虚偽を為した解体者

「冬癒! 俺の声が分からない訳ないだろ! 待てよ!」

 走る。上がる。翔る。可能な限り段差を飛ばして距離を詰めている。ただその後ろ姿に引っ張られるように走り続けた。階段を上がって。上がって上がって上がって上がって上がって上がって上がって上がって上がって上がって上がって。

 

 ―――それでようやく、おかしな事に気づいた。


 まず如何にここが元々ホテルでもここまで階層はない。そしていつまで経っても追いつけないでいる妹の後姿からは、一度たりとも足音が聞こえなかった。直前で命の危機に瀕していたから気付くのが遅れてしまったとも言う。階段を上がるのを止めると、どれだけ早く追いつこうとしても身体の端っこしか映らなかった身体がピタリと止まった。

「…………お前、誰だよ!」

 質問に答える事はなく、冬癒の服装を真似た何かはこちらを嘲笑うように引っ込んで二度と帰っては来なかった。上の階から相当小さな女の子の甲高い笑い声が聞こえてくる。


 ―――冷静になれ。落ち着け。


 そうだ、まだ冬癒は無事の筈だ。幽霊におちょくられてるのか何なのか分からないが、まだ死体を見た訳じゃない。大丈夫、大丈夫、大丈夫。落ち着いて呼吸を整えて、それから階層を確認。階段付近には決まってその階が何階なのか書かれているものだ。

 掠れて読めない。

「…………」

階段はもう延々上り続ける様な事にはならないと思うが、そこにはどうしても確証がない。だから暫くは階段を使うのを避けたい所だ。特に行く当てもないし。ここが何階であろうと客室である事には変わりない。下手にほっつき歩いてさっきの俺みたいな目にも遭いたくないだろうし、冬癒と合流出来るとすれば安全な部屋なのではないだろうか……?

「揺葉……」

 俺が望むのは都合の良い現実。揺葉と冬癒がとっくに合流していて安全な部屋で待機している状態。それさえ実現させてくれるなら後は脱出するだけだ。片腕を失った事は……もうこの際、仕方ないとも思う。生きてさえいてくれればそれでいい。だってアイツは関係ない。呪いにも、俺の人間関係にも。そんな奴が巻き込まれるなんて理不尽だとは思わないか。

 ?階は不気味な程静まり返っていて、俺があれだけ騒いだにも拘らず沈黙が支配している。そんな広いホテルでもないから揺葉でも冬癒でもどちらか一方には俺の情けない声が聞こえたと思ったが……あまり期待はしない方がいいかもしれない。

 声を出して探すのは一般的な迷子の探し方としては有効かもしれないが、お化けに見つかるリスクまで考えると一気にやりたくない手段になる。俺もさっきまでは恐れ知らずだったと思うが……

 

 一先ず近くの部屋に入ってみると、赤いワンピースを着た女性が背中を向けて何やらぶつぶつと呟いていた。

「―――!?」

 あんまり堂々と存在しているからぎょっとして不審な物音を立ててしまった。また襲われるのかと本能は全力で警鐘を鳴らし、身動きがあればその瞬間にでも逃げ出すつもりだったが女性は佇んだままだ。


「…………ドコ…………ワタシノ…………ゆび……………ワタシノ……ゆび………ドコ……?」


 声は耳に入るだけでも怖気が止まらない。それがこの世の者ではない存在の音だと根拠もなくそう思った。ただ、敵意はなさそうだ。単に気づいていないなんて考えられない。驚きすぎて何もない所でつまずき壁に激突したのだから。

「な、なあ。もしもし? その……俺の妹、見なかったか?」

 女性は応えない。譫言のように『ゆび』を求めている。必然その手元に視線は行くが、お化けであったとしても指は綺麗に五本揃っており、良く分からなくなった。

「なあ! ずっと指探してるんだろ! ホテルの中に詳しいんじゃないのか!? 俺の妹―――ああごめん。そんな事言っても分からないか。中学生くらいの女の子が何処かに居ると思うんだよ。教えてくれ。教えてくれたら帰るからさ」

 返事は、変わらず。やっぱり空気を読まない質問が良くないのか。じゃあ俺が指を探してやれば教えてくれるとか? それもまた確証がない。オカルトの世界はいつでも確証が得られなくて不安になる。

 不用意とは思っても近づけば何か変わるかもと考えて部屋の中に深く踏み入ると、女性は跡形もなく消えてしまった。立っていた場所には壊れた箪笥があって、上には古ぼけた指輪が乗っている。

「…………?」

 もしかして、『指』じゃなくて『指輪』を探していたとか?

 いやあ、それだと目の前の指輪に気づかない事が説明出来ないか。それと、立っていた事も。手に取ってライトでよく見てみると、二人分のイニシャルが見える。


 バタンッ。


 見ている内に、部屋のドアが閉まった。

「えっ、ちょ!」

 慌ててドアノブを回すと、何の抵抗もなく開く。本当にただ閉まっただけだ。閉じ込められた訳じゃない。まるで風に吹かれたみたいに勝手に閉まっただけ。焦って損した。これ以上は何もされないと思って再度部屋の調査に戻る。ここに冬癒は居ないが、もし誰も何も居ないなら合流後に揺葉を見つけるまで一先ず安全地帯としての運用も考えられる。

 指輪は何か使える可能性がない事もない。『神話』世界での経験が活きているつもりだ。それは貰っておくとして、他に何かないか。ベッド、冷蔵庫、箪笥の中、余すところなく探して行く。何でもいい。次に繋がりさえすれば。

「鍵…………?」

 ライトを使って限定的に視界を確保しているこの状況、どうしても照らされた場所にだけ集中的に意識が行ってしまう。箪笥の隅っこで何が光を反射したかと思えば鍵だ。それも近代的とは思えない。ゲームとかで牢獄の鍵として出てくる様な、シンプルな鍵。これを鍵と呼ばずして何を呼ぼうかというくらいの鍵だ……正式名称は知らないが。

 繰り返すがここは仮にもホテルだった場所。こんな過去の遺物みたいな鍵を何処で使うかは特に思いつかない。この部屋の何処かに使える場所があるならそれが一番良かったが、そんな場所は。


 ―――そんな場所は。


 無いのだが。これ以上部屋を探るべきではなかったかもしれない。部屋の高い位置に神棚を見つけた。神具の上に、目玉が一つ転がっている。

「…………」

 近くで確かめようにも身長が足りない。

 手が届いたとて確信は得られない。

 ただそれが冬癒の物という可能性だけが脳裏を過って冷静ではいられなくなった。


 ―――無事でいてくれ。


 それだけでいいから。

 部屋を飛び出そうとドアノブの前まで向かうと、扉越しに何やら、引きずる音が聞こえる。


 ズル。ズル。ズル。ズル。


 まだ遠い。扉越しに居る訳じゃない。しかしそれは確実に遠くからこちらへとやってきている。今開けたら、間違いなく鉢合わせする。


 ズル。ズル。ズル。ズル。


 正体は分からないが、まずは通過したのを聞いてから出た方が良さそうだと。俺が焦りを止めたその直後。





 ジリリリリリリリリリリリリリリ!





 部屋の中で場違いな電話の音が鳴り響いた。

「うわわわ!」

 慌てて音源に向けてライトを向けると、時代錯誤な黒電話が鳴り響いているではないか。その騒音に外の音が聞こえない。そもそもこの音が外の何かを引きつける可能性もあるから止めないといけない。だが引きつけられているなら隠れた方がいいような気もする。


 クスクス。クスクス。クスクス。


 もういーかい。まーだだよ。


 子供の無邪気な声がする。残酷にも楽し気な声は、処刑宣告を告げる制限時間でしかない。どうする。どっちをやれば正解だ。電話を取るか大人しく隠れるか。どっちか。正解はきっと一つだけだ。

「…………ああああああああ!」

 一瞬で決断しないといけなかったので、電話の不快感を優先した。受話器を手に取ると、聞き覚えのある声。


『お兄ちゃん…………どこ……?』

『…………冬癒!? お前、何処にいる!?』

『いたい…………いたいよぉ………うぇぇ……ぐすぅぅううぅうう』

『お兄ちゃんが絶対助けてやる。居場所は何処だ? 何処から掛けて来た!』

『どこ……? わかんない………どこ……お兄ちゃん…………どこ……』


 会話が成立しない。手首を失った奴に多くを求めるな。

 しかし会話からして、俺の居場所を知りたがっている。まずは安心させた方がいいか。

『俺は……何階かは分からないけど部屋に居るよ。いや、それくらいは分かるか。電話してきたし…………待て。何で黒電話が繋がるんだ? 使い方知ってたのか? そもそも内線が生きてるのも』

『………………そっか。じゃあ』




『ムカエニイクネ』




 最期の声はノイズ塗れに、電話はすっぱりと切れてしまった。外の音ももう聞こえない。

「………………え?」

 電話が切れて数十秒。理解が追い付かず、今更のようにリアクションをしてしまう。俺は妹と話をしていた筈が、最後はまるで別人の声だった。ムカエニイクネ……迎えに行く…………こっちに………………来る!?


 ―――に、逃げなきゃ!


 失敗した。あれは妹なんかじゃない。妹を装って俺の居場所を聞き出したのだ。正確な居場所を自分でも知らないのが功を奏したがここに来るのも時間の問題。廊下の音も消えたから直ぐにでも飛び出すと、丁度廊下を通過していた男性と接触した。

「いたっ!」

「うおっ」

 俺だけが一方的に吹き飛ばされる。男性は後頭部を掻きながら、申し訳なさそうに手を伸ばした。

「や、申し訳ない。まさか他にも人がいるなんて思わなかったんだ」

「え、え、……………ええ? ひ、人?」

 身長は俺よりもう少しだけ高い。穏やかな目つきに反して身体は死地でも抜けて来たように引き締まっている。腕や足に残る奇妙な傷跡からそう思った。モノクロのアロハシャツを着ており、その顔は何処かで見たような気もする。

「君は……何でこの場所に居る」

「お、お…………お化けじゃ、ないんで、すか?」

「―――成程。慣れてないか。勝手に話を進めようとしてすまない。まずは自己紹介からだな」

 





「俺の名前は向坂柳馬。妻がふらついてるもんでこっちに探しにきた。見てないか? とても綺麗な女性なんだけど」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る