

 茶葉はどれだけ入れればいいのか分からないが、粉ならいくらでも調節がきくところがいい。

 今回は、見たところ濃すぎず薄すぎず、ちょうどいい感じに出来た。


「粗茶ですが」

「ふふ」


 かしこまった言い方がおかしかったのか、蛍がまた笑い声をこぼした。

 どこか決まりが悪い、むずがゆい雰囲気に、祈は眉を下げて蛍を見た。


「なんだよ、普通に言うだろう?」

「言うけど、なんかノリマキにお茶出されるのがおかしくて」


 悪戯っぽく笑う蛍。その表情は、ドアを開いた時とは違い、明るい。

 なんでこんな所――探偵事務所に相談なんて来たのだろうと不思議な気がした祈だが、顔をじっと見ることは避けた。


 人の顔を凝視する――本音を探ろうとする行為は、ともすれば睨まれているとか、常に不機嫌そうだ、怒っているなどと思われてしまうことが多い。

 相手を不快にさせてしまうと経験上学んでいるため、意識して祈は蛍から視線を外し、立ち上がった。


「俺、少し出てきます」

「え……」


 知った顔があると話しにくいだろうと配慮した上での言葉だったのだが、蛍からいかにも心細そうな声が発された。


「大路さん、うちのスズ君とは知り合いとのことですが、差し支えなければ彼を同席させてもかまいませんか? ――もちろん、助手とはいえ我が探偵事務所の一員、守秘義務は絶対遵守いたしますので、その点はご安心下さい」

「あ、はい、疑ったわけじゃないので、大丈夫です。むしろ、いてもらった方が……話しやすいので、助かります」

「だそうだよ、スズ君。座りなさい」


 本当に、自分が聞いてもいいのだろうか。

 そう思いつつ、所長と依頼者の双方が許可したのならば、一介のバイトが拒否するわけにはいかない。


 祈は怖々と獏間の隣に腰掛けた。


「では、ご相談の内容をお聞かせいただけますか?」

「はい。実は……アタシ、ストーカーされてるんです」


 蛍の表情が曇った。


「お電話でもお話しましたが、うちは変わり種専門です。――それを知っていて、あえて警察ではなく、うちの事務所を頼るんですね?」


 獏間は薄い笑みを浮かべながら、蛍に確認を取るように話しかける。


「はい。だって……」


 頷いた蛍は、上着の袖をめくり、手首を見せた。


「アタシのストーカーは、幽霊ですから」


 彼女の手首には、紫色の痣。

 それは、まるで誰かに強い力で握られたかのような――くっきりとした、手形だった。

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