第五十二話・追いかける

「そうか。なるほど。このような意味が含まれているのだな」


 図書館で、バレンタインに関する本を読み漁る西園寺。


「そうすると……よし! これでいこう!」


「図書館ではお静かにお願いします」


「も、申し訳ない……」


 係の者に注意された西園寺は、恥ずかしそうに本を借りて帰った。




「龍兄の一番になるのです♪」


 調理器具と食材に囲まれて楽しそうな麗奈。


 龍仁の好みを知り尽くしているだけに、かなりの自信を持っている。


「料理では先生に勝てないかもですが、スイーツなら負けないのです!」


 軽やかな鼻歌と、調理器具の奏でるリズミカルな音が台所に流れる。




「どれなら龍ちゃん喜んでくれるかな」


 何ヶ所にも付箋が貼られたレシピ本を眺める真由美。


「普通にチョコじゃ印象に残らないよね……」


 レシピ本の中を彷徨う真由美。


「あっ、これいいんじゃないかな。うん、これで決まり!」


 本を持って部屋を飛び出ていく真由美。




「みんなにはこの発想はないわよね」


 何かの生地を冷蔵庫に入れながらニヤつく榊原先生。


「あとはコレと、コレを用意しておいて……これで完璧ね」


 何やらカバンに詰め込んでから、ゆっくりとベランダへ歩いていく。


「少しは佐々川くんに届くといいんだけど……」


 不安な表情で、夜空を見上げながら呟いた。



 それぞれの想いを眺めていた月が姿を消し、朝日が聖戦バレンタインの始まりを告げる。




「みんな、もう用意はできてるよね」


「もちろんだ。仁のために最高傑作を用意したぞ」


「ナナちゃん、残念ながら麗奈のものが最高傑作なのです」



 放課後の教室で、静かに火花を散らす三人。


 龍仁は、三人の牽制が始まる前に教室を出ていた。


 百瀬先生に呼び出されて職員室へ向かったのである。



「みんなぁ、今日は部室行くのぉ?」


 廊下から美春が声をかけてきた。

 

「美春ちゃんは行かないの?」


「ちょっと寄るとこあるからぁ、後で行くよぉ」


「分かったよ。部室で待ってるね」


「では、わたしたちは部室へ行くとしようか」


「麗奈から提案があるのです」


「提案? 何だ、れな」


「部室に着いた順番を、龍兄に渡す順番にするのです!」


「何それ! 面白そう!」


「いいだろう。ノッた!」


「校内で走るのは駄目なので、スタートは玄関からなのです」


 

 西園寺、真由美、麗奈の順で靴箱に到着する。


 そして、その順番のまま玄関を飛び出す。



「この勝負! わたしが貰った!」


「まだまだー! ここからが勝負よ!」


「ふっふっふっ、麗奈の真価はスピードではないのです!」



 トップスピードでは敵わない麗奈であったが、小回りなら三人の中で抜群である。


 下校途中の生徒や部活中の生徒で溢れ返る校庭。


 その中を掻き分けて走る西園寺と真由美は、自身のトップスピードまで持っていくことが難しかった。


 そんな二人を横目に麗奈が疾走していく。


 小柄な体を右に左に、華麗なステップを踏みながら駆け抜けていく。



「お先なのです〜!」


「くっ、盲点だった」


「せめて七海ちゃんには勝つ!」



 余裕でトップに立った麗奈。そのまま部室に到着する。



「ズルではないのです。長所を生かしただけなのです!」


「はぁはぁ、なんとか二番手は守ったのだ……」


「負けた〜最後のストレートで捉えきれなかったか〜」



 互いの健闘を称えながら部室へ入る三人。



「あら、南藤くん早いわね」


「あぁ、美春にここで待っててくれって言われたんだ」


「それが何で早く来る理由になるのです?」


「何でって、今日はほら、あれだろ? 楽しみで早く来たんだよ」


「仲の良いご夫婦ですこと」


「あれ? 恵美ちゃんもいるのです」


「健児さんをお待ちしてます。みなさんは佐々川くんをお待ちなのでしょう?」


「そういや龍仁はどうした?」


「百瀬先生に呼び出されてたよ」


「何かやらかしたのか?」


「何もやらかしてないのです。何か渡すものがあるって言ってたのです」


「ん? もしかして……百瀬先生が龍仁に?!」


「な、何だと?! 百瀬先生まで仁のことを?!」


「まさか……そんなことないと思うけどな」


「まゆちゃん……龍兄のことだから……どこかで百瀬先生を助けてたりとか……あるかもなのです」



 静まり返る二輪車倶楽部部室。


 その静寂を破るかのように開く部室の扉。


 そこに立っていたのは、龍仁であった。


 その手には、ハートを散りばめた紙袋が握られていた。



「りゅ、龍ちゃん……それ……」


「まさかとは思うが、百瀬先生からなのか?」


「そうだ、百瀬先生からだ。それがどうかしたのか?」


「百瀬先生が龍兄に……想定外なのです」


「そんな素振りなぞ微塵も無かったではないか……」



 三人の周りにどんよりした空間が現れる。



「何言ってんだお前ら。百瀬先生から、二輪車倶楽部の男子にって預かったんだよ」



 三人の頭上に太陽が輝いた。



「あっ、そっかそっか〜そう言うことか〜」


「ビックリさせないで欲しいのです」


「よかった……よかった……よかった……」



 西園寺の呪文タイムが始まったところに高崎と美春が入ってくる。



「あらぁ、七海ちゃんが呪文タイムだねぇ」


「何かあったの〜?」



 南藤が二人に事情を説明する。



「それは驚くよねぇ」


「紛らわしいのはやめて欲しいのです」


「それはもういいじゃない。龍ちゃん! ここ座って!」


「では、健児さんはこちらへ」


「哲ちゃんはここだよぉ」



 それぞれが指定された椅子に座る。


 そして、美春と東雲が紙袋から取り出したものを置く。



「どうぞ、健児さん」


「ありがと〜恵美ちゃん」


「ありきたりですが、手作りチョコレートです。お気に召すといいのですが」


「開けていいかな〜。うわぁ〜ハート型のチョコだ〜」


「ベッタベタなのです。でも、それがいいのです」


「次は俺の番かな。美春はどんなのを……す、すごいな」



 南藤が箱を開けると、綺麗にデコレートされたチョコケーキが現れた。



「頑張って作ったんだよぉ」


「ありがとう! メチャクチャ嬉しいよ!」


「これは凄いな……美春がここまで出来るとは驚きだ」


「美味しそうだね!」


「だめだ! たとえ真由美ちゃんでもこのケーキは渡さない!」


「南藤くんのケチ」



 このタイミングで部室の扉が開く。



「お待たせー!」



 いつも通り元気に入ってくる榊原先生。


 いつも通りの登場だが、みんなが榊原先生を見て固まった。



「先生……リアルでそれやってる人初めてみたよ……」


「さすがの麗奈でも、それはできないのです」


「あのリボンにはどんな理由があるのだ? 先生がリボンに巻かれている意味が分からないのだが」


「七海さん、ちょっとこちらへ」



 東雲にその意味を説明された西園寺は、全身を真っ赤にし、煙を吹いてフリーズした。



「軽い冗談よ」


「先生がやると冗談にならないのです」


「まっ、それはいいとして、もう渡したの?」


「まだなのです」


「あら、じゃあ順番に渡しましょうか」



 榊原先生に促されて順々に渡していく。



「龍兄、頑張って作ったのです! 麗奈の気持ち受け取るのです!」


「おぅ、ありがとな」


「仁……仁のために作った……その……受け取ってくれ!」


「あぁ、ありがとな」


「龍ちゃん! ハッピーバレンタイン!」


「ありがとよ」


「佐々川くん! 先生の気持ちよ!」


「おっ、おぅ。ありがと」


「龍兄! 開けてみるのです」


「そうだな。開けさせてもらうわ」



 贈られたものを順々に開けていく龍仁。


 麗奈からはマカロン。


 西園寺からはカップケーキ。


 真由美からはマフィン。


 そして、榊原先生から贈られた箱を開ける。



「これ……は……」


「先生の気持ちよ!」



 ピンクに着色されたホワイトチョコをコーティングしたドーナツ。


 良くある丸い形ではない。


 そのドーナツは、LOVEと形作られていた。



「ストレートに伝えてきたのです」


「そんな方法もあったのだな……わ、わたしにはハードルが高い……」


「先生らしいね。一本取られたかな」



 そんな感想を言い合っている横で、幸せムードを醸し出している二組。



「はい、健児さん」


「あ〜ん……美味しい〜!」


「哲ちゃん、おくち開けてぇ」


「あっ、あぁ。うん! 美味い! 最高だよ!」



 それを見ていた四人の目が光る。


 そして、龍仁に贈ったスイーツを手に取る。



「龍ちゃ〜ん。はい、あ〜んして」


「龍兄。麗奈が食べさせるのです。口を開けるのです」


「仁! わ、わたしのは美味しいぞ! き、気持ちが沢山入っているからな!」


「ほら、あ〜んして、佐々川くん♪」


「ちょ、ちょっと待て! 自分で食う! 自分で食うから!」



 椅子から立ち上がり部室から脱出する龍仁。



「あっ、龍ちゃんが逃げた!」


「追うのです!」


「仁! 待ってくれ! わたしのカップケーキを!」


「先生の気持ちを受け取りなさーい!」



 校庭を逃げ回る龍仁。


 その後を追う四人。


 文化祭での一件で、四人が龍仁に想いを寄せているのは校内に知れ渡っている。


 あちこちから四人を応援する声が飛んでくる。



「どこまで追ってくんだよ! 勘弁してくれー!」



 まだ龍仁の心には届かない想い。


 麗奈、真由美、西園寺、榊原先生、四人は走り続けるだろう。


 龍仁の心に追いつくまで、どこまでも、どこまでも……。

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