黄昏乙女と下着ヴィレッジ

 ここまで隼人が推すならと、俺の選んだ方針は三つ目となった。これでも自分の意思で選択したつもりだが、選ばされた気がしないでもない。知尋先生は幾ら死人でもこんな目的の為に売るのは気が進まないとしつつも、最後には承諾してくれた。

「……才木都子さいきみやこ。私の親友だった子の名前」

「だった?」

「昔だからな。それと、私を騙してくれた事は忘れちゃいないからさ。死人にまだ恨みを持つ私も大概器が狭いとは思うけど、これなら問題ない筈だ」

「オッケーです。じゃあちょっと……そうだな。噂の広め方を俺は揺葉と相談してくる。こっちは任せろ、お前は何も考えるな。嘘が下手とは言わんが、厳密に監視されてる中で嘘を吐き続けるのは難しいからな。元々ヘイト買ってる俺が全部請け負ったぜ!」

「…………すまん。頼んだ」

「頼まれた。お前はちょっと先生と話してろよ。夫婦水入らずって奴だな」

「お前なあ!」

「あはは! じゃあちょっと、外すな?」

 部活動的にも、まだ終了する時間ではない。彼女達はきっと事情聴取の流れで参加している筈だ。隼人に危険は及ばないだろうと、今はそう信じたい。俺は怪我であまり自由に動けないのだ。

「………………先生?」

「どこか痛む?」

「あ、いや。何でも……なんかその、ごめんなさい。夫婦なんて。俺もちょっと距離感わかんなくて……」

「……取り敢えず飲み物でもご馳走しよう。校内に自販機があるからそれで済ませるかと言いたいが、特別に手作りで何か作るよ。待ってて」

「あ、はい。有難うござい……ます」

 束の間の暇な時間、知尋先生は冷蔵庫から牛乳とコップを取り出して、それからココアパウダーと沸かしたお湯を用意。初めて作ったのかもしれないが、袋裏の作り方を凝視しながら丁寧にコップの中身をかき混ぜていく。普段の先生は未亡人感というか、くたびれた感じも見受けられるのだが、ほんの一瞬だけ目を見開いて嬉しそうに微笑んだのを俺は見逃さなかった。

 まあ殆ど、気のせいみたいな誤差だが。

「はい。あげるよ」

「…………暖かい……いただきます」

 普通に美味しいココアだ。特にいうべき事はない。しかし俺は学校で何をしているのだろう。先生お手製の飲み物をベッドの上で飲んでいる。放課後だけど、放課後の活動とはおもえない。

「言いたい事は分かる。年の差も顕著で、友人も恋人もすっ飛ばして夫婦だからね。私も距離感は良く分かってないよ。この状況がいつまで続くかも分からない……ゆっくりやっていけばいいと思うな」

「ゆっくりって……具体的な行動とかないんですか?」

「最初に言ったと思うけど、私はヤミウラナイで全員失った。私の初恋はこれ以上ない現実に打ちのめされた。だからね、今は正直好きという感情が分からない。敵意も殺意も抱く筈がないが、じゃあその反対の感情は好きなのか?」

 知尋先生は決して自分から俺の身体に触る様な事はしない。夫婦となってもそのスタンスは貫かれている。先生を他の女子と違う印象で扱っているのは、多分それも原因だ。

 隣に座って腕を組んだ先生が、リラックスするように息を吐いた。それからブラウスのボタンを一つ外して、鎖骨を露わにする。

「気楽に行こう。契約上、私達は夫婦関係だ。ちゃんと婚姻届もここに残ってる。少しずつ、お互いが特別なんだと意識していけばいい。だからほら、最初の特別」

「え?」

「ココア。他の生徒にこんな事しないよ、面倒だし。そんな仕事ないし」

 もうすっかり空になってしまったが、これが先生なりの歩み寄りなのだろう。身体の芯が温まっているのはココアの作用であり、ときめいているとかそういう訳ではないと思う。

 でも、嬉しい。

  そんな初心な配慮が、何よりも。女子の下着姿なんかよりも。涙が出るくらい、嬉しく…………

「有難う…………ござい……ます…………」

「ああ!? ちょっと待って。泣かないで。ごめん、え? ごめん。何か……え?」

「いや…………もうなんか…………すみません……すみません…………!」

「謝らなくてもいいのに。そうだ。そう言えば君は誠意を示したのに、私の方からは何もなかったね。だからはい、これ」

 涙で前が見えない俺の膝に何か固くて軽い物体が投げ込まれる。渡されたハンカチで視界を拭って見えたのは、煙草のケースだった。

「………………俺、未成年です。けど」

「知ってる。誰も吸えなんて言ってないだろ。持っててほしいんだ。それが私の出来る、最大の誠意」

「―――煙草好きなんですか?」

「そうじゃない。その煙草はね、私の好きな人が吸ってたんだ。要するに思い出の品なので。貴方に渡しておきますと言っているんだ。意味は察してくれ。好き嫌いは関係なしに、恥ずかしいから」




「おう戻った!」




 隼人が勢い任せに帰ってきた。声は高らかに、その足は軽く。女子に気づかれるかもしれないなどと、そんな慎重さとはおさらばだ。とにかく浮かれているし、迂闊だし、油断している。

「何だ何だ、やけになんかハイテンションだな」

「揺葉が面白そうだからって割と乗り気な感じて付き合ってくれるそうだ! 俺達は微塵も面白くないが、とにかくアイツがネットでいい感じに嘘を拡散してくれるらしい。SNSの良い所だよなッ」

「悪しき課題だよ」

「取り敢えず、今日は普通に帰ろう。揺葉と先生の存在は秘匿してこそだ。俺達に出来るのはいつも通りの間抜けな姿で過ごすだけ。俺もお前も、暫く現状維持だ。渦中に居ても主導権があるのは何処までもお前を好きな女子だけ。だから勝手に動いて、俺達は振り回されるしかない。苦しいかもしれないけど……耐えようぜ」

「お前が一番苦しいと思うんだけどな……」

 隼人はどうも、自分に対する客観視が欠けている気がしてならない。取り敢えず自分を勘定から外すのは単なる悪癖か、それとも『俺なら何とかなる』という自信の表れか。

 どっちにしても、コイツらしい。


























「まだ生きてたなんてびっくりです。運が良いんですね」

「うわあああ!」

 校門を抜けた先で、仮面を被った中学生くらいの女の子が俺を待ち伏せするように足を交差して立っていた。笑顔の仮面は左目を覆う部分だけが壊れている……というか、切り取られている。断面があまりにも人為的だ。

 そして本当に目つきがキツい。切れ長の目もそうだが、とてつもない恨みを買ったかのように睨まれている……視線だけで相手を殺せても違和感がない。本当に。本人も気にしていた通り、これは二択で表されるのも納得だ。

「す、錫花……だよな?」

「知り合いか?」

「一応……俺の恩人。危うく心中に巻き込まれる所だったのを助けてくれた」

「女子なのにまたお前を好きじゃないのか……」

「いいんだよ別に。まさか自分から会いに来るなんて思わなかった。聞きたい事があったんだ。時間あったりするかな?」

「時間はないですね。私はちょっと、この後始末をどうするのか気になっただけです」

 そう言って、彼女は携帯で撮影された動画を俺の向きに合わせて回してくる。再生時間は十分程度だが、開始時点で絵面が酷い。交差点のど真ん中でクラスメイトの女子が脱いでいるではないか。

 もう再生したくなくなったが、わざわざ俺に聞いてきたくらいだ。見ないという選択肢は無いと思う。隼人と目を見合わせて―――それから改めて、再生ボタンを押した。

 

『みんなー! 硝次君を知らない女なんかに渡すべきじゃない! そこでみんなに頼みたいのは、女除けだ! これ以上ライバルが増えても怠いだけでしょ! まあ選ばれるのは私だけど……♡ とにかく! みんな自分の家にある下着を組み合わせて、下着アートを作る事! テーマは硝次君! それを各々家の屋根でも軒先でも掲げて行けば、何処のビッチとも知らぬ痴骨も入ってこられなくなる! 完璧』

『問題の解決の前に、まずは予防からなんだよ! 私は、私たちのクラスは全員硝次君の事が好きで好きでたまらないんだから! 不審者の介入を断固として許しちゃいけない! 私は風紀委員として、宣言します!』


 ―――風紀の意味が、分からなくなった。


『美的センスがないって人はー。まー下着を吊るすだけでもいいんじゃない? ありったけ吊るすの。出来れば硝次君の痕跡が残ってるのとかいいけど、みんなもってないよねー。私持ってる。ざまあ』


 取り敢えず女子が共通の敵を認識して団結する一方で、また俺の知らない場所で俺を取り合っているのだと思う。錫花の傷一つない綺麗な指先がシークバーを触って動画を進める。六分くらいの所から。続き。

「…………うう! なんだこれ…………」

 

 家の角という角に下着を吊るした家があった。


 下着という下着に俺の写真を張り付けた家があった。


 チラシを配って地域住民にも声を掛け、無関係な人にも被害を広げる龍子が居た。


 明確且つ迷惑な痴女行為にも拘らず、誰も咎めたりはしない。恋は盲目とは主観的な言葉だと俺も最近まで思っていたが、どうやら第三者にかかる言葉だったらしい。誰かが恋してると、周りの人間は節穴になるという意味なのだ。


『かーえーれ! かーえーれ!』

『アバズレはー! 帰るべきー! 死ぬべき―! 硝次君に近づくな―!」

『近づくな―!』


 極めつけに、デモ行進だ。警察が付き添っているのも阿呆らしい。ここまで被害が広がるとクラスメイトに限らず近隣の男性住民も明らかに俺の存在というか、過激派な女子を煙たがっていたが、絶対に手出しはしようとしてこない。

 理由は主に、警察から受け取った拳銃を女子が大量に所有しているからだ。主にというか、それしかない。命が惜しいなら銃には立ち向かうまい。


 所で何だ。この夕日に似合わぬ醜い女子の集合体は。


「外……こうなってるのか?」

「あーマジだな。ベランダに下着吊るされてんの干してるだけかと思ってたけど。そんで取り込み忘れただけかと思ってた」

「良く見えるな……」

「俺の視力七.〇だ、なめんな」

 嘘か本当かも分からない微妙な嘘を吐かれると反応し辛い。少なくとも錫花は無視して俺に答えを迫った。

「割と真面目に迷惑してるんですけど、どうにか出来る算段はついてますか?」

「―――一応聞きたいんだけど。あれか。もしかして君の家にもこいつらが来たのか」

「私の家はもっと遠いので大丈夫ですけど。吊るす下着が足りないから渡せとは迫られました。あんまり持ってないから、困ってます」

「そういう問題じゃ無さそうだが…………現状維持どころか急に末期症状だな。あーどうすっかこれ。やっぱり誰かに罪を」




「いや………………現状維持で行こう」

  



「おま。正気かよ。被害者目の前にいるのに!」

「アイツ等は抜け駆けを嫌がってるだけで、それがなんかすごいオーバーなリアクションに代わってるだけだ。世界が滅んだ訳でも人が死んだ訳でもない。まだ大丈夫の筈だ! 錫花には悪いけど! もう君の家には後で菓子折りでも土下座でも何でもしに行くから、それで勘弁してくれ!」

「…………その程度で許されるとは全くこれっぽっちも思いませんけど。算段自体はありそうなので様子を見ましょう」

「あー。待て待て。横からで悪いけど。言うて君は女の子だ。口から出まかせ言ってコイツを連れ込む魂胆って可能性もある。謝罪の時は俺も同行したいから、苗字の方を教えてくれないか?」

「何言ってんだよお前。苗字とかどうでもいいだろ」

「相手が礼儀にうるさいとか何が好きかとか色々あるだろ。お前、『無害』だったから機嫌を取る方法に疎いんだな。そういう細かい所もしっかりしなきゃ謝罪なんて伝わらねえからな」









「水鏡錫花です。礼儀は大目に見ると思いますけど、立ち振る舞いとかは結構気にされると思います。なので、頑張って算段を成功させた方がいいと思います。はい」








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