揺れる言の葉狂愛シキ

「…………え」

「聞こえなかったのか? じゃあもう一回」

「いや、聞いてました。ってか聞こえない訳ないじゃないですか! え、それって……え? あ、え、え?」

 非常に困惑している。意味を飲み込めない訳じゃない。ただどうしてもその言葉を飲み込めないだけ。確かに言葉で理解したいと言ったのは俺だが、あまりにも直球で、素直すぎる。

「お、俺の事を好きな女は全員死ね?」

「そうだな」

「いや、いやいやいや。あ、あのですね向坂さん。俺を好きって言ってくれる人は……さ、幸いいますけど。その子は別に死んでなくて……」

「少し違うな。君を純粋に好きな子は関係ない。君を好きな女というのは、また別の呪いのせいで君を好きにならざるを得なくなった人を指しているんだ。事情は分からないが、元々の呪いを土台にしてその呪いを掛けているから……早い話、君は元々モテモテになる呪いを掛けられていたんだな」

「…………!」

 今の発言は信憑性に大きく関わる。この人は隼人が俺に掛けていた呪いを見破っている。こちらの人間関係など全く知らないにも拘らずだ。今更非現実だ非科学的だなどと、それこそ現実逃避みたいな事は言わないがそれにしても。見破れてしまうのか。

「の、呪いで好きにならざるを得なくなった人ってのは女子の事ですか?」

「…………それは良く分からないが、ともかくその呪いで君の事をどうとも思っていなくとも意中の人と誤認してしまっている。そして残念ながらそれが土台だ。死ぬ方の呪いの前提条件はそっちに掛かっている。君を心から好きだという人間には何ともないからそこは心配するな」

「―――好きじゃない。呪いのせいで好きになってる方はどうなってるんですか?」

「……ちょっと静かに。下の方から物音が聞こえる」

 言われて耳を澄ませたが俺には何も分からない。まさか感覚が鈍っているなんて事も無い筈だ。この静かな状況では鈍るよりも先に鋭敏になる。向坂さんがしゃがんだまま動かない。真似をしてみたが、やっぱり声なんて聞こえない。もしかしてこの風が籠るような音が『声』?

「…………上に上がろう。この階はそろそろ危ない」

「あ。はい」

 一人より二人。詳しい人が傍に居てくれるだけで安心感がまるで違う。最早言いなりになろうとも知った事か。格好つけて一人ぼっちで行動しても良くて重傷、悪くて死亡。妹も揺葉も助けられないまま俺はここで朽ち果てるだろう。『神話』を経験したからって慢心は良くない事だ。事実俺には向坂さんが何から逃げ回っているのかさっぱり分からない。

 手首を探しているだけ……というよりは、明らかに何かに見つからないようにしている節がある。

「前提条件に引っかかっている子は……口じゃ説明しにくいな。中毒症状が想像しやすいかな。君を好きで好きでたまらない。このままだと死んでしまう。胸が痛い、張り裂けそう。この苦しみから逃れるには君からも愛が欲しい。身体で示してほしい。もっと欲しい。痛い。痛い。痛い」

「…………」

「まあそんな感じ……だと思う。悪い、俺は男だから見て分かると言っても限界がある。これ以上はちょっとな。君を好きになっているだけでは禁断症状が出るから身体を触らせるなり愛の言葉を貰うなりで緩和していると思ってくれればいい。分かり辛かったか?」

「いや、あの。十分…………………です」

 それは、なんていうか。

 一度知ってしまうと今までの凶行にはそれぞれの苦悩があったのかと。そうか、禁断症状か。俺を振り向かせないと死んでしまうと思ってしまったのなら手段は選べる訳がない。女性としての尊厳とか高潔さとか、そんな事よりも命が大切な筈だ。

 薬物中毒から逃れる為に、じゃあやらなければいいというのは簡単だ。けれど実際その難易度は、どれだけの人間が抜け出せているかという点で難しいか分かるだろう。悪質なのはこれが薬物という科学に基づいた物質であるのに対してこちらは呪い。一般人はまともな知識もなく、強制的に服用させられたと言ってもいい。

 だから対処方法なんて分からない。禁断症状が出てもその原因が本人でさえ分かっていない。分からない事は恐怖だ。自分が狂わない為には呪いが与える渇きに従うしかない。

「普段の生活で幾ら危険と言い聞かせても、ここは戦場じゃない。日常の中に居たら死は身近じゃないぞ。呪いのせいで君を好きになった子を何か咎めたいなら、無茶言ってやるな。怖いモンは怖い。分からないモノにいつ殺されるか分からない恐怖を感じて何事もなく生活するなんて無理だ」

「じゃ、じゃああれは…………あれ。『神』。その、呪いを受けてる奴が大勢いるんです! それで『神』の力を借りてるだろうって錫花が!」

「…………? すずかという子は知らないけど、『神』か。君、出身は?」

「隣町です」

「ああ…………そうか。いや、おかしいとは思ってたんだ。効力が薄くなってるのは。隣町……悪いけど、こっちにはどんな用事で来たんだ?」

「えっと…………話したい奴が居て、今は和解したんですけどそいつと話す為に一回出し抜く必要があったんで」

「………………」

 向坂さんの足が止まって、嘆くような溜め息と首の動き。

「俺はそっちの事情を知らない。今日は旅行で来ただけだ。余計なお世話だと思ったなら聞き流してくれても構わない」

「は、はい?」






「それはやるべきじゃなかったぞ、本当に」






 幾らか余裕のありそうな表情からスッと軽さが消えて。向坂さんは苦々しく口元を結びながら憐憫の目線を向けていた。やっぱり俺には、何の事か分からない。そんな風に言われても他人事としか捉えられない。

「『神』の介入は呪いが無作為に広がるのを防ぐ為だ。森に囲まれた村だとか、海に囲まれた孤島だとか、樹海の奥深くだとか。閉じ籠った場所で呪いは最大の効果を持つ。かけられた君が範囲外に出た今、禁断症状を緩和する策はない。隣町の『神』なら心当たりがある。『オタケビ姫』だ。一応確認するけど、おかしくなってる子は手当たり次第に男性を殺したりしてない?」

「え!? 何でそれを」

「あー、それ……間違いないな。全員生贄にさせられてる。『オタケビ姫』は男好きだ。協力を得ようとするなら相応の対価が必要になる。いいか? 君が隣町に留まっていたからまだ君にちょっかいを掛ければ女子的には無事で済んだんだ。だが君が居なくなったら後はおかしくなる一方。対価だけが支払われる。俺にここまで聞くんだから止めようと思ってるんだろうが……覚悟した方がいいぞ。戻ったら地獄が待ってる」

「………………そん、な」



「それが『神』に逆らった末路って所だ。幸いというのもおかしな話だが、呪いの完全成就にはまだ時間が―――」


















「センパイ、遅くない? 何でこんな遅いの」

「やっぱり何かに巻き込まれたんだと思います。私が探しに」

「駄目だよ錫花ちゃん。好きな人が心配でたまらない気持ちは分かるけど、こういう時に最悪なのは、入れ違いになる事だ。君が水鏡家の女だと知った上で言っているよ。仮にも先生だからね、家柄がどんなでも子供が守らなくちゃ」

 仮にも中学生。決して受け持ちの生徒でもないし同じ学校にすら居ないけれど、それが大人としての務めだとも思う。あんな事件を起こした私に今更責務なんてあるかは分からないが、彼にだけは迷惑を掛けたくないんだ。

「でも……冬癒も心配してたし」

「それこそ、妹が入れ違いになったら彼に迷惑をかけるだろ。気を紛らわせる為に向こうで花火をセッティングさせてるのは何の為だと思ってるんだい?」

「湖岸先生そういう事言いますけど―、先生は心配じゃないんですかー!」

 錫花ちゃんと同じくらい心配しているのは顔を見ればすぐに分かった。霧里夜枝は無理にでも明るく振舞って誤魔化しているだけで、心中穏やかじゃない。許可を出せばすぐにでも飛び出していく勢いだ。

「心配…………だけど、彼ならそれよりも妹を宜しくと言うだろうからさ。正妻の余裕って事で一つ」

「正妻?」

「あ…………口が滑った」

 婚姻届を持っているからというジョークのつもりだったけど、そう言えば誰も知らなかった。

「コホン。私も心配だよ。だけど錫花ちゃんにもさっき言われたように、私の呪いはまだ解けていないせいからね。子供を置いていざ救援になんて行こうものならどんな化学反応が起きるか分かったもんじゃない。大丈夫さ。彼の事が大好きな親友の……揺葉を信じよう」

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