色褪せた花嫁

「見苦しい所を見せてしまったね……」

「気にしないで下さい。悪いのは俺ですから」

 たまたま持っていたハンカチで涙を拭うと、先生は何とか普段の調子を取り戻した。年とか性別とか関係なしに、人の泣き声は苦手だ。自分が悪い事をした訳ではないのに、何だか聞いているだけで申し訳なくなってくる。

 今回は、俺が悪いけど。

「大人の私がしっかりしないといけないのにこの様だ……ああもう、駄目だな今日は。年を取ると涙もろくなるって言うけど、今回は違うだろ」

「まだ、後悔してるんですね」

「…………吹っ切れたつもりでも、中々どうしても取れないんだ。もう遠い場所、遠い昔の話なのに。戻れるなら今すぐにでもって思ってるよ。やり直せるなら、どんな代償だって払うさ」

 先生はかつての騒動の生き残りだが、俺に言わせればその呪いは解かれていないばかりか、まだ続いている。泣きじゃくる先生の姿は二〇年前に遡っていた。

 精神的に、彼女はまだ一人ぼっちのまま。

 俺は隣に居る様で、まだそこには居ない。きっと誰も傍には居られない。もしそれが出来るとすれば過去の人物―――暫定的に先生に惚れこんでいた、ソイツくらい。

「そろそろ反対側の鳥居に行こう。もう私は大丈夫だ」

「あんまりここでぐだぐだしててもまた思い出すかもしれませんからね。先に行きましょう」

 一応本殿の扉を確認したが、帰ってきたら鍵が開いていたなんてご都合展開は望めなかった。まあ開いていたら誰が開けたのかという話にもなって怖いので、鍵がかかっているならその方が良い。

「…………ん?」

 入口の鳥居付近にあった井戸が消えている。

「えっ」

 それを認識した途端、全身が総毛立って、アラートを鳴らした。最初は気のせいだと思っていたが、呑気な認識だ。

「先生! 井戸って何処にありますか!」

「はあ? 君、井戸って」

「道を外れた場所にあった井戸じゃなくて! あそこの鳥居の脇にあったんですよ! 行こうとは思いませんけど……何か、物凄く嫌な予感がしてきました。確かカシマさまって井戸に放り込まれて死にましたよね。あの井戸って、カシマさまがいるんじゃ」

 仮説は色々と立てられる。井戸が動くなんてあり得ないという思い込みを捨てれば、例えば井戸からずっとこちらの様子を見ているとか。全然考えられる。二人で行動しているから襲われないだけで、冬癒の友人はここに来るまでの経緯はどうあれ一人で行動したから襲われたのだとか。

「……だったら、今は移動してるって事だ。向こうに井戸があったらその仮説は大体合ってるのかもね。でも、行かない理由にはならないだろ?」

「……そりゃ、そうですけど」

「錫花ちゃんが元に戻らなくなるかもしれない。倒しても元に戻るかは分からないけど、ここまで来たならどんなリスクも同じだよ。大丈夫、もう失敗しない。今度は後悔しないように、ちゃんと君を守るよ」

 さっきまで泣いていた人が随分と強気だ。しかし頼もしい。先生の衝動的な暴力性は本人にとって失くしたい反動かもしれないが、いざという時には頼れる。トイレで一線を越えられなかった以上、俺には何をしてもそれが出来ない気がする。


 ―――行こう。


 目線で通じ合って、反対側の鳥居に向かう。この先に何があっても大丈夫だ。俺は俺なりに出来る事をするだけ。鳥居を潜った瞬間、ふっと身体が軽くなったような気がした。

「この先には何があるんだろうね。出来れば今度は入り組んだ物でない事を願うよ。いや、あの地下室は別にそこまで複雑ではなかったけどさ」

「そういや錫花、いつまで経っても追って来ませんね」

「あの子が来てるのは着物のみだけど、普通に重いからね。梯子を上がるのは無謀な気がするよ。家の誰かに着付けしてもらったか、お世話になってるプロが居るか分からないけど、自分で脱ぐのも中々難しい気がするな。簡単に脱ぐだけなら刃物使えばいいんだけどね」

「……何でそんな物を着てきたんだろ」

「気を引くためって言ってたじゃないか」

「言ってましたけど、それだけだと釈然としないっていうか……」

 あんなに詳しいならわざわざ白無垢を着なくても気を引く方法くらいあると思うが。わざわざ用意してきた所に意図を感じる。『カシマさま』……花嫁…………無関係ではないと思うが。

「―――ふと気になったんだけど、霧里さんと錫花ちゃんって知り合いだったよね」

「みたいですね。それがどうかしたんですか?」

「私は彼女を良く知らないんだが、分断されて何の対処も考えてこないのはおかしいと思わないか? 錫花ちゃんと知り合いなら多少なりとも知識があってもおかしくはない。いつまでも入ってこないのも、何か理由があったりして、と思った」

 それはどうだろう。

 錫花は先に神話入りしていた様だし、夜枝に対して何か言えたかどうかは微妙だ。タイミングはあったと思うが、神話を知らずして彼女に何が出来るのだろう。



 考えている内に、丸太小屋が見えてきた。



 それもおかしな話だ。ずっと直線を歩いていたのにそれが見えたのは途中から。意識して視界をぼかすと、家全体に霧がかかっているように見える。

「…………?」

「家だね。これを物置とは言えないよ。とてもじゃないけど」

 外から見た感じだと、二階までのシンプルな構造だ。板張りの床を踏みしめて玄関まで近づく。窓は表に三か所あり、中を覗こうとしても霧に誤魔化されて成果は望めなさそうだ。

「鍵は開いてますか?」

「開いてないね。でも行ける場所は少ないから鍵は近くにある筈だ。探してみよう。鍵が開いてなくても、実は裏口が開いてるなんて事も考えられるしね」

「いや…………もう常識的な判断しなくても、鉈で硝子割りましょうよ。先生なら入るんじゃないんですか?」

 一々鍵を探すのがもう面倒くさい。こんな場所で硝子を割っても犯罪になるかどうかなどどうでもいい。中に入って鍵を開けてもらえばそれで終わりだ。先生は鉈で硝子を小突いてから、自分の身体を見回して、カメラを作るように指を構える。

「何してるんです?」

「…………割るのはいいよ。多分出来るから。でもこの窓小さいから……お尻が入るかどうか」

「……あー」

 白衣のせいで良く分からなかったけど、確かに先生はお尻が大きい。俗に安産型と言われるタイプで、実際どうなのかは知らないけど。確かにこの大きさだと身体は入ってもつっかえそうだ。

「いや、でも割って欲しいですね。中の様子が知りたいんで。先生も気付いてると思うんですけど、周辺が霧っぽくなってて見づらいんですよね」

「そっか。じゃあ割っておくから君は周辺を探してみて欲しい。結局鍵か入り口がないと入れないんだし」

 先生は鉈をバットのように構えて一呼吸。その間に俺は丸太小屋の裏に回って、裏口の有無を確かめようとした。



 井戸が、あった。



「…………ッ!」

 これはもう隠す気が無い。この井戸は俺達についてきている。気づかなかっただけで物置小屋に行った時も何処かに居たのだろう。何が不自然って、井戸のすぐ横に件の裏口がある事だ。どんな昔の人でも、どんな価値観でも、入り口の真ん前に水汲み場を作るなんてあり得ない。


 ガシャンッ!


 窓を割る音が聞こえる。救いを求めて戻ろうとしたが、井戸と繋がるバケツの中に鍵を見つけた。見つけてしまった。

「…………」

 罠?

 それとも単に置かれているだけ?

 井戸が不自然に動いている事実から、この鍵がたまたま偶然ここにあったとは考えにくい。下から手が生えてきて引きずり込まれるとか、そのくらいは想像出来る。

 だから行きたくはないけど、中に入る為なら鍵は取りたい……。

「………………来るなよ」

 身体を低くして両手を伸ばし、慎重に慎重に。バケツを傾けて鍵を掬い上げようとすると、中の水と共に手を滑って井戸の底へ。

「あッ!」

 意思の介在もなく反射的に身を乗り出し井戸を覗き込む。



「 あ   …  ナ   」



 眼孔から膿の飛び出した顔と目が合って。刹那、己の失敗を悟る。








「うわあアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 首を両手で掴まれ、頭から井戸の底へと引きずり込まれた。 

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